「将来に希望が持てない、何とも言えない暗さに満ちた日本社会。
羊の群れの様な、画一的で無気力な人々。それをいいことに狭量な視座に立ち、大量
の議席数を盾に独善的・独裁的に事を進める、極めて冒険主義的で危うい政治。
一体、明日の日本はどうなってしまうのだろうか」
先週は、そんな鬱々とした心情をエッセイで書きました。
そして、二度の大雪による残雪の道を歩き、フラリと立ち寄った本屋で出会った1冊
の本。
これが陰鬱なる我が心に、柔らかな一条の光を射しこんでくれたのです。
その本の名は、東京大学名誉教授で政治学・政治思想史を専攻とする、姜尚中(カン
サンジュン)氏の「心の力」(集英社新書)。
今回は、ごく簡単にこの本の概要に触れたいと思います。
本書では、著者が長年愛読・研究してきた、ドイツの文豪トーマス・マンの名作「魔
の山」と、漱石文学の絶頂をなす夏目漱石の「こころ」が題材として取り上げられて
います。
それぞれの主人公、ハンスと河出育郎(注・「こころ」の中では「私」となっている
が、姜氏の書籍中では「河出育郎」と仮名で表現)が生きた時代は、ほぼ百年前。
二人とも現代の若者の心にも通底する、実に平凡な若者。
その彼らの若き頃の生き方と、物語が終わった後の「それから」があるとしたら、二
人ともどの様に生きたであろうかという想像から物語を構成し、読者に「今を生きる
私達の心の力」の大切さと「それをどうしたら会得できるか」を、語りかけているの
です。
まず、私が同書を通読する気になったのは、氏の国内外の状況分析が、私の考えと全
く同感だったからです。
まさに、我が意を得たり、と膝を叩きました。
この現状認識が、著者をして本書執筆に駆り立てたことが、容易にうかがえます。
そのあたりの叙述を、ちょっと長いですが紹介します。
「この20年間、世界を席捲したのは「もっと自由を、もっと市場を!」の合言葉でし
た。
そしてソ連などの旧社会主義国も、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの国もこぞ
ってそれになびき、いまやグローバル資本主義が地球を覆うことになりました。
確かに、IT技術の普及やデジタル情報システム、コミュニケーション・ネットワーク
を通じて、それまでの光が当たらなかった地域や人々に新しいチャンスが訪れ、貧し
さや無知から脱却し、自己実現の機会を活かせる時代が到来したと言えるかもしれま
せん。
しかし、そうした明の部分にも増して、その暗の部分がより深まり、広がろうとして
います。
地域や階層の間にある格差や貧困の拡大、金融優先の経済システムの脆弱さやモラル
ハザード、激化する優勝劣敗や雇用不安、ヘイト・スピーチや隣人への無関心など、
先進国、途上国を問わず、多くの不幸や悲惨、憎悪がばらまかれ、他方ではそうした
問題に取り組んでゆく仕組みや制度がすたれ、安定した秩序はもはや望むべくもなく、
一年先、二年先のことすら誰も予測できなくなりつつあります。
とりわけ、この間の金融危機や債務危機の連鎖の中で、国家破綻の危機すら、先進諸
国ヨーロッパを襲うようになり、また基軸通貨のアメリカまでも債務不履行の瀬戸際
まで追いつめられ、日本もまた物価と金利の上昇、国債暴落というリスクを抱えたア
ベノミクスに望みをつなごうとしているのです。
自由な資本主義、規制の無い市場経済は、安定するどころか、マネーの流れに左右さ
れる不安定な経済になってしまいました。
その結果、私達はジエットコースターのように急激に上昇し、そして降下する世界の
中で泡沫のような希望と、尽きない不安を抱えながら、自己防衛に走らざるをえなく
なっているのです」
「漱石は「神経衰弱は20世紀の共有病なり」と云いましたが、それから百年後の現在、
日本のうつ病患者は百万人ほどいると言われ、「自死」者は年間三万人を超えます。
韓国でも自死者は一万五千人近くで、10万人当たりの死者数では日本を上回っていま
す。
いかに人々の精神が危機的状況になっているかが、わかるはずです。
一体、なぜこんなことになったのでしょう?
このことは、いま世界中で吹き荒れているグローバリゼーションの嵐と無関係ではな
いと思います。
尋常ならざる「自死」者の数は、その見えない弾に当たって命を落とした人々の群れ
なのではないでしょうか。
懸念されるのは、この武器なき世界戦争が更に激化し、敗者がもっと増え、怨嗟がつ
のって恐ろしい爆発を起こすことです。
陰湿ないじめや、無差別な凶行、さらにネットを駈けめぐる鬱憤晴らしのためのスケ
ープゴート叩き。
また、かっての国粋主義を彷彿とさせるようなヘイトスピーチ。
これらを見ていると、グローバル資本主義の敗者たちや没落の不安に怯える人々の中
で、排他主義や社会の「異物」への攻撃にはけ口を見出す傾向が顕著になって来てい
るように思えてなりません。
現代の荒廃した心は、思った以上に危険ラインに近づきつつあるのではないでしょう
か。
漱石やマンたちが描いたのは、いわば「心が失われ始めた時代」の心でした。
それから100年後の今、私達はすでに「心なき時代」の心に向いあっている・・・と
言っても云い過ぎではないでしょう」
氏の社会分析の論述は、私が今まで何回もエッセイで述べてきたことと、殆ど共通し
ています。
著者の現状認識を知って我が意を得た満足感に包まれ、この1点を持ってして同書を
買った目的が達せられたのですが、せっかくなので読み進めました。
「一体なぜ日本社会はこんなに生きづらくなってしまったのか?」
私はその要因を政党政治の堕落、外交・防衛政策や経済政策の迷走、行政のみならず
企業や学校における管理・官僚主義体制の弊害、国家権力に追随するマスコミの姿勢
などに求めてきました。
しかし、姜氏は「人々の心のありよう」にスポットを当て、そこに原因解明と解決の
糸口を探っています。
具体的に述べると、氏は本質的な理由として、次の3点をあげています。
まず1番目は、「人々の価値観が画一化し、代替案というものを考えられなくなった
こと」。
答えは一つではない。常識的に良いと言われること以外にも、自分にとって最適の何
かがあるはず。
一つの価値観しか持っていないと、それが崩れた時に逃げ場がなくなる。心の救いが
なくなる。
代替案を考えられない心は幅のない心であり、体力のない心。
心の豊かさとは、究極のところ複数の選択肢を考えられる柔軟性があるということ。
2番目は「人と人とのつながりが薄れ、危機に陥っても誰も助けてくれない。少なく
ともそう思っている人々が多いということ」。
大学を卒業しても職に就けない人、リストラにあって生活が困窮している人、老化や
貧困や心身の病などで社会から疎外されている人・・・。そうした人を見ても手が差
し伸べられない
現状。だから人々は見て見ぬふりをしてしまう。
ふと見渡せば、我々はみな孤立して、隣人を失ってしまっているということ。
働かない者になぜカネをやるのだ、失敗したのはリスク管理能力がないからだ、出来
ない者に仕事をやる必要はない。
このように「すべて自己責任の問題」に還元し、社会に不利益が生じない様にしよう
とする意識が働いている。
友人関係でも突っ込んだ関係になって面倒なことならないよう、当たり障りのない関
係を保ち、いざとなったらサッと切ることができるような関係しか築こうとしない。
しかし、今までは互いを支え合う相互扶助の精神が社会にはあった。人は多少失敗し
ても即座に奈落の底に落ちたりせずに済んだ。
それが今は失われている。
人心の安定と社会の安定は密接に関係している。
今は、失敗したら即アウト。その結果、人々は極端に慎重になり、大きな冒険をしな
くなり、社会全体が委縮してしまっている。
革新的なものも生まれなくなり、何の面白みもない世界になっていくような気がする。
3番目は前述の2点と関係するが、「価値観が画一化し、選択肢が少なくなったため
に発想力が貧困になって、何をしたらいいかわからなくなっているということ」。
失敗しても誰も助けてはくれないから、みな恐怖に駆られて必死に走る。
しかし、そうでありながら、自分は何を目指すのかという目標が見つからない。
ただむやみに走り続け、その果てに精も根も尽き果ててしまう。
これもまた、今多くの人々が心の病に陥っている大きな理由。
著者の指摘はまさに正鵠を得ている、と私は感心しました。
さらに著者は、「社会に望みがなければ、そこで生きる人間の人生も望みの無いもの
になり、社会が豊かで生き生きとしていれば、そこで生きる人間の人生も豊かになり
ます。
時代が病んでいるのに人間は健康的に生きろと言う方が間違いなのです」と強調して
います。
そして、次のように若い人を視野において、励ましの言葉を述べています。
「私はいま言いたいのです。世間で云われている方程式に従ってたった一つの高い理
想を描き、そこからはずれたらおしまいだ、などと震え上がらないでください、と。
まずは自分がいいと思う道を進んで、それが駄目だったら、いくらでも図太く方向転
換すればいいのです。
心の豊かさとは、けっきょく自分の中に選択の幅を持っていることなのです」
「こうでなくてもあれがある。あれでなくても、これがある。できるだけ沢山の選択
肢を考え、その中から自分が一番良いと思う方法をとる。
それが「魔の山」のハンスや「こころ」の河出育郎といった、平凡な青年が教えてく
れた生きかた。
それはただの凡庸ではなく、幅と深みと余裕のある「偉大なる平凡」です。
偉大なる平凡には、大事な要素があります。それは、人の意見をたくさん聞きながら
も、「染まらない」ということです。
また、私は人間と人間の信頼関係というものは、「自分を投げ出す」「相手を受け入
れる」というやり取りによって成り立つのではないかと、常々考えてきました」
論述は様々に展開して続きますが、最後の言葉が今の私に大いなる刺激を与えてくれ
たのです。
「生きづらくても、生きづらくても、最後まで放り出さず、ぎりぎりまで踏ん張って
見てほしいのです。
人生のイニシエーションを受けながら、決して染まらず「まじめに生き続ける」こと。
まじめであるから悩み、その中で悩む力が養われていくのです。
そしてこの悩む力こそ、心の力の源泉なのです」
人を信じる。仲間を裏切らない。まじめにひたむきに生きる。平凡な仕事・平凡な生
活・平凡な日々を大切にしながら、自己の信念を貫き通す。
私は、今までもそう生きることを心の中で固く誓ってきましたが、残された人生もそ
のように生き続けたいと
願いながら、本を閉じました。
久々に心が救われた1冊でした。
それでは良い週末を。