来週の今日はメーデー(May Day)。
早や5月。
住宅街の道を歩くと、あちこちの庭先でハナミズキの白や紅の花が薫風に揺れ、垣根
を覆うツツジやサツキの花、門扉の上に垂れ下がった紫のフジの花が、青空の下で色
鮮やかに咲き乱れています。
でも、これらの花々も盛りが過ぎてきました。
今は、春から夏への季節の変わり目。
これからは、ボタン、シャクヤク、スイートピー、マーガレット、ナデシコ、カンパ
ニュラなどの花々が次々に咲き誇る季節。
そして、私が四季を通じて一番好きな花、バラの季節の到来。
バラは5〜6月の花期と9〜10月の花期のものがあり、さらに数々の品種があるので、一
概に「バラ」と表現するとイメージがつかめなくなりますが、私の好きなバラは、初
夏に咲く「真紅のつるバラ」。
品評会などで競い合う大輪(ハイブリッド・テイー)系のバラではありません。
散歩をしていると、ご近所の庭の垣根越しに見られる、何本ものつるに群生する
真紅のバラなのです。
五月と聞くと、この真紅のつるバラをすぐに連想します。
そして、同時に甘酸っぱくも懐かしい想い出が、脳裏をよぎるのです。
それは、私が奈良県の天理高校を卒業した、昭和41年の春からの出来事。
まずは、高校を卒業して帰京する前日、3月のある土曜日の昼下がりのこと。
まさに春は名のみで、吹く風は冷たく、私は学生服姿の身をかがめ、
国鉄の駅で東京行きの夜行列車の切符を買い、足早に寄宿舎に向っていました。
卒業式は1週間前に終了。心はすでに東京に向いていました。
「早稲田大学を受験し、そして昼のアルバイト先を見つける。
新たな人生のスタートだ。
さらば3年間の学園生活、さらば恋人(注・3年の2学期から「交換日記」を続けていた
1年の女子生徒。プラトニックな兄と妹の関係の様な恋愛。帰京したら別れるという暗
黙の了解がありました)、さらば級友、そしてさらば青春の街・天理。
これほどロマンチックで、仲間たちと愉快に騒ぎ、生徒会や部活に熱中し、そしてけ
なげなほど真剣に議論した日々は、もう人生で二度とはやってこないだろう」
そんな感傷を抱きながら歩いていると、突然、「東井先輩!」と声をかけられました。
立ち止まって顔を上げると、1年生のAさんが近寄って来て、「いつ東京に帰られるの
ですか?」と。
Aさんの部活は化学部で、文化祭の展示場では私が部長をしていた地歴部の隣にブー
スを構えていたので、それから、しばしば挨拶をしたり立ち話をしたりする関係でし
た。
中肉中背の可愛らしい顔立ちで、当時のアイドルだった浅野寿々子(注・大橋巨泉氏
と21歳で結婚)に似ていたので、何となく気になる存在だったのです。
「明日の夜行列車「大和」で帰るんだ」
「そうですか。もう、天理には来られないのですか?」
「いや、落ち着いたら遊びにこようと思っているが、いつになるかわからないな」
「それでは、もう会えへんのですね、、、。」
「・・・。元気で頑張れよ。じゃあな」
私が立ち去ろうとする背中に、「あの、、!」
振り向くと、すがるような眼差しで「手紙を出してもいいですか?」と小さな声が。
「ああ。ええよ、、」
「ありがとう。私、きっと出します!」
それから1年。
月に2〜3回の文通を繰り返し、私は5月の連休を利用して、久し振りに大和の地を踏み
しめたのです。
街も学園の雰囲気も、何も変わってはいません。
私はすぐにAと会い、街の本通り(目抜き通り)を肩を並べて、神殿に向って散歩し
ました。
時々すれ違う男女の生徒の中から、「こんにちは!」と挨拶が飛び、私は高校時代に
戻った気分で「おおっ!」と答えていました。
高校では、「先輩にあったら、挨拶をすること」との不文律があり、私が知らない後
輩でも後輩が私を知っていたから、脱帽しながら挨拶をしたのです。
Aは気恥ずかしそうにしていましたが、玉砂利が敷かれた神殿の境内に入ると、よう
やく落ち着いて視線を合わせ、微笑んだのです。
それから。
人影の全くない清閑な記念館の庭に入り、五月の眩い陽光が降り注ぐ、古い木造の建
物の縁側に並んで座りました。
芝の生えた庭には、色とりどりの草花が咲き、時々薫風が心地良く吹き抜けて行きま
す。
そして。
私はAの肩に左手をかけ、そっと唇を重ねたのです。
それは、もしかしたら高校2年生のAにとって、初めての口づけではなかったかと思わ
れるほど、繊細で愛おしい感触がするものでした。
私は顔を戻し、五月の光が乱反射する庭を、目を細めて見つめました。
すると見事なほど色鮮やかな真紅のバラが、痛いほど強烈に目に飛び込んできたので
す。
それから1年後。
Aは、大阪の看護学校に入学。
白衣の制服姿の写真が送られてきて、その2年後。
地元の大きな病院に就職した喜びを伝える手紙が。
その間、私も東京の生活が多彩となり、いつしか手紙のやり取りも少なくなっていま
した。
その2年後。
1通のエア・メールが。
結婚をしてハワイに住んでいるという近況を伝える、Aからの最後の手紙でした。
5月が来ると、真紅のバラに心がときめきます。
そしてあの日の、Aの柔らかな小さな肩の震えを想い出すのです。
しかし。
昨年中に全て裁断した20冊近い大学ノートの日記や幾多の手紙と同様に、今、Aとの
懐かしい想い出も、昇華して消え去ろうとしています(たぶん)。
振り返ると、春夏秋冬の様々な想い出が、その季節の移ろいの中で、とても愛おしく
脳裏に蘇ってくるのですが、その膨大な想い出のアルバムも、歳月の流れの中で、良
い想い出を残して自然に整理されていくのでしょう。
それが人の心、人の一生かもしれません。
「想い出の無い人生は、不幸である」という格言が。
だから今日も、良い想い出を作るために、精一杯生きるのです。
それでは良い週末を。