猛暑と大雨と凄惨な洪水・土砂災害が多発した、今年の8月。
その嘆息混じりの葉月も終わり、今は長月(ながつき)の9月。
まだまだ残暑が続くでしょうが、それでも朝夕の涼風には秋の気配が感じられ、夜空
に煌々として浮かぶ月も、心なしか清涼に映ります。
今年も過酷な夏でした。
ようやく穏やかな秋の到来。
と、安心もしていられません。
スーパー台風などの襲来もあるでしょうから。
「1000年に1度の地異」といわれた2011年3月11日の東日本大震災。
それ以降、「50年に、いや100年に1度」と形容される自然災害が日本各地で頻発して
いるからです。
私が8月1日のこの欄で記したように、このような異常気象はこれからも春夏秋冬を通
じ、日本列島のあちこちで続発する予感がします。
50年・100年に一度の大災害も、やがて数年に一度の事象と目されるようになるのでは
ないでしょうか。
私はこの1ヶ月、新聞は見出しかリード文(本文の前文)のみを読み、テレビでは報
道番組の冒頭に予告される、その日のニュースの概要しか聞きませんでした。
勿論、週刊誌の類は一切読まず。
そのかわり、街を歩いている時、駅のホームの電車待ちの時、車中で揺られている時、
あるいは喫茶店や飲食店にいる時など、外出した際はスマホも新聞・本の類も見ずに、
大衆の表情や雰囲気を、さりげなく眺めるようにしていました。
まさに奇才・寺山修司の「書を捨てよ、街に出よ」の書籍名ではありませんが、氾濫
する情報や世事の束縛から一時解脱し、全てに高みの見物を決め込んで傍観、俯瞰し
ていたのです。
すると、真夏の直射日光を連日浴びた肌の様に、ある日、あることに気がつき、心が
ヒリヒリと痛んできたのには驚きました。
あること。
それは、殆どの人々の表情が「無表情」ということです。
勿論、人間は笑ったり泣いたりする感情の動物ですが、一人でいる時は素の自分に戻
って感情が内向し、無表情になるのが普通。
仏頂面をしたり、ニタリと思い出し笑いをしたりする人は、まれ。
しかし、スマホの画面を眺めている人も、複数の仲間と吊革につかまって外の景色を
眺めている人も、一人無言で座っている人も、それらの人からは人間としての感情の
抑揚・生気が、全く汲み取れません。
あえて直言すると、能面のよう。ロボット顔。
共通しているのは「無気力感」が漂っていること。
少し前までの時代でしたら、電車に揺られている時は、誰しもが安穏な、あるいは輝
く目をした表情をしていたものです。
それがいつの間にか、特に若者や中年の男性に、無気力な表情の人が多くなったこと
に驚きました。
一体なぜなのか?
私は電車の揺れに身をまかせながら、あるいは喫茶店の窓辺で酸味の効いた珈琲を飲
みながら、その要因を考えました。
答えは簡単でした。
それは、常套句になりますが「現在の社会状況」にあると。
私が以前からこの欄で述べていることの再論ですが、@「この30年間のうちに首都圏
直下型大地震が勃発する可能性は、70%」という、極めて深刻な日本列島の現状。
A国の借金が1000兆円を超え、いつ国家財政の破綻・金融恐慌が起こってもおかしく
はない我が国の財政状況。
B集団的自衛権の行使容認が国是となり、覇権主義の中国やロシア、あるいは独裁主
義の北朝鮮、反日一辺倒主義の韓国などとの武力紛争が、いつ勃発してもおかしくは
ない状況に突入したこと。
さらにこれに加え、これまでの日本経済の成長を支えた年功序列主義や終身雇用制度
を廃止し、成果主義導入で社員間の競争を煽り、容赦のないイジメ・リストラを敢行
し、モラル・ハザードをテンとして恥じない産業界の現状。
そして、圧倒的多数の議席を盾に、専横を極める自民・公明の連立与党、安倍政権。
これに対抗するすべを全く見い出せていない弱小少数派の野党各党。
そこに生まれる無気力国会の状況。
これが現在の我が国の状況。国民を取り巻く社会環境。
私は@からBまでの事は、6年後(2020年)の東京オリンピックまでに起きる可能性
が、極めて高いと予測(直感)していますが、多くの心ある国民も、何とも言えない
不安と怒りと閉塞感を抱いているのではないでしょうか。
しかし、どの事項も容易ならざる問題ばかり。
日本の現状と将来を真面目に考えれば「悲観的」になり、その解決の兆しがいつまで
も見えぬまま、憂鬱な状態が続いてしまいます。
一方、「地震なんて来ないよ。来たらきた時のこと。それよりオリンピックという希
望があるじゃないの」「政治がどうのと言っても、アベノミクスで景気が良くなった
んじゃないの。株価も上がったし。財政赤字解消より景気回復優先だよ」
「集団的自衛権大賛成。だって抑止力になるでしょ。やはり軍事力がないと、いつま
でも中国や韓国になめられるよ」
何事も悲観的にとらえず、楽観的にとらえなくては、という人達も少なくありません。
しかし、様々な人と話をすると、真に楽観的に考えている人は「職業が安定している。
収入・資産に恵まれている。いざという時の備え(外貨預金、金貯蓄、外国の不動産
又は国内の疎開地を所有)がある」という人。
殆どの楽観主義者は、問題を直視せずに他の発想で「憂鬱なこと」を糊塗しているだ
けに感じます。
6年後の東京オリンピックは、確かに将来の希望になるでしょうが、これほど東京一極
集中を進めるのは異常。
品川駅地下にリニア中央新幹線の始発駅を新設し、品川から田町周辺に超高層ビルを8
本も建築し、地盤の脆弱な都内にオリンピック競技会場を幾つも建てることが、果た
して希望につながることでしょうか。
みな、一部の関係者(政治家・役所・企業・団体)の利益誘導策にしか映りません。
都民で喜んでいる人がどれほどいるのか、大いに疑問です。
万が一(3が一でしょうか)、6年以内に首都直下型巨大地震が発生したら、オリンピ
ックどころか、日本沈没の惨状になるでしょう。
「そんな悲観的なことを考えていたら、何もできやしない」と、リスクを冷静に考慮
せず、物事の陽のあたる側面だけを強調する人は、極めて無責任で国賊に値すると言
えます。
さらに付言すると、数年前までの「財政の健全化、予算の無駄削除」という国会の議
論を封印し、アベノミクスとやらで国内外のあちこちに予算(税金)をばらまき、国
の借金を膨張させ、挙げ句にそのツケを将来の国民にかぶせるような政策をよしとす
る人も、同様です。
現在の政権政党やマスコミや財界のお偉方は、物事の光の部分ばかりアピールし、影
の部分を意識的に隠蔽しているようにしか思えません。
「私は、日本の空を暗く覆っていた閉塞感を、この1年で取り払いました。
アベノミクスの効果を、これからは地方の隅々まで波及させます。
これからも強い日本を取り戻すために、しっかりと頑張っていきます!」
この安倍総理のスピーチに、自民・公明の代議士や財界・マスコミは拍手喝采。
みな、既得権益を共有する仲間だからでしょう。
そして放射性廃棄物の最終処分場などの喫緊の問題は、とりあえず「30年後までに」
と先送り。
「今さえ良ければいい。今のうちに稼いでおけば、あとは知ったものじゃない」とい
う風潮が社会にまかり通っていると言えば、言いすぎでしょうか。
こうした現代の社会状況の中で、殆どの平均的な人間が本能的にとる防衛手段は、楽
観でも悲観でもない、「諦観」なのでしょう。
「あきらめること」。
そして「あきらめの精神」で、羊の様におとなしく、毎日、家畜列車の様な満員電車
に揺られ、つまらない仕事や本音が出せない人間関係の職場で働き、文句も言わず自
己主張もせずに、黙々と生きていくのでしょう。
能面のような無表情の人は、若い者や中年の男性に多いようだと先に述べましたが、
次代を担う若者、家庭の大黒柱の彼らの心情が、切なくわかるような気がします。
一方で、年配の人は「もう、社会がどうなったって関係ないよ。
どうせ生きていても先は見えてるし。好きなことを気ままにやっていくんだ」おばち
ゃん達は「年金は減額されるし、医療費や介護保険料は高くなるし、嫌になるわ。政
治なんてどうしようもないじゃない。だから、美味しいものを食べて、好きなテレビ
を観て、あとは友達と温泉旅行に行って楽しむのよ」
若い連中より、自由で無責任で我がまま気まま。
だから、駅員や飲食店員などに怒鳴っているのは、年配者ばかり。
殺伐とした希望のない社会になってきました。
あらゆる格差が拡大している現在の日本。
確かなのは、マジョリテイ(多数層)は「中間層」ではなく、今や「不安層」という
こと。
私は、楽観するでも悲観するでもなく、ましてや諦観もしません。
日本の現在の社会状況を直視し、「達観」していきたいと思っています。
達観とは、覚悟。
その意味合いは、いずれまた。
それでは良い週末を。