この1週間、そして高倉健さん

東京の現在(午前10時)の外気温・11度、天候は快晴。
昨夕、長野県佐久市から帰京。駒澤大学駅に着いたら氷雨のような冷たい雨が降り続
いていて、「信州より寒い・・」と身を震わせたものです。
今朝は一転して晴れやかな好天。あちらこちらの街路樹の紅葉も美しく見頃を迎えて
います。
前回のエッセイを13日に配信してから、あっという間に1週間が過ぎ去りました。
今回のエッセイは、備忘録的に1週間の出来事を記し、それぞれの日に感じたことを述
べてみます。

先週末の14日は大阪に出て1泊し、翌日の土曜日は車で神戸市北区にある「北六甲カン
トリー倶楽部」へ。
元都道府県東京事務所の職員で、私の馴染みの方々との年1回の親睦ゴルフ。
現在も山口県、愛媛県、愛知県の各県庁の要職にある方々とのプレイでした。
この年1回の催しも、私が厚生労働省退職後からですから、10年以上になります。
私が三重県津市の厚生連本部に赴任している時は、初冬の桑名CCで震えながらプレイ
し、ホールアウトしてから何もない駅前の閑散とした道路をさまよい、ようやく見つ
けた古い食堂で熱燗を痛飲して長時間熱弁をふるって騒いだ思い出が、つい昨日の事
のように浮かんできます。
今回も綺麗なコース(難コースだが)と無風の快晴に恵まれ、プレイもアフタープレ
イも楽しい時間を満喫できました。
やはり、良縁は尊いものです。
話は外れて。

前夜は大阪のビジネスホテルに宿泊。
受付は愛想の良い若い女性1人。
私は4階のカギを貰って部屋に入ると、「ん?」と、違和感が。
化粧台の上に飲み終えた湯呑茶碗が置いてあるのです。
「掃除が終わってないのか?」と思ってベッドを見ると、きれいに整えてあり、クリ
ーニングされた浴衣が置かれています。私はフアスナーが開けっぱなしの鞄をそっと
覗くと、何やら分厚い本やノートが。
さらに化粧台にはANAとどこかのクレジットカードが2枚並べてあります。
「ダブルブッキングか?」と一瞬考えた時、部屋のドアが開いて、、、。
先ほどの受付嬢が「すいません。間違えましたあ!」と、慌てた声を出して入ってき
たのです。
「やはり、大阪やなあ・・」と、苦笑。

今週の月曜日は、首都大学東京・大学院教授のH氏と、東京福祉大学大学院・教授
(副学長)K氏とで、半蔵門の喫茶店で歓談。K氏をH氏に御紹介したのです。
両氏とも「環境・建物と健康」についての造詣が深く、H氏の論文のパワーポイン
ト用コピーを資料に、室内温度、新建材などの室内環境と健康との因果関係などを
議論。
さらに、話は現在の日本の政治や経済、年金制度などに及び、意気軒昂として面白
いひと時を持てました。

18日の火曜日は、夕方から埼玉県の北坂戸へ。
東武東上線の駅前は人影もまばらで、地方の衰退を実感。
時折足元を吹き抜ける夜風は冷たく、街路樹の枯れ葉がカサカサと舗道に舞っていま
す。
用向きは、「丹精にんにく酒」に関することで、地元の医療法人・社会福祉法人の理
事長と、行政書士の方々と打ち合わせ。
といっても私からすると、地元近隣で有名な、鰻のかば焼き店「だいこく」での夕食
が何とも嬉しい限り。
熱燗を飲みながら、蒲焼などをたっぷり頂きました。
埼玉県は、昔から中国を「眠れる大陸」と表現したように、何に対しても奥深い未知
の力を秘めているような気がしました。
鰻のかば焼きを食べたせいでしょうか?

翌19日(水)から20日(木)までは、長野県佐久市にある小宅へ。
地元の氏神様(?)である、新海三社神社の神主さんが来訪。
隣地の建設会社社長のI氏と、地元の朋友Y氏列席のもと、家と土地のお祓いの儀。
終了後は、私が淹れた珈琲を飲みながら歓談。
お清めは、寿司屋「と金」で一杯。
20日は、「丹精にんにく酒」を漬け込んである、地元の老舗酒蔵「橘倉」へ。
担当のT君がタンクから醸成中のにんにく酒を汲み上げてくれ、味見。
味は若いながらも程よく熟成が進んでいることに、ホッとしました。
そして、その足で長野新幹線「佐久平」駅へ。
駅前の蕎麦居酒屋「田右衛門」で、トロロ蕎麦(温)とだし巻き卵を食しながら「寒
竹」の熱燗を2本飲んでから、新幹線に飛び乗った次第。
車中ではスポーツ新聞を広げ、この11月10日にお亡くなりになった、俳優・高倉健さ
んの記事を読んでいました。
享年83歳。
冷静でひたむきで、責任感の強い実直な人だったという印象が残っています。
しかし、「網走番外地」「昭和残侠伝」などのヤクザ・侠客映画や、「幸福の黄色い
ハンカチ」などの名作映画からの印象や、撮影現場での「目配り気配り」がきいた心
やさしい健さんの逸話だけでは、氏の本髄の全ては掴みきれないでしょう。

文化勲章を受章された、日本を代表する男優・高倉健氏。
私は氏の書いた1冊の本をだいぶ前に読んでいます。
この本を読むと、氏の信念や心情が痛いほど伝わってきます。
「旅の途中で」(新潮文庫・平成18年発行)です。
再度読み返して、幾つかの心に残った断章を抜き書きしてみます。

「最近好きな言葉があって、腕時計の裏ぶたに、その言葉を彫ってもらい
ました。
「寒青」・・・・。
「かんせい」と読む。
中国語で何と発音するのかわかりませんが、漢詩の中の言葉で、「冬の松」
を表すそうです。
凍てつく風雪の中で、木も草も枯れ果てているのに、松だけは青々と生き
ている。
一生のうち、どんな厳しい中にあっても、自分は、この松のように、青々
と、そして活き活きと人を愛し、信じ、触れ合いたい。
そんなふうに生きていけたら・・。
とても好きな言葉です」

少年鑑別所での講演から。
「いろんなことがあったから、皆さんここにいるんだろうけど、目をつぶ
って自分のいちばん好きな人、恩のある人を思い出して下さい。
その人のために、他の誰のためでもなく、その人のためだけのために、一
日でも早くここを出て、更生して下さい」

「桜を見ると、《南極物語》でご一緒した蔵原監督が、桜をご覧になって、
<あと現役の監督として、何回この桜を見られるのでしょうね>
と呟かれたのを思い出します。
あの時の言葉は、とっても心に染みました。
毎日をしっかり生きなくてはと、そういうふうに思いました」

「人間にとっていちばん贅沢なのは、心がふるえるような感動。
お金をいくら持っていても、感動は、できない人にはできません。
感動のもとは何でもいいんじゃないでしょうか。
美しいとか、旨いと感じるとか、1日で1回でいいから、我を忘れて、立ちあがって、
拍手ができるようなことがあればいいですね。
感じることをこれからも探し続けたいと思っています」

そして、大阿じゃ梨の酒井雄哉氏は、「健さんのこと」と題して、驚くほどの慧眼を
もって種々評していますが、その文章の最後の言葉。
「自分に課せられた人生。
仏様からいただいた人生を、<これだけ燃えつきました>高倉健はそう言って逝ける、
数少ないお人やと思います」

今日は21日(金)。
帰りにTSUTAYAで、もう一度「冬の華」のDVDでも借り、今夜は画面から氏の追悼をし
たいと思います。

それでは良い週末を。