たかが食事されど食事

先週のエッセイ「赤とんぼ」で、奇妙な夢を見たことに触れました。
「タンメン(野菜ラーメン)とソース焼きそばの、どちらにしますか?」
と店員に尋ねられた夢と、宝くじに当たった夢。
その夢に触発されたのか、生理的なものかは定かではありませんが、今週は3日連続
(12日現在)で、昼食にタンメンを食べています。
厳密に言えば、青山ツインタワーにあるラーメン専門店「直久」の「とんさい(豚菜)
ラーメン」。
細かく切った叉焼(チャーシュー)と野菜(キャベツ、玉ねぎ、もやし等)炒めが、
たっぷり乗ったラーメンです。スープは醤油や塩味もありますが、私は味噌味を。
これに「ワンコイン」(注・餃子3個+生ビール・中のセット。料金500円なので、ワ
ンコインのメニュー名)を注文。
餃子を食いながら中生をゆっくり飲み終え、それからお酢と胡椒をたっぷりかけて豚
菜ラーメンを味わうのです。
このように、同じ店、同じメニューを昼食で3日間も連続したことは、ここ数十年で
記憶にありません。

私が最も忌避するのは、同じ単品メニューを繰り返し食べるようなライフ・スタイル。
例えば、昼食時になると決まって牛丼の吉野家に行き、判で押したように「並み」を
注文すること。
そのような人を今まで何人も知っていますが、どうも経済的理由より、押し並べて
「腹が膨れれば何でもいい」「面倒臭くなくていい」という理由からの人が多いよう
です。
昼食など何を食べようがどうしようが、その人の勝手です。
でも私は、食事のメニューをないがしろにしているような人は、何となく生き方その
ものに面白みが無い人に映ります。
と言っている自分が、タンメンの3連発(今日現在)なのですから、面白くも何とも
ありませんが。

話がタンメンに偏りそうなので、軌道修正。
今回のエッセイの趣旨は、食事バランスの実情についてです。

毎日の昼食は、このように青山の事務所近辺の店を利用。
主食を米飯か麺類かパンにするか、さらにその主菜メニューを牛肉か豚肉か鶏肉か魚
か卵か野菜にするかで、店とメニューを選別。
ほぼ感覚的に、均等なローテーションを組んで、食べています。
例えば麺類の場合は、「青山・長寿庵」に。
11時半ごろに暖簾をくぐり、まずビールの小瓶を飲んでから、冷やしとろろ蕎麦(+
野菜サラダ・漬物)などを注文。
また時々、事務所が入っているマンションの1階にある弁当屋の作り立て弁当を購入。
特に、大ぶりのカップに入った玄米ご飯の上に、鶏肉のそぼろ・いり卵・刻みレタス
・梅肉などが豊富にのったタイ料理風味の弁当が好み。実に美味しくてヘルシー。

私の食事は、一日2.5食。
0.5食は自宅での朝食。
8時頃に、お猪口1杯分のにんにく酒と、コップ1杯の白湯。それにバナナ1本とヨーグ
ルト。
朝食はこれだけ。たまに、リンゴや梨や柿を半分ほど食べます。
これだけなので0.2食分でしょうか。
バナナは輪切りにし、明治ブルガリア・ヨーグルトの1パックの3分の1ほどを混ぜ合
わせ、そこに特定保健用食品のオリゴ糖と、茶色のニッキ味した香辛料・シナモンの
粉をたっぷり振りかけて食べるのです。毎朝食べていても飽きません。
それから事務所に向う途中、9時半頃に必ず喫茶店でホット珈琲を1杯。
時々、モーニング・セット(厚切りのバター・トースト1枚、野菜サラダ、ソーセー
ジと目玉焼き、イチゴジャム、それにホット珈琲)を。
モーニングをとった日の昼食は、ほぼ麺類に。
その後は、夕食までにとる飲食は紅茶1杯ぐらい。

くだくだと述べましたが、朝・昼の食事は、この程度。
朝・昼・夕の食事のウエイトは、「3対2対1が、健康には好ましい」という意見が多
いのは承知の上。
しかし、長年の食習慣から、朝は今でも殆ど食欲が湧いてきません。
役所等に勤務していたサラリーマン時代は、毎晩、会食などの外食。
遅くまで飲んでいるので、翌朝の食欲は無し。
何も食べないで出勤していました。
そこで、「宮仕え」を辞めたら、健康のためにも家庭のためにも、朝食を主体にした
食生活にシフトすることを心に決め、60歳を前にした頃は「定番・朝めし自慢」(小
学館・サライ編集部編)という、各界著名人の朝食を紹介した写真集を、ためつすが
めつしながら、パン、ベーコン、卵、牛乳、野菜サラダを主体とした洋食メニューに
するか、それともご飯に味噌汁、納豆、アジの開き、卵焼き、漬物を主体とした和食
にするか、などと舌なめずりして考えていたものです。

でも、宮仕えを引退し、還暦を過ぎても夕食偏重は変わらず。
何故か?
それは家庭を持ってから30数年間、殆ど家で夕食を摂らずにきたので、せめてサラリ
ーマンを退職した後は、「夕食はなるだけ家で」と、殊勝にも考えたから。
さらに3人の子供たちが巣立ち、敵は私一人なので、配偶者は自らの為にも夕食にウ
エイトをかけるようになったから。
なかなか、用もないのに「夕食はいらない。外で飲んでくる」とは言い出しにくいの
です。
しかし、老舗店などでの長年の外食で舌が肥えてしまった(?)せいか、家での酒肴
はイマイチ。
そこで「作家の酒」(平凡社)という、著名作家の酒と肴を紹介した写真雑誌を購入
し、それにならった肴をあれこれと指示。
でも作家の方々の定番メニューをそっくり真似するのは、我が家の力量からして無理。
「あれも駄目、これも駄目」となる次第。
例えば、池波正太郎氏の酒肴は「日本酒・菊正宗熱燗、タコの軟らか煮、エビしんじ
ょ」。
立原正秋氏は「日本酒・三千盛、松茸の昆布〆、茄子炒め、豚の耳の煮付け、青しそ
の葉の醤油漬けの握り飯、山椒の芽の佃煮」。
黒澤明氏は「ホワイトホースの水割、お造り、石鯛の酒蒸、和牛ステーキ、車エビの
フライ」などなど。

私の晩酌は、ビールをコップ2杯に、日本酒と赤ワインを日替わりで。
日本酒は冷やの場合は1合、燗酒では2合。赤ワインは中ぐらいの大きさのワイングラ
スに2杯が基本。
それでも酒の力はあなどれず、品数が多ければよしとして何でも酒の肴にし、そして
食が進むように。
締めは、炊きたてのご飯を大ぶりの茶碗に盛り、とき卵をかけて卵ご飯にし、その上
に良くかきまぜた納豆1パック分をのせ、さらに細かくちぎった味付けのりをたっぷ
りと振りかけ、ゆっくり噛みしめて食べるのです。
さらに。
私は飲食後に必ず甘い物が欲しくなるたちで、バニラアイス1個分を皿に盛り、明治
屋のまったりとした茹で小豆を大匙3杯ほど添えて、ミックスにして喫食したりして
います。
これで満足。だからおのずと、私の胃袋では翌朝の食欲が落ちることになります。
(ちなみに、血糖値、中性脂肪などの血液検査値は正常です)

いま、「あと千回の晩飯」(山田風太郎・著、朝日文庫)という、食と老化に関した
エッセイを読んでいます。
著者は冒頭でこう述べています。
「いろいろな徴候から、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う。
といって、別にいまこれといった致命的な病気の宣告を受けたわけではない。
72歳になる私が、漠然とそう感じているだけである。
病徴というより老徴というべきか」。
1,000日は、ざっくり計算して33年弱。
自分の寿命を75歳、余命を3年ほどと推測し、それを晩飯の回数で表現しているとこ
ろは、さすがに流行作家であっただけに洒脱です。
洒脱といっても、生涯(79歳で死去)365日、夫人の手料理でウイスキーのボトルを
毎晩3分の1飲んでいたそうですから、豪気なものです。
ちなみに、先の「作家の酒」の本で紹介されていた、氏の晩飯の献立は「イカ刺し、
揚げ茄子と獅子唐辛子の天ぷら、れんこんのきんぴら、だだ茶豆、チーズの薄牛肉巻
き」。
酒が進むはずです。

食事は人間の命そのもの。
しかし、その食し方ひとつで、幸福の源泉にもなるし不幸(病魔)の元凶にもなるも
の。
たかが食事されど食事。
来し方行く末に、しみじみと思いが至る食欲の晩秋です。

それでは良い週末を。