再びサザエさん

私の1日におけるささやかな楽しみの一つ。
それは、寝しなにエッセイか漫画(コミック)を10〜30分ほど床の中で読む(見る)
こと。
晩酌と同じで、これは毎日の習い。
かれこれ10年になります。
今までに、池波正太郎と山口瞳(それぞれ20数冊)、中野孝次と高峰秀子(それぞれ
10冊前後)のエッセイは、文庫本化された全作品を数回読みました。
それに伊集院静と五木寛之と向田邦子の文庫本の殆ど(全作品ではない)も。
なぜに彼ら彼女らの本を好んで読むのか?と思う方もおられるでしょう。
それは、彼らの毅然とした「生き様」に共感するからです。
勿論、文章も軽妙洒脱で歯切れが良く、それでいて示唆に富んだドライな余韻を残し
てくれるので、何度も飽きずに読み返してしまうのです。

なかには「そんな他愛もないエッセイを読むくらいなら、もっと重厚な名作や専門書
や技術本でも読み尽くす方が、ためになるのでは。折角の時間が勿体無い」と助言し
てくれる人も、いるかも知れません。
しかし、無駄かどうかは価値観の相違。
このエッセイ(随筆・小論)という短い文章を短時間読むことによって、1日の心の
疲れがどれほど癒されてきたことか、計り知れないからです。
憂さ(うさ)があった日はそれをやんわりと払拭し、何事もなく過ぎた日は、明日へ
の楽観的な期待を湧き立たせてくれる。嬉しいことがあった日は、その思いに弾みを
つけてくれる。
自律神経を交感神経優位から副交感神経優位にクーリング・ダウンさせ、安らかな夢
路にいざなってくれる。
それが寝しなに読むエッセイの魅力。
健やかな明日を迎えるための、まさに「読む入眠剤」とも言えます。

しかし、この短い文章でさえ(山口瞳の「男性自身」は、一話で文庫本5〜6頁)、読
む気がしない日があります。
本やDVDの読み過ぎ観過ぎで目と神経が疲れている日や、体調がすぐれない日。
その時は、漫画を10分ほど見(読み)ます。
枕元の本棚に常置している漫画は「サザエさん」(文庫本全45巻)、それに映画化さ
れて話題になった「三丁目の夕日・夕焼けの詩」(1巻から50巻分まで)。
特にサザエさんは、4コマ漫画でクスッと笑わせてくれるので、もうどれだけ目を通し
たかわからないほど。
起・承・転・結の4コマで一つの話を語り、読者を笑わせるのですから、「素晴らし
い」のひと言。
その漫画「サザエさん」の文庫本全45巻には、、朝日新聞等への連載を開始した昭和
21年4月分から昭和55年9月分までが収録されています。
実に34年半にわたる連載。
世田谷区桜新町(現在地名)という住宅地の一角にある磯野家の総勢7名の物語。
当時の住宅事情から、マスオ・サザエ・タラちゃんの河豚田家3人が借家を追いださ
れ、サザエさんの実家・磯野家に同居したため愉快な大家族が構成されたのですが、
現代の家庭からは喪失してしまった、ほのぼのとしたユーモラスな家族生活が見事に
描かれていることは、誰もが承知のこと。

私がサザエさんの漫画を愛する理由は。
まず、私が現在住む「上馬」という街の隣街・桜新町に、サザエさん一家(作者の長
谷川町子さん)が住んでいたので、とても親近感があること(ちょくちょく、家から
歩いて桜新町の商店街を散策しています)。
次に、磯野家や隣近所、商店などの人や街の風物、それに磯野家という平均的なサラ
リーマン家庭の生活ぶりが、庶民の目線でリアルに描かれていること。
連載が始まった年とほぼ同じ年(昭和22年)に生まれた私にとって、これは私が生ま
れて生きてきた時代をなぞる、貴重な戦後昭和史になっているということ。
目を通すと、瞬時にして当時の社会状況が垣間見え、一つの郷愁と感慨をもたらして
くれること。
それに、粗忽者(そこつもの・そそっかしい人)のサザエさんを中心として展開され
る笑いには、現代のえげつない刺激的なお笑いには無い、人の心を和ませ、人と人と
の関係で成り立つ社会の行く末に、ほのかな希望と可能性をもたらすエッセンスがあ
るということ。

私はこの漫画が多くの国民に愛されるのは(現に、テレビの「サザエさん」の視聴率
は長年上位にあり、フジテレビの看板番組となっている)、磯野家が常にどの時代に
あっても中流階級、中間所得層に位置づけられる暮らしぶりにある、と推察していま
す。
上流階級や金持ち一家では妬まれるし、あまり低所得だと生活臭が鼻についてうとま
れるし、、。
それでも、磯野家は父親(波平)とマスオさんがサラリーを得ている(二人とも年功
を積んだ平凡な社員の)ためか、私には生活水準は中の上、と感じられます。

その理由は。
私が驚いたのは、終戦間もない頃でもサザエさんを始めとして、誰もが身なりがいい
こと。
しばしば家族でデパートに出かけ、衣服や靴や鞄などを買い、食堂で昼食をとってい
ること。
毎日のように魚屋や酒屋やクリーニング屋の御用聞きが訪れていること。
正月やひな祭りや端午の節句などの季節の行事は、しっかりと伝統的に行っているこ
と。
早くから電気釜や電熱器やガスストーブやテレビなどの電化製品を購入していること。
来客などがあった時は、うな重や寿司やカツ丼やソバなどの出前を、頻繁にとってい
ること。

ちなみに「昭和恋恋・あのころ、こんな暮らしがあった」(山本夏彦・久世光彦共著、
文春文庫)という、昭和の庶民の暮らしぶりを写真と文章で掲載している懐旧的な名
本があります。
この本の頁を繰ってみると、昭和30年代までは、戦後の新興住宅街として開かれてき
た、私が育った目黒や世田谷の住民の生活ぶりが、懐かしく活写されています。
まさに現在の田園都市線が地下を走る前は、渋谷から二子玉川まで路面電車(チンチ
ン電車)が通っていた時代。駒沢オリンピック公園が出来る前に、駒沢球場があった
頃。
当時は、男の子は丸坊主か坊っちゃん刈りの頭で、下着のランニングシャツに半ズボ
ンといった格好をして、原っぱでチャンバラゴッコをしたり、それを赤ん坊を背負っ
た女の子が、板塀のそばで眺めていたり。
平屋の家の縁側では、割烹着を着た母親が編み物をし、近所の子供達が植木に囲まれ
た庭先でメンコをして遊んでいたり。やはり原っぱではオカッパ頭の女の子や、つぎ
のあたったズボンをはいた男の子が、水あめを舐めながら熱心に紙芝居を見ていたり。
その近くを自転車に豆腐や油揚げが入った木箱を積んだ豆腐屋が、夕焼け空に消えて
いく物悲しい音色のラッパを吹きながら通り過ぎて行ったり。
二股電球の灯りの下では、丸い卓袱台を囲んで、母親がお櫃(ひつ)からご飯をよそ
っていたり。
そんな私の幼少時の頃の光景が、サザエさんの漫画を見るたびに脳裏に浮かんでくる
のです。
私は、原っぱの紙芝居は人の輪を離れた遠くの方で眺めているか、子供たちの群れの
後ろの方に紛れて、身を小さくして盗み見をしていました。なぜなら、紙芝居は何円
かする駄菓子を買わない子はおじさんから「買わない子は駄目、駄目!」と叱られて
排除されてしまうから。

そうした子供時代(5歳頃から中学卒業の頃まで)を比較しても、サザエさんの家の暮
らしぶりは、私には「中の上」と映ります。
例えば「サザエさん」の第7巻(昭和26年10月から27年1月までの分を収録)を抽出し
て開いてみますと。
@ 籐椅子に座ってテーブルに地図を広げたマスオ「今夜のうちに、よ〜くスケジュー
ルをつくっておこう」反対の籐椅子に座ったサザエさん「わ〜ステキ。三日どまりで
箱根に!」地図を眺めるカツオ。
A 電車の進行方向を巡って、サザエさんとカツオが「海の見えるほうにかけようね!」
と、籐椅子2つを一方に向けて座る。それに対し波平が近づき「いや、はんたいだよ」
B 波平は丸椅子を持参して向きを変える。波平を先頭に籐椅子に座ったカツオ、サ
ザエが向きを変えて後ろにつく。それを見た母親(お舟)が「だけど、そっちは日が
あたりますよ」と。
C お舟も丸椅子を持参して最後尾に座って、4人はかしましく議論。それを眺めなが
らマスオは「チエッ、スケジュールは進行しないや」とぼやく。

昭和26年当時(敗戦後6年)、一家で箱根に3泊4日の旅行!立派な籐椅子のある居間。
これだけでも、うらやましいこと。
次にお金を支払うシーンが、旅行の最中に出てきます。
@ 車中で、ワカメが桃を二つ持ってサザエさんに。サザエさんは「まあ、いいこと!」
「どなたにいただいたの?」ワカメは窓の外の駅売りのおじさんを指差さす。
サザエさんは顔を赤らめ、100円札を差し出す。
1個50円なのか、おつりがあるのかわかりませんが、当時でさらりと100円札を出すの
にも、物価にも驚き。
A 宿でサザエさんが隣の部屋のマスオに「ねえ、女中さんにチップやらなきゃ、い
けないかしらね?」
「200円もつつんだらいいでしょうね?」マスオは困った顔で「さあ、、、」とうつむ
く。
サザエが隣の部屋を覗くと、女中さんがテーブルに配膳しているところ。顔を赤らめ
るサザエさんとマスオ。
今から63年前のチップで200円は、今では2,000円以上の価値でしょう。
B その他に、温泉卵をねだるカツオとワカメ。温泉卵は1個15円。
この半年ほどで価格の優等生・タマゴも値上がりしてきたようですが、当時の温泉卵15
円は高いのか、それとも現在の卵代が安すぎるのか。

いずれにしろ、漫画「サザエさん」を見ていると、色々と興味が湧いてくるのです。
戦後の古き良き山の手の、平凡な庶民生活を非凡に描いた「戦後の昭和のシンボル」
サザエさん。
私はこれからの日本社会の姿、家庭の有り様を模索する時、サザエさん一家の生き方
や当時の地域社会の状況が、極めてシンプルな一つのひな形になる、と思っています。
しかし、現代のギスギスした社会からは、最早「平成のサザエさん」は生まれないで
しょう。
だから私にとって「サザエさん」は、いつまでも寝しなの友として、忘れられない存
在なのです。

最後に一つ問題を。
「カツオは丸刈り頭ですが、一度だけ坊っちゃん刈りにしたことがある」
これは正しいか間違いか?
答えは正しい、です。
第2巻(昭和22年3月から23年10月分までを収録)の2作目と3作目に、坊っちゃん刈り
で出てきます。
しかし、4作目ではすぐに丸刈り(坊主刈り)に戻り、以降はずっと丸刈り。
不思議です。

それでは良い週末を。