東京の桜も満開。今が最高潮(添付の写真は目黒川の桜)。
今週末を過ぎると、一陣の微風が吹くたびにハラハラと散って行き、そして白とピン
クに散り染まった路を、新社会人や新入生などが、一抹の期待と不安を胸に急ぎ足で
通り過ぎていくのでしょう。
今年は、その様な光景は来週の月曜日(7日)から見られるのでしょうか。
今年も春がやってきました。
私は、桜が開花してから爛漫に咲き誇り、やがて儚く散ってしまうまでの10日間ほど
の時季は、幾つになっても切ない気分に見舞われます。
20代は20代の、50代は50代の、そして今年は66歳の「感傷」に見舞われるのです。
感傷というか哀感というか、センチメンタルな気分に陥ります。
年齢を問わずに毎年共通しているのは、甘酸っぱい感情が心を疼かせること。
桜花爛漫の時は、その圧倒的な華麗さに云い知れぬ胸のときめきを感じ、自分でもや
り場のないパッションに身もだえしては、「何と言う美しさだ。凄い。
」と感極まり、その持っていき場のない情動を少しでも昇華したくて酒を飲み、そし
て喋り、歌い、帰宅した時には心身ともにグッタリ。
森羅万象あるなかで、私には最高最大の視覚的感動を与えてくれる満開の桜。
しかし、そうした一生懸命に咲き誇った桜の栄華もつかの間。
私の内なる激情もそこまで。
桜は散華となって散り去り、すぐに若葉に模様替えしてしまいます。
このような、桜花の儚いほどの落差を何度も何度も見てきているから
、桜の時季がくると自然に、甘酸っぱい、やるせない哀感に襲われるのでしょう。
出会い、別れ、そして出会い、また別れて。
それは、私達の人生の宿命そのものだからです。
今年の春も、多くの人達が別れと出会いを繰り返していることでしょう。
その時季を何度も迎えながら、人は人生の春から夏へ、そして秋から冬へと
成長・変貌していくのです。
私にとって今年の桜も万感胸打つものがありました。
来年もまた、日本という国がどのように変貌していようが、桜を愛でて
感動する心だけは不変でありたい、と密かに願っているのです。
また春がやってきました。
さて、花道を下るのではなく、花道を上っていくことにしましょう。
「66歳の青春」という舞台に立って、精一杯華の演技をするために。
それでは良い週末を。