偉大なる平凡

日本列島は、二週連続して大雪に見舞われました。
これほどの東京の豪雪は、私が小学生の頃に1度経験したことがありましたが、それ
以来の出来事です。
最初の大雪は先週の2月8日(土)。
そして翌日の日曜日(2月9日)は、深い雪があちこちに残る中、「東京都知事選挙」
が行われました。
私にとっては、近年にない暗い日曜日となりました。

この夜、午後8時から始まった開票作業のわずか5分後。
テレビから早々と自公政権が推す舛添氏の当確のニュースが流れました。
この時の投票率の低さ(棄権をする有権者の多さ)に驚くとともに、多くの都民の無
気力・無関心を垣間見た思いがしました。
そして、東京都民の有権者のたった5分の1程度の人達の投票が、我が国の政治の行
く末に、重大な影響を与えてしまった。もしかしたら戦後民主主義の終わりの始まり
となる忘れてはならない日曜日かもしれない、と嘆息したのです。
今まさに、我が国の国政のスタンスを「パワー・ポリテイックス(武力を背景にした
政治・外交)」に切り替え、いよいよ独裁的に権力政治を強行し始めた自公連立政権。
首都の知事選の結果は、結果的に彼らの政治に信認を与えてしまったのです。
深い失望感が心に広がりました。
そこで、この二つの何とも言えない重苦しい心情をつづり、その日の夜にメールを配
信したのは、周知のとおりです。

そして今週の日曜日(2月16日)。
前々日から再度の大雪に見舞われました。
でも先週とはちょっぴりと異なる、気分が明るい日曜日となりました。
私は、今だかってない積雪で折れ曲がってしまった庭先の3本の植木に副木を当てて
立て直し、さらに門扉の周辺や私道を埋める雪をスコップでかきわけ、何とか当座の
除雪を終えてから、駒沢大学駅前の喫茶・ドトールへ行きました。
そこで1冊の新書を、ゆっくりと読了したのです。
久々に心が和らぎ、また勇気づけられた気がしました。
その書籍名は「心の力」(集英社新書)。
著者は、東京大学名誉教授の姜尚中(カン・サンジュン)氏。
全200頁ほどの、コンパクトな新書です。

私はここ数年、「何とも言えない日本社会の暗さ、羊の群れの様な画一的で無気力な
人々」を感じ、深いため息をついてきました(自分のことは棚に上げて)。
日本の社会はどうなってしまったのだろう。
街をゆく人々の表情はなんて暗いのだろう。
ホームでも車中でも喫茶店でも殆どの人がスマホと睨めっこ。スマホを眺めながら自
転車をこいでいる人もいます。
かって流行語になった「一億総白痴化」の言葉が脳裏をよぎります。
また、商品や雑誌や店の看板や若い人が歌う歌などでは、わけのわからないカタカナ
語が氾濫し英語のフレーズがあちこちに散りばめられています。
老いも若きも「英語をマスターしないと、これからは生きていけなくなる」との強迫
観念に追い立てられているふうに見えます。
本屋に行くと、仕事や人間関係や金儲けや痩身や栄養のためのハウツウ本・マニュア
ル本が山積み。
フアッションもジーンズにダウンジャケット、黒の背広に黒のコートというように、
誰もがみな画一的。この画一的で無個性な群衆が、みな押し黙ってスマホを覗いてい
る光景は、不気味とも言えます。

どうして日本の社会は元気が無くなったのだろうか。
幾つか要因を探ると。
リーマンショック以後のデフレ不況、2011年の「東日本大震災」以降の天変地異に対
する終わりなき不安、隣国である中国や韓国や北朝鮮との緊張度が増す外交関係、少
子高齢者の到来(大量の団塊世代の定年退職)、それに戦後最大の政権交代を
果たした民主党政権が、多くの国民の熱い期待を見事に裏切ったことなどなど。
ここ数年、日本を暗くする出来事が相次ぎました。
これらが社会に深刻な影を落としていることは、否めません。
そこで現政権が打ち出した政策方針は。
@「アベノミクス」で財政出動。お金を徹底的に市場に放出し、円安と株価上昇、
 デフレ脱却によりGDPの増加を図る。
A2020年の東京オリンピック開催に向け、基幹施設・道路整備などを国と都が一体と
 なって強力に進める。
B福島第一原発の事故は完全に封じ込めた。他の原発も十分な安全性を確認して再稼
 働させ、一方で原発技術の輸出を促進する。
C医療保険や介護保険にかかる国庫負担金の増加を抑えること。国民は公助に期待す
 るだけではなく、自助(自己負担・自己責任)に努めること。また年金支給額や支
 給年齢を調整し、制度の持続可能を図る。
D領土・従軍慰安婦問題を焦点とした「対日」を進める中国・韓国などに対しては土
 下座外交はせず毅然として対応する。有事に備え、軍事力の一層の増強を図り、強
 靭な日本を復活させる。
E自民党以外の政党に政権を担わせるのは無理。反対しか叫べない野党などに国民の
 信はない。決められる、スピード感のある政治を進める。
こうした主張が、端的に言えば今の政権の政治スタンスと解釈できます。

だが、本当にそれでいいのだろうか?それで日本の社会は元気が出て、国民の多くが
将来に希望が持てるようになるのか?
私は極めて疑問で、危険に感じるのです。
表現が不穏当かもしれませんが、全ては「出たとこ勝負」、「カネまかせ」の政治。
国民の一部も、現在の株価上昇を受け、「やっぱりアベノミクスでしょう。高邁な理
屈より自分達の利益確保が第一でしょ。貧乏になるのも格差差別を受けるのも、自己
責任でしょ」と。
そして「中国や韓国になめられるな。武力で威嚇しろ」と叫んでいる国民も、若者を
中心に徐々に増加傾向に。
こうした人々が増え、国家権力に拍手を送り、反対派には「国賊は日本から出ていけ!」
と罵詈雑言、嫌がらせを行う。やがて「日本万歳!」の提灯行列が延々と続く時代が
再来する。「そんな可能性はゼロ」とは誰も断言できません。
国の借金が1000兆円を超して子孫に大きな負債を残そうが、ダムや道路や各種補助金
の歳出予算が無駄だと言われようが、1票の格差や武器輸出や集団的自衛権の行使は
憲法違反だと指摘されようが、国債が未達となり金融恐慌に突入するまで国はカネを
ふんだんに使いながら暴走して行くのでしょうか。
つい2〜3年前まで国会で議論されていた「財政再建」。
この議論は一体どこに消えてしまったのでしょうか

私は「既に訪れている少子高齢社会に即応し、GDPと平均世帯所得が低下傾向になる
のを覚悟で、心豊かな共助に価値を置く文化社会の構築に国政の舵をきること。
徹底したしなやかな平和外交に全ての重きを置き、どの世界からも敬愛される中立的
な文化国家を目指すこと。
そして代替エネルギー開発などの新たな、技術と英知に長けた日本ならではの産業革
命を遂行して行くことが、これからの日本のありかた」と考えているのですが。
しかし、「グローバルの観点に立ち、徹底してGDPの増加を図り、競争力に基づく自
己責任の社会」が、どうも我が国の目指す方向の主流になってきたようにも感じられ
る昨今。

だから、「前述した懸念は私だけの悲観的な見方か?意外と社会の実相は明るくて、
人々は何の痛痒も感ぜずに日々の生活を送っているのかも。
要するに政権与党や都道府県知事や地方議員が今日の日本の政治をなしているのであ
り、彼らを選んだのは、まぎれもなく主権者である国民。例え得票率が低くても、そ
れが議会制民主主義である。
今の政治に文句を言う前に、それが今の国民の心ということも否定できない」という
自問で揺れ動きます。
そんな都知事選以降の、すっきりしない心。
その暗い心に柔らかな光を射しこんでくれたのが、先の本「心の力」でした。

その話は、次回に。
それでは良い週末を。