初秋の読書(2)

前回では、9月上旬(1〜10日)に読んだ本の中から、3冊の書物について、印象に残っ
た文章の抜粋をしながら感じた点を述べてみました。
3冊とも、著者は御高齢ながら(失礼!?)とてもお元気で魅力的な女性たち。
今回の3冊プラス1は、男性陣。

まずは「コラプティオ」(真山仁・著、文春文庫)。
単行本化されて発売されたのが、2011年7月。
そう、あの東日本大震災及び福島第一原子力発電所の事故が発生してから4カ月後。
原書は「別冊文芸春秋」の2010年3月号から翌年5月号まで連載されたフィクション小
説。これを単行本化するにあたり「作品の性質上、その震災と福島県で発生した原発
の事故を踏まえて作品を発表するのが小説家の使命と考え、御批判を承知の上で加筆
修正を行いました」と著者があとがきで述べているように、「その後」の日本の政治
状況や原発問題の動向を、豊富な資料と取材によって、深部(暗部)まで掘り下げて
リアルに描いています(注・文庫本の発売は今年の1月)。

だから「この様なことが、国家権力により国民の知らないところで密かに進められて
いるのか?」と唖然とするような、まさにノンフィクション小説を読んでいるような
錯覚に陥り、最後まで一気に読破してしまいました。
主人公は、彗星のごとく登場した宮藤・総理大臣を軸に、その総理の懐刀である若き
俊英の白石・政策秘書、そして政権の策謀を暴こうとする怜悧な神林・新聞記者。
読み進むうちに、「新総理大臣の宮藤は、安倍首相をモチーフにしているのか?」と
憶測する読者も少なくないはず。
ただし、今一つ脆弱感が拭えない今の安倍総理の資質や性格をなぞりながら、その総
理のキャラに国民が熱望する「カリスマ性」を十分に具備させている点が、小説の妙
味となっています。
それにしても、自民党が政権を奪回して以降の政治や社会の流れを、よくぞここまで
盛り込んで書き上げたものだ、と感心しました(注・筆者は元読売新聞の記者)。

ここで、印象に残った断章を。
「回を重ねるたびに宮藤の演説は神がかってきている。執筆者の白石ですら演説に引
き込まれ、思わず喝采を送りたくなったほどだ。
国家的危機にあえいでいる今の日本は、強いリーダーがいるのは幸せなことだ。
ただ、宮藤の演説が彼の政治的な行動や実績を遥かに超えた力となって国民に影響を
及ぼさないよう、周りは気をつけなければならない。東條(注・神林の上司)に指摘
されるまでもなく、それがエスカレートすると独裁者になる危険が膨らむからだ。
TICAD(アフリカ開発会議)の総会では、宮藤はあるアイデアを試している。
演劇などの舞台関係のプロに、演説効果を上げる知恵を拝借した。そのアドバイスに
従って宮藤の過不足なく会場に響くように、スピーカーシステムなどの音響効果を工
夫するだけでなく、時に照明まで、演説の強弱と微妙に連動して光量が変化するよう
仕掛けを施した。
演説に舞台効果のプロを参画させること自体は、アメリカなどではすでに常識の範疇
だ。
しかし、白石は今日の会場の熱狂ぶりを見ていると、ヒトラーがドイツで政権を獲得
した翌年に行った大規模な党大会「意志の勝利」を思い出した。
一週間にもわたる熱狂的な党大会は、ヒトラーの建築家と呼ばれたアルベルト・シュ
ペーアによって大神殿のような舞台設定が行われた。そこでの演説は、国民を熱狂さ
せた。
その模様はレニ・リーフェンシュタールによって映像に納められ、繰り返しドイツ全
土に流された。

弱気と諦観に沈んでいる日本にとって、宮藤の力強い言葉は何よりのエネルギーにな
る。
時に情に訴える言葉選びをも致し方が無いと、白石は割り切っている。
宮藤の演説によって、国民が自信と英気を取り戻してほしいと思う。
しかし、そこにはもれなく危険もついてくる」」

一方、白石をライバル視している負けん気の強い神林と、彼の上司の東條との会話か
ら。
「「書けと言われれば、(宮藤総理の不動産の購入疑惑について)やりますが、東條
さん、その前にどうしても書きたい原稿があるのですよ」
「何や、それは。宮藤を追い詰めるより大事な記事とでも言うんか」
太い眉を歪めて睨まれたが、神林は怯まず答えた。
「原発問題ですよ。いや、原発と国民かな」
「なんやと」
「以前、東條さんが言ったんですよ。原発推進が本当に問題だと思うんだったら、事
実を積み上げて記事にしろと。今、それをやっているんです」
東條は、覚えてないようで首を傾けた。
「事故直後だけ大騒ぎした国民って、一体何なんでしょうか。今や原発の恐怖も忘れ、
問題の本質を追求することすらうやむやにして、もっと豊かな生活を求める。挙げ句
に宮藤のようなカリスマ的指導者が登場したら、何も考えないで全てを任せてしまう。
これじゃあジェノサイドを平気で行う独裁国家と変わらないと俺は思うんです。
それを特集として書かせて貰おうと思っています」」

この二つの断章は、今日の日本の政治と国民の関係を考える上で極めて示唆に富んで
おり、思わず生唾を飲み込みながら読みました。
文庫本で570頁に及ぶ巨編ですが、全体を貫く著者のプリンシプルは「正義」にあると、
私は感じました。
その心の深淵から書かれたと思われる箇所があります。
白石が大学4年の時、幼少のころから山登りを教えてくれた父が彼に言った言葉。
「おまえは頭もいいし、人にも優しい。きっと偉い人間になれる。
だがな、卑怯な人間にだけはなるな。父さんがおまえに教えられるのはそれだけだ」
久々に読んだ骨太のエンターテイメント。
ちなみに「コラプティオ」とは、ラテン語で「汚職・腐敗」を意味します。

次の1冊は「文芸春秋9月号」。
そこに収載されている、渡邉恒雄氏(読売新聞グループ本社社長)が書いた「安倍首
相に伝えたい「我が体験的靖国論」」。
私はかねがね渡邉氏については、右寄り思想の胡散臭い頑固親爺というイメージが強
かったのですが、この一文を読んで「成る程!」と感心しました。さすが、読売新聞
の主筆です。
幾つかの断章を並べ替えて、氏の論述の概要を紹介します。

@「1928年以後の日本の戦争責任を考える立場からみると、問題は次のように絞られ
 る。
 あの全く勝ち味のない戦争に、なぜ突入したのか。何百万人という犠牲者を出しな
 がら戦争を継続し、かつ敗戦が確定したにもかかわらず降伏をためらって、原爆投
 下やソ連参戦により、悲惨な被害を一層、拡大したのか。その戦争責任は一体誰が
 負うべきなのか」

A「陸軍は日本人居留民保護の名目で、1927年以後、「山東出兵」を敢行、1928年に
 は陸軍のエリート将校たちが作戦を練り始めていた。結果、関東軍参謀の河本大作
 大佐が張作霖爆殺事件(28年6月)を起こしたが、満州事変から日中戦争に至る全体
 の構想は、参謀本部の東条英機、武藤章、関東軍参謀の石原莞爾、板垣征四郎らの
 佐官級がひそかに計画していた。
 石原、板垣らの謀議の結果、31年9月18日、奉天北方の柳条湖で鉄道爆破事件を起こ
 し、これが満州事変の発火点となる。
 事件を拡大したのは、林朝鮮軍司令官の満州への独断の越境進軍で、本庄関東軍司
 令官がこれに同調した。
 秦郁彦氏は「石原、板垣、本庄、林は陸軍刑法違反で死刑相当」と語っているが、
 当時彼らは軍法会議に呼ばれるどころか軍の出世街道を驀進するのみであった。
 (中央公論新社「検証・戦争責任U」より)
 こうして、政府と国民を「戦果」を使ってだましながら、あの昭和大戦争は1945年
 まで暴走を続ける。
 そうした個々の政治責任については、起訴された28人のA級戦犯以外に、裁かれる
 こ とが無かった人物も少なくない。
 ただし、極東裁判の結果として、A級戦犯28人のうち、病死者などを除く25人が有
 罪判決を
 受けた事実は、サンフランシスコ平和条約調印の際、日本政府として承認している。
 今や「戦争責任者の象徴」となっていて、変更作業は困難である。
 それより、政府は「国民」の名において、全面的、大局的な歴史認識として、昭和
 戦争の非を認めた上で、「加害者」と「被害者」の分別を概念的に確定し、歴史認
 識に関する道徳的基準を義務教育課程の教科書に記述し、国際政治的にこの問題に
 終止符を打つべきだと思う」

B 「私は今年88歳で、戦時中、陸軍の二等兵であった。戦争体験者の最後の世代に属
 する。
 そのころ私の友人や先輩達が召集され、中には幹部候補生を志願してにわか作りの
 将校になり、前線に行った例がたくさんあるが、彼らが「靖国で会おう」という合
 言葉で、喜んで戦線に赴いた
 という事実を目撃したことは、一度もない。
 ほぼ敗戦確実だという情報は私達は旧制高校の同級生等の父親に政府、軍等の指導
 者が少なからずいたので、戦況の事実をかなり知らされていた。
 そう言う中での「出征」なるものがいかに強制的でかつ悲劇的なものであったかと
 いうことは、戦後世代の人達は知らないだろう。(略)
 私は二等兵として内務班に入れられたが、三食はコーリャン飯を茶碗に一杯と具の
 ない味噌汁だけだった。全く理由のないまま、古年兵に呼び出され、毎日顔を殴打
 され、口内は内出血で味噌汁の味もわからなくなった。
 ある時、一等兵が、丸太の束の並ぶ上で長時間、正座させられるという私刑(リン
 チ)を受けているのを見て、江戸時代の牢屋の拷問を思い出したこともある」

C「靖国神社は当初は兵部省、のちに陸、海軍省の共同管理になった。そして1945年
 の終戦後、12月15日にGHQの国家神道排除という方針により、いわゆる「神道指令」
 が公布され、一時存在理由が不明確になった後、1946年9月に東京都知事の認証によ
 る宗教法人として発足した。
 この靖国神社は単立神社で、神社本庁に属せず、宮司以下の神職は神社本庁の神職
 資格が必要なく、特にA級戦犯合祀を断行した第6代宮司の松平永芳氏は旧軍人で
 自衛隊出身だったが神職資格を持っていなかった。しかし、この松平宮司のほぼ独
 断で、A級戦犯を含む大規模合祀が1978年10月17日に行われた。A級戦犯の合祀に
 関しては、松平宮司の先代の第5代・筑波宮司は「B・C級戦犯は被害者なのでまつ
 るが、A級は戦争責任者」といって合祀をためらていたにもかかわらず、松平宮司
 がほぼ強引にA級戦犯14名を合祀した。(略)
 昭和天皇・皇后両陛下は靖国神社が宗教法人となって以後、1952年11月21日まで7回
 参拝された。
 しかし、天皇陛下は松平宮司によるA級戦犯合祀を非常に不快視され、A級戦犯合
 祀 が明らかになって以後は、天皇陛下ご夫妻は参拝されていないし、現天皇も昭
 和天 皇の意を汲み今日まで参拝されていない。
 この昭和天皇のご意思については、幾つかの文書で明白になっている」

長い抜粋でしたが、全体の論文はこの十倍に及び、あまたいるジャーナリストの舌鋒
鋭い先達として、あるいはマスコミ界の重鎮としての渡邉氏の信条が、見事に表明さ
れた論述でした。
特にCの断章は、私自身初めて知る内容であり、自分の無知に恥じ入った次第でした
(靖国神社は神社本庁所属の神社で、宮司は神職資格を有しているとばかり、思って
いました)。
毎年、靖国神社を参拝する閣僚の誰もが、「A級戦犯であろうが誰であろうが、国の
ために殉じた英霊に尊崇の念を捧げるのは、国民として当然のこと」と答えているが、
果たして渡邉氏の指摘内容を十分に承知してのことか、天皇・皇后両陛下のご意思な
ど全く忖度していないのか、@からBまでに述べられているように、無謀な戦争に狩
り出されて散っていった兵士や、空襲や被爆で亡くなったこれら数百万人の人々の御
遺族の無念に、思いが至らないのか。
その常識が疑われます。

やはりA級戦犯の分祀を図り、千鳥ヶ淵戦没者墓苑などを公的な国民の慰霊碑とする
など、戦後70年を前にして、政治家たちが早急に為すべきことがあるのではないか、
と思った次第でした。

上記2冊に関する抜粋と感想が長くなりました。
もう1冊プラス1は次回にでも。

それでは良い週末を。