高久先生

一昨日の月曜日(4月14日)は、「一般社団法人東井悠友林の集い」を表参道の南青山
会館(農水省共済組合の施設)で開催しました。
発足して3年度目に入った、正会員・賛助会員あわせて60名弱の小さな社団法人。
私の仲間うちで、比較的に自然体で参加して下さる、と目(もく)した方にお声をか
けさせて貰って設立。
だからメンバーは、厚生労働省、公益法人、企業、地方公共団体、厚生連病院関係の
方々と、多士済々。
会員は札幌市から山口県に至る都道府県市に散在。
法人の目的は「共助を基本理念とし、国民の健やかで触れ合いに満ちた生活の実現に
資すること」。
抽象的で遠大な目的ですが、まずは会員が集まって気心が知れるようになり、コア
(中核)を形成することを、第一ステップに考えています。
数より質の確保。
まずは、会員同士に親しみと信頼関係が生まれてくることこそが、全ての共助のはじ
まり。

この日の集いの内容は、講話と懇親会。
講話は「我が国の介護・福祉の現状と課題」の演題で、講師は全国社会福祉協議会副
会長(元厚生労働省雇用均等・児童家庭局長)の高井康行氏。
正会員のよしみで、謝礼はタダ(ちなみに、前回の講話は、顧問の高久史麿先生に
「活き活き長生き、健康のすすめ」のテーマで、1時間たっぷりの講演をしていただき
ました。この場合もタダ。その後、皆で表参道のイタリアン・
レストランを借り切っての懇親会で、美味しい赤ワインを十分に飲んで頂きましたが).
高井氏の講演は、最新の行政資料等と自身の豊富な社会福祉行政の経験をもとに、本
来は行政や医療・介護福祉団体の担当者に聞いて貰いたいほど有用な話で、極めてわ
かりやすい有意義なものでした。
その後は、恒例の懇親会。
午後7時から9時までの間、食べて飲んで大いに語り合いました。
毎回、楽しい集いになりますが、私はその要因は、当法人の顧問である高久先生(日
本医学会会長・前自治医科大学学長・初代国立国際医療センター総長)の存在にある、
と感謝しています。

先生は御年83歳。
いつも人の話を良く聞いてくださり、その上で回答は迅速。
私が行政マンだったころから、こちらが依頼した事に対する返答は、即座に「いいで
すよ」。
超多忙のスケジュールにあっても、その中で間髪いれずに時間を割いてくれるのです。
同意を求めた場合は「そうですね。そうしましょう」。
「ノー」の場合でも、瞬時に理由を述べてくださいます。
「うーん、さあねえ、、、」などと返答を回避して時間を費やすことはありません。
こうした即断力には感心しました。

驚くほどの記憶の良さと、判断の早さと、懐の広さ。
世の中、大体の人は優柔不断でノロくて横柄。しかも大したことの無い人に限って
「忙しい、忙しい」と、年中バタバタ。
1週間先の予定さえも「ちょっと、、、二〜三日前にならないとわからない」。
役所時代。単なる関係者への通知文書一つの決裁でも、1,000万円ほどの新規予算要求
の議論でも、課内を通過するのに1週間から下手すると1カ月もかかる場合が。
みな、自分の決断が出来ず、出来ても莫大な時間を要するのです。
また、官民問わずどこの世界でも、ちょっとした役職にもかかわらず、上にはヘイコ
ラし、下には横柄な人が多いのは昨今も変わらず。
しかし、高久先生はどなたに対しても優しい。
ニコニコして寛大です。
このような人を、私は今まで見たことがありません。

私が今までの人生で「私の3大老師」と勝手に決めてお付き合いをさせていただいた方。
一人は、佐久総合病院の実質的創始者で院長だった、若月俊一さん。
二人目は我が国の高級料亭・離れ個室旅館の創始者である「熱海石亭グループ」会長
だった羽根田武夫氏。
そして三人目は「財団法人気の研究会」理事長で、我が国に「氣」という概念を普及
させた心身統一合気道の宗主だった藤平光一氏。
御三方とも90代半ばで鬼籍に入られましたが、どなたも素晴らしい男性でした。
もし、4人目を選ぶとしたら、まず高久先生をおいて他にはおりません。
そういえば、4人とも「酒が強い」共通項があるようです。

余談。
会員の方と一杯やりながら話をすると「高久先生はお優しいが、昔は怖かったと思い
ますよ。
今は柔和な顔をされているが、もっと若い頃は厳しい顔つきで、医局の人達はビビっ
ていたんじゃないかな」と、どなたかが言われ、先生の昔日の想像をし、皆で大笑い
したことがあります。
すると、その1カ月後。
「日本病院雑誌」に掲載されたエッセイを読む機会があり、その内容にニヤリとして
しまいました。
「なつかしい患者さん達」という題名で、東大の内科や自治医科大学の教授をされて
いた頃の、色々な変わった患者さん達のやりとりが、軽妙洒脱に述べられています。
その中で、ある占い師に関するエピソードが。
ある日、患者さんの娘さんから先生の奥様が「日本一の占い師を知っているから、貴
方の御亭主も占って貰ったら」と言われ、奥様が「私(先生)の大嫌いな「ヤクザ」
の様な写真を占い師の家に持っていき、、、みてもらった」というくだりが出てきて、
私は失礼ながら笑ってしまったのです。
「なるほど、、先生も意識されていたのか」と。

そしてその占い師の見立ては。
「その占い師は、「この男は、どこの世界に行っても、ボスになる。今医者なら、医
療界のボスになるだろう」と言われ、家内がビックリ仰天して、お茶の水の山の上ホ
テルに泊まっていた私を、訪ねてきたことがあった、、、、」と。
そう言えば、先の3老師も、笑顔を見せるが目は笑っていない半眼の鋭さが垣間見えま
した。
そして、若き頃、やはり通りすがりの占い師に「貴方は将来、世の中で名声を博する
人になる」と予言されているのです。

またまた余談。
私も先月、三軒茶屋のTSUTAYAの書籍店で、「1,000円以上の本を購入された方には、
無料で運勢判断をします」ということで、名前と生年月日伝え、手相を観て貰ったと
ころ。
「貴方は素晴らしい手相をしている。左手は本来運、右手は現在運。手に十字がある。
これは人が助けてくれる運があること。
困った時に援助してくれるから、困らない。しかし貴方は、人に頼らず、自分で何で
もやろうとする人。それが右手に出ている。
本来は破天荒なことを行う人。しかし現実は堅実。それが右手に出ている、云々」と
のご託宣。要はたいしたことがない、ということでしょう。
でも、若い頃にその予兆はあったのかもしれません。

大学時代に、私の大嫌いな過激派に属する、なかなか弁の立つAという男がクラスに
おり、Aとはどういうわけか思想信条は抜きにして、妙に気心が合い、彼の下宿にフ
ラリと訪ねては、珈琲を飲みながら他愛の無い話をしていたのですが、ある時、彼は
私にポツリとこう言ったのです。
「東井は政治的な人間ではない。お前はロマンテイストだ。それでいてリアリストの
一面も持っている。俺もそうありたいよ、、、」と。
彼の一派は早稲田大学の学園闘争の末期、大隈講堂を占拠して機動隊に包囲されて全
員逮捕されたのですが、後日、テレビ放映を観ていた他の級友から「屋上で最後まで
旗を振っていたのは、あれはAだった」と聞き、何となく「俺もそうありたいよ、、」
と暗い顔をして呟いていたAの心境を想い出していたのです。
その後の彼の消息は不明です。

さて、季節は本格的な春から初夏へと。
悠友林も若葉が萌えだす時季に。
そして濃い緑に覆われて、やがて紅葉(昂揚)の季節へと変貌していくことでしょう。
その精神的主柱として、高久先生が笑顔で存在していてくれることを、ただ願うばか
りなのです。

人生はたった一度。
だから楽しく悔いなく生きたいもの。
これからです。

それでは良い週末を。