立春の日に

一昨日の2月4日(火)は、立春。
暦の上ではこの日から春ですが、例年の予想にたがわず、今年も厳寒の1日になりま
した。
まさに春は名のみ。
しかし、私にとってはチョッピリ熱い1日でした。
その原因は、現在の乃木坂にある私の事務所を、南青山に移転すること。
これに伴う「新事務所の賃貸借契約」にあったのです。

現在の事務所所在地は、港区六本木7丁目。
乃木神社の間近で、東京ミッドタウンや国立新美術館や六本木交差点なども至近距離。
最寄りの駅も千代田線「乃木坂」を始め、半蔵門線「青山1丁目」や日比谷線「六本
木」も徒歩10分ほどで便利。
そして住環境は、外苑東通りから数十メートル入った住宅地の一角に建ち、まさに閑
静。家賃も周囲の物件と比較して割安感がありました。

このマンションに入居したのが2008年2月4日。
丸6年前の立春の日でした。
当時、三重県厚生農業協同組合連合会という、三重県下に7病院を設置・運営する医
療団体にほぼ4年の期間、役員として務めていましたが、60歳の還暦を迎えたのを機
に、半年ほど任期を残して2007年末に退任。
以前から「60になったら潔く後進(生え抜きの人達)にポストを空けよう」と決意し
ていたことを実行したまで。
そして帰京。
この時、厚労省関係団体への再就職の話も幾つかありましたが、「宮仕えは60までで
いい。これからは自分で何かをやってみよう」という意志を捨てがたく、株式会社を
すぐに設立。
そしてインターネットで今の事務所となる物件を探り出し、2008年2月4日に入居した
のです。
前述したように、便利で閑静な立地、費用対効果は満足いくものでした。

ただ難を言えば、建物が古いこと。
迂闊なことに築年数を把握せずに今日まで来ました。
当時案内されて手渡された広告チラシにも、その辺は記載されていないのです。
仲の良い管理会社の古手職員に尋ねても、明快な回答はなし。
無理して詰問はしませんでした。
でも、建物は古いが玄関や廊下は常に清掃されており、ゴミ出しの処理も適切だし、
なんら不都合はなかったのです。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災以降、事情が変わりました。
あの地震当日の建物の激しい揺れ方に仰天した入居者が、日を追うごとに少しずつ退
去していったのです。
それでも私は「あの震度5強の揺れは激しかったが、特に壁やフロアに亀裂が生じた
り破損したりした実害はなかった。だから意外と耐震性があるのではないか」と楽観
的に考えようとしてきました。
でも今年の正月明けに、私と同年輩とおぼしき最も古参の入居者から、「私はこの春
に退去していきますが、東井さんは?
隣のビルの耐震調査に来ていた技師が「ここは調査をしても無駄だ」と言っているん
ですよ。もう3分の2ほどの人が出ていったでしょ。
内覧に来た人も耐震性が不安で、契約に至らないようですよ」との話を聞き、私も考
えてしまったのです。
それより、そろそろ何か節目に当たっていて気分を一新したい、という思いも働いて
いたのです。

それから。
話を急ぎます。
先月の中旬以降、毎日帰りがけに青山1丁目から表参道までの地域を見て回り、1軒
の不動産屋に辿りつきました。
80歳の温厚な社長と3人のおばちゃん職員が働いている、開業47年の地元不動産屋。
そこで紹介された一つの物件を、新事務所にしようと決心。
内覧して、私が考える賃料と地域の範囲で選択できる、ベストではないがベターな物
件と判断。

それから1週間。
主な書類の説明を受け、2月4日の午後3時に契約をすることに。
「社長、契約が終わったら近くで乾杯しましょう」と。
そして前日の2月3日、節分の日。
天気予報では、明4日は冷え込んで午後からは東京でも雪に、と。
それで私の方から急遽、「時間を午前10時に早めましょう」と電話を。
だが、自宅で夜遅くまで物件の最終確認をするため、インターネットで情報を検索。
すると2点、気になる書き込みが。
「管理組合の総会等で、理事長などの役員に対し、所有者側の厳しい批判があること。
タレこみ(嫌がらせ?)で、出会い系の商売をしている部屋に対する警察の捜査があ
ったということ」
それを閲覧して私は嫌な気分になり、「契約は延期か、取りやめにしよう」と決め、
そそくさと就寝。

翌4日。
10時に不動産事務所を訪ね、私は前述した事柄や不満をぶつけました。
じっと聞いていた老齢の社長は、穏やかな口調で「多くの人が入っている大型マンシ
ョンですので、中にはわからない連中もいるかも知れません。それは小さなマンショ
ンでもあることです。
私は長年、青山で仕事をしてきましたが、総合的に見て良い物件だと思いますが。
でも、嫌だなと思われるのなら、辞められた方がいいでしょう。
やはりご本人の気持が一番ですから・・」と。
「それでは、他に良い物件はないですかね」

それからパソコンに向い、二人で業務用のあらゆるサイトを注視し、良い物件がない
かを検索。
しかし、1時間ほど探し回り、2件ほど良さそうな物件の仲介業者に電話すると、これ
らはすでに契約済み。
金額に糸目をつけなければ見当たるのでしょうが、条件内の検索では適当な物件は全
くなし。
1時間ほどの作業で徒労感が出始めたので、私は気分転換に社長を昼食に誘い、社長の
馴染みにしている外苑前の飲食店に。
そこで素晴らしく美味い定食を食べ、勘定は私が。
すると社長が「この先のスタバで、珈琲を飲みましょう。私に出させてください」と。

その時すでに私の心の中では、「インターネットの情報も結構だが、やはり最後はそ
の道のプロの情報と見立てが大きい。でも、その人を信頼できるかどうかだ」との考
えが芽生えていました。
スタバでは、二人で窓辺のカウンターに座り、みぞれが降りしきる舗道を急ぐ人々を
眺めながら、81歳とは見えない、物静かだが矍鑠(かくしゃく)とした社長と、色々
な話を交わしました。
「どうして不動産屋に?」
「1カ月に仲介料を幾つかとれれば生活が出来るのと、この仕事は内勤だけではなく、
現地の内覧に出かけるので、気分的に私にあっていたのでしょうね」
「社長はお酒は?」
「若い頃から酒が好きで、もう一生分の量を飲みましたから、今は殆ど飲みませんね」
「読書やテレビは?」
「目が弱るので本は読まないし、テレビも観ません。ラジオを聴いてばかりですね」
それから健康の秘訣や今の若者の話、政治の話などをゆったりと話されていました。
「いつまでも自分の好きな仕事を続けているのが、やっぱり健康に一番いいんでしょ
うね」。
私はみぞれが激しくなる外の景色を眺めながら、「この人は信頼できる」と内心で呟
いていました。
店を出る時、「やはり予定通り午後3時から契約をしましょう。一度事務所に戻って3
時に来ます」と告げると、「ありがとうございます」。
社長は柔和な顔で、優しくそう答えました。

午後3時から。
私は契約書の各条文に目を通し、チエック。
主語が曖昧な条文、あとで誤解が生じやすい条文(長年定型化されて使用中)を、私
が修整。
それを職員が打ち直し。
実印の押印が終了したのは午後5時。
いささか疲れた私は、外の雪模様が心配ですぐに帰宅しようとオーバーを着始めると、
社長が「一杯行きましょうか?」と。
「いや、今日はこんな天気だし、後日にしましょう」とやんわり断り、社長に別れの
笑顔を向けると、何となく寂しそうな表情を。
私は立ち止まり、少し間をおいて「そうですね。軽く乾杯して帰りましょうか。約束
でしたもね」と答え、二人して事務員に見送られて店を出ました。

牡丹雪が降りしきる外苑前の舗道を、傘をかがめながら社長の行きつけの魚料理が中
心の店へ。
カウンター主体の洒落た気さくな和食店。
マスター以外、客もまだ一人としていない店内。
私はビールを注いだグラスワインを掲げ、「それでは、契約成就と、立春、大安の夜
に乾杯!」と告げ、ビールを一気に飲み干しました。
すると不意に、乃木坂への引っ越しを終えて自宅で一人、ビールを飲みながらこれか
らの事を思案していた6年前の、今月今夜のことが思い浮かんできたのです。

さて、3月になったら事務所移転。
これからどのような日々が待っているのだろうか?
そんなことをちらちらと考えつつ、社長と静かに語りながら1時間半ほどして店を出る
と、いつしかあの降りしきる雪はやみ、舗道を覆っていた雪は嘘のように溶けて消え
ていました。
そうだ、亡き母が私の若い頃に諭すように云っていたっけ。
「朝仁、先案じしては駄目だよ。なってくるのが天然の理だよ」

また春がやってくる。大丈夫。それを待つのだ。
そう固く誓った立春の夜でした。

それでは良い週末を。