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東井悠友林


     〜 〇〇のために 〜

                                           元(株)電通取締役 関西支社長 
                                                   内 海 朋 基
内海朋基氏写真


私は昭和22年に広島県に生まれ、高校卒業後東京で学生生活を送り、昭和46年より大
阪で社会人生活をスタート。
以来45年間大阪を離れることなく、最終的に平成25年6月末に現役を退きました。2
年半の顧問を経て、現在は100%組織から自由な生活を送っております。
 その間、骨髄バンク設立の活動を通して、当時厚生省にお務めだった東井さんのご縁を
頂いたのがほぼ四半世紀の昔、その関係で東井悠友林の末席を汚して現在に至っておりま
す。

 年を取るということは、なかなか辛いことも多いのですが、一方で、経験を積み試行錯
誤を重ねてこそ知りうることもあり、改めて味わい深く来し方を振り返ることも有ります。
 先日会社のOB会主催によるバス旅行で、比叡山延暦寺にお参り致しました。根本中堂
の前に3メートルほどの高さの石碑があり、そこに「照千一隅此則國寶」と記されている
のを見て、思わず私は声を上げていました。実はその昔、新任役員紹介の社内報に、座右
の銘として「一隅を照らす」を掲げたのでしたが、この言葉がなぜその時私の頭に浮かん
だのか、自分でも判然としなかったのでした。比叡山を下るバスの車窓からは、「〇〇の
ために」、と記されたプレートが連なっているのが見えていました。
 広島の田舎は浄土真宗の門徒であり、祖父母は口癖のように「人様のためになるように」
「世の中のためになるように」と、まだ幼い私たち兄弟に言い聞かせていたことも、車窓
を流れる景色にダブって、60年以上の遠い昔の記憶として蘇ってきたのでした。

社会人になって最初の10年ほどは、組織や仕事や人に馴染めず、ほぼ1年2年で部署を
たらい回しになる状態でした。
そうした環境の下で、「自分はいったい何のために働いているのか?」という、ある意味
で青臭い根本的な課題に向き合うことになったのでした。そうした悩みなど微塵もみせる
ことなく、快活に「お金儲け」に活躍する同僚にも、ますます距離を感じるようになって
いったのでした。
 転職をめざして社会保険労務士の資格取得の夜学に通ったり、翻訳で食っていこうかと、
新婚の妻に英文タイプ{時代ですね!}を打ってもらい、満員の通勤電車のなかで読み込
んでは週末に原稿用紙に向かったり、いろいろとチャレンジを重ねたのでしたが、いずれ
も物にならず終わってしまいました。
 やがて時は経過し、めぼしい同期生もほぼ全員が部長昇格を果たしたころ、同僚のM君
が白血病を発病したのでした。助かるためには、当時極めて先端的な治療法であった骨髄
移植しか方策がないことが判明、彼のためにHLA合致者を探す取り組みを私が中心とな
って行うことになりました。千人を超える人々から採決と実費1万円の協力を得ながら、
結局合致者に恵まれず、大きな挫折感に打ちのめされたのでした。その時、骨髄バンク推
進活動の先駆者の方々から、「遠回りに思えるかもしれないが、特定の誰かのためではな
く、不特定の多数の人々のために作る骨髄バンクしかないのだ」と、諄々と教え諭された
のでした。自分や自分の家族や自分の友人や、そういう「エゴ」を超えた「〇〇のために」
が必要だったのです。

当時私が所属していた職場の総力を挙げて、骨髄バンク設立推進のための全国TVキャン
ペーン「10万人目の奇跡」に取り組みました。厚生省の後援名義をお願いに伺ったとき、
「まさにこういう仕事のために自分は厚生省に入ったのです」と、異例のスピードで名義
の了解を取って下さったのが東井さんでした。骨髄バンク活動に携わる多くのボランティ
アの方々や医師の方々の、自己犠牲の上に立った姿に強いインパクトを受け、自分の内面
に埋もれていた価値観に初めて目覚めた思いが致しました。

 その後私も管理職となりましたが、上司から見れば決して御しやすく使いやすい部下で
はなかったと思います。やっと見つけた「自分が大切にしたい価値観」を不器用に守って
いこうとする私を、10年15年の単位で我慢しながら見守り育てていこうとしてくれた
上司たちのおかげで、68歳の年まで会社組織を通して社会に貢献できる道筋を与えてい
ただく事ができたのでした。
 そしてここ3年は、福井県大野市という町の「地方創生アドバイザー」として微力を尽
くしております。それまでは全くご縁のなかった大野市ですが、人と人とのつながりで市
長さんとのご縁をいただき現在に至っています。

 人のご縁につながって求められる限りは、今後も微力を尽くして、少しでも世の中への
恩返しに結びつけて参りたいと願っています。70歳の年を目の前にして、祖父母に教え
られた生き方の「とば口」にやっと立つことができたのだろうか? と思ってみたりする昨
今です。

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