一昨日(4日)、事務所の引っ越しを行いました。
作業は兄と二人で、午前10時に三軒茶屋で軽四輪トラックのレンタカーを借り、乃木
坂の旧事務所と南青山の新事務所間を5往復。
それでも作業終了は午後4時。
当初、乃木坂(乃木神社近く。住居表示は六本木)から南青山(地下鉄「青山1丁目
駅」前。ホンダ本社ビルの裏手)までの搬送なので、タカをくくっていました。
距離にしてたかだか500メートルほど、車で5分ほどしかかからないからです。
それが意外と作業に手間がかかり、レンタカーを返した後は、三軒茶屋の居酒屋の椅
子にへたりこんでしまいました。
勿論、一杯200円ほどの白鶴のコップ酒をあおりながら。
2007年末に、三重県津市に本部がある「三重県厚生連」の役職を退任して帰京。その
2ヶ月後の2008年2月に株式会社を設立し、乃木坂に事務所を設立。
あれから、早や6年が経過。
あの頃は立て続けの引っ越し作業にもかかわらず、全く疲れなどは感じることが無か
ったのに、この体たらくには我ながらショックでした。
先週の1週間は、引っ越しの準備に追われました。
いらない書類や手紙や名刺などは丁寧に裁断し、処分する書籍にはどんどん紐を掛け、
「東日本大震災」後に備蓄したカロリーメイトや大量のミネラルウオーターは、幸い
に賞味期限切れなのですべて廃棄し、あるいは「にんにく酒」の試作用に使用した20
個ほどの瓶も廃棄しました。
また、スプリングが破損した3人掛けのソフアを粗大ゴミで廃棄したり(エレベーター
のない3階の部屋から1階の玄関脇まで降ろすのは、1人では至難。そこで後輩のA君
に来て貰い、二人でほうほうのていで降ろしたのですが、その時の右手の筋肉痛がま
だ疼く)。
大量の書籍を「ブック・オフ」に持ち込んで処分したり(80冊ほどで4,000円)、他の
書類や書籍などは手提げの紙袋に片っ端から詰め込み、20個ほどになった紙袋を、1日
に2個か4個(2往復)を両手にぶら下げ、テクテクと歩いて運びこんでいました。
このような前処理のおかげで、当日の搬送量が少なくてすんだのです。
そうでなかったら、当日はもっと難渋し、時間もさらにかかったはず。
それにしても、パソコンやプリンターやテレビやステレオなどの梱包作業も煩わしい
ですが、退去前のガス・水道・電気・電話会社とのやりとりや、取引銀行への住所変
更届や家賃の自動引き落としの新規契約などの手続きも、疲弊します。
さらに、今週の3日(月)は朝から所用で埼玉県に出かけていたのですが、昼前にヤマト
ホームから携帯に電話が入り、4日の引っ越し当日に搬入を希望していた家具が、「本
日の午後4時から6時になりましたので、よろしく」とのこと。
急遽、4時までに新事務所に戻り(といっても2時間弱は要しました)、薄暗い部屋で
待ち続けたのです。
結局、到着したのは午後5時半。
げんなり。
あるいは、引っ越しの最中、これもNTTから連絡があり、ひかり電話の回線工事が予定
より2時間早い午後1時からになったとのこと。
その間は、部屋で待機。
ひかり回線の工事は無料ですが、引き込み口から電話を置くデスクまで3メートルの距
離が発生。その回線工事費が4千円ほどかかるとか。
さらに、今まで使用していたプロバイダーのビッグローブとの契約書類が必要とのこ
とで、幾つもの紙袋を探索。
「ない!」と諦めたのですが、「いや、待てよ。あと2つだけ紙袋が乃木坂に残ってい
る。確か、最後にパソコン周りの資料を入れたはず」。
そこで、急いで車を往復。
あったのです。ホッと一息。
でも、これで安堵はまだできません。
「今まで使用していたモデムを、この袋に入れて郵便局から返送して下さい」のひと
言。
「何それ?ああ、前のパソコン周辺機器はみんな紙袋に入れてきたから、今度は楽勝」。
探してみると出てきました。
何に使うか今だわからない色々な器具がごちゃごちゃと、色々なコードに絡まって出
てきました。
昨日(水)は、乃木坂の事務所の退去確認。
午前11時の立ち会いのため、管理会社のおばちゃんが来る予定。
しかし、10分を過ぎても姿を現しません。
そこで、電話をしてみると「あら、そうだった!ごめんなさい。今からすぐに行きま
す」。
私はがらんとして何もない、寒々とした部屋に佇みながら、「あと2,30分か」と予測
し、時間つぶしに部屋の隅から隅までゆっくりと見回して歩きました。
ゴミや汚れは無いか、棚の中にゴム輪ひとつ残っていないか。
そして、トイレに入り、僅かに残っているロールペーパーを全て引きちぎり、それで
便器を再度拭き始めました。
ゆっくりと、いとおしむように。
そして、最後の水洗を流して出ると、おばちゃんが慌ただしく部屋に入ってきました。
「東井さんには、もうちょっと居て貰いたかったのに・・」
「いや、今が変わる節目なんですよ」
「私もね、今月一杯でやめることにしたの・・もう年ですしね。
それに今度の社長はお嬢さんで、何にもしないし、仕事を覚えようともしないのよ。
なんか、すっかりやる気がなくなってしまって・・・」
「やっぱり、潮時なんですよ。さあ、帰らして貰うかな。
今までありがとうございました。これは鍵。お返しします」
「こちらこそ、長い間お世話になりました」
「そうそう、最後の荷物を忘れない様にしなくては」
私は、長話になってセンチメンタルにならないよう、話を切って立ち上がり、洗い場
のステンレスの上においてある、メダカの入った瓶と小さなシクラメンの鉢植えを、
持参した紙袋にそっと入れ、おばちゃんに微笑みました。
「それでは、お元気でね!」
私は振り返らずに人気の無い階段を降り、6年間通い慣れた私道に出ました。
しばし佇んで見上げた桜の木。
毎年、春になると、前の家の桜の木が見事な枝を垂らし、息をのむほどの爛漫たる花
を咲かせ、しばらくすると桜吹雪が舞い散って、道一面をピンク色に染めるのでした。
しかし、もう二度と、そうした燃え立つような艶やかで美しい光景を目にすることは
ないでしょう。
昨年の夏に無残なほど短く枝が切られ、今は太い幹だけの姿をさらしています。
私はそこに、6年の時の流れと大きな時代の変化を見てとれる気がしました。
「もう、この地には未練がない。この桜の木の様に、時代も変わってしまった」
私は紙袋を揺らさない様に、歩幅を小さくして歩きはじめました。
瓶の中には3匹のメダカが。そのうちの1匹は「2011年3月11日」の大地震で、瓶が棚
から落下し、床に投げ出されたにもかかわらず、しぶとく生き残ったメダカ。
片割れの1匹は、私が余震の中で呆然としている間に、死んでしまいました。
未練があるとしたら、それが未練。
でも、我が人生は全く未練がなく今日まで来たようです。
いつの日か振り返っても、きっと同じでしょう。
そうありたいものです。
「さあ、メダカたちよ、行くぞ!」
それでは良い週末を。