この14日、細川・元首相が東京都知事選(1月23日告示、2月9日投開票)に、「脱原発」
を掲げて立候補することを表明しました。
「原発の問題は、国の存亡に関わるという危機感を持っている」とし、原発ゼロを公
約の主柱として都民に訴えていくとのこと。
この細川氏の主唱を、「東京を原発なしでやるという姿を見せれば、必ず日本を変え
ることができる」と小泉・元首相が支持。都知事選での積極的支援を約束。
一方、「いま原発ゼロと約束することは無責任」と公言している安倍首相。
「今年中の原発の再稼働」を窺っている自民党。
その政権与党・自民党が支援する舛添・元厚生労働大臣も、この日、正式に立候補を
表明。
これにより、小泉氏の言葉を借りると「今回の都知事選は、原発ゼロでも日本は発展
できるというグループと、原発なくして発展出来ないというグループの争い」に対立
の図式が描かれた模様。
俄(にわ)かに都知事選が白熱を帯びてきました。
テレビや新聞からは「殿(細川氏)はご乱心だ!」「小泉氏は晩節を汚す」などと、
評論家や政権中枢からのあらぬ声も聞こえてきますが、私は「二人とも良く決意した」
と感心しました。
細川氏は、東京佐川急便からの1億円借入金問題の責任を取り、政界を引退。
その後、今日まで10年以上もの期間、一人の国民として政界とは一線を画し、陶芸や
絵画や俳句の趣味に没頭する日々を送ってきたのです。
先年、駒沢公園近くの古美術店で、氏の陶芸品の個展が開催されていましたが、その
腕は玄人跣(はだし)と言えるでしょう。
片や、久々に政治の世界に顔を出した、銀髪のライオン丸、小泉氏。
郵政民営化一本で国民の圧倒的支持を受けて首相になり、自民党の支持率を支えた功
労者。
功なり名を遂げて、細川氏と同様に悠々と暮らしていた小泉氏が、安倍・自民党政権
の「原発政策」に、身を乗り出して反旗を翻したのですから、驚きました。
東京電力、経済産業省を中心とした官僚、それに原発関連の族議員などの「既得権益
グループ」の人々は、腹の底から二人の事を苦々しく思っていることでしょう。
私は、今回の二人の行動には、金や名誉や権力が欲しくて欲しくてしょうがない(と
しか映らない)他の多くの政治家(屋)たちと違い、「我が人生も先が短い。だから人
生に悔いを残さないよう、最後に日本のためになることを、やるだけやってみよう」
といった動機が働いているのではないかと、推察しています。
勿論、もっと複雑で通俗的な動機もあるのでしょうが、私には意外と純粋でシンプル
な心意気からの行動に映ります。
しかし、二人がいくら首相経験者といえども、選挙当日までの期間に国家権力とそれ
に追随する既得権益グループは、あの手この手で二人の追い落としを図るでしょう。
どのマスコミがネガテイブ・キャンペーンを張るか、どの政党、どの政治家や評論家
が反細川で息まくか。
安倍・自公政権が、いよいよ独裁体制を完成させ、日本の国を自分達の意のままに動
かしていくための、最後の戦いが始まるように、私には感じられます。
「脱原発は国政の問題。都政では介護問題や災害対策などの幅広い公約で戦え」とか、
「小泉氏は、郵政民営化の時と同様、敵か味方か、賛成か反対かというワン・イシュ
ー(1つの争点)の戦いを仕組んでいる」「借入金問題で辞任した細川氏に、立候補
の資格は無い」という声が日に日に多く報道されてくるでしょうが、「脱原発」を今
の国政で図ることは無理でしょう。
さらに幾つもの綺麗ごとの公約を競い合う欺瞞性は、先の参議院・衆議院議員選挙結
果でも明らかなところ。
重点公約でもなんでもなかった特定秘密保護法などが、多くの国民の不安や反対の声
をよそに、自・公・みんなの党の暴走で可決・成立してしまう有り様なのですから。
日本の国策の中でも、憲法改正のあり方と同様に、原発(エネルギー政策)のあり方は
現在から未来に渡る日本の最重要課題。
国民の全ての生活を規定するとも言えるでしょう。
今の状況が投票日の2月9日まで激変しない限り、今回の都知事選は、これからの日本
の進路を決定づける、ミニ国民投票の性格を帯びるでしょう。
福島第一原発の事故から、今春で丸3年。
原発問題が風化してきた今、逆に再稼働と世界への日本の原発技術のセールスに奔走
する安倍政権。
原発ゼロの必要性と問題点を改めて整理し、「脱原発」にイエスかノーか、最終結論
を都民・国民が出す時が来たようです。
この選挙は、憲法第9条改正の前哨戦とも思えます。
有権者都民は勿論のこと、国民全体の重大なる意志決定が求められてきます。
厳寒のこの冬は、意外な所から熱くなってきました。
それでは良い週末を。