年初に思う

「今年はどういう年になるのか?」
毎年、正月を迎えると多くの人がフッと考えるのでは。
「2015年の予測」。
こうしたテーマで、政治や経済や様々なテーマごとに、夥しい情報がテレビ・新聞・
雑誌から流れています。
しかし、私は毎年この手の予測情報を年末年始に見聞きしていますが、その年の終り
に振り返ってみると、殆ど当たっていないようです。
マスコミ御用達の専門家や評論家は、自分の分野の応援団・既得権益者ですから、
「アベノミクスで劇的に蘇る日本経済。株価は2万円突破」「憲法改正に着手。中韓の
反日政権に政治的打撃」とか、自分の立場を利する希望的観測しか述べないのでしょう。
こうした情報はマスコミが発信源だからと盲信するのではなく、一つの見識として参
考にすれば良いのでしょう。
人生占いや天気予報と同じで、当たるも八卦、当たらぬも八卦。

私が2015年の年初に知りたいのは、知りたいと願っても誰も答えられないことですが、
「今年は(も)、大宇宙の怒りが起こるのか?起こるとしたら、いつどこでどのよう
な形で」という1点。
「大宇宙?これまた新春早々、気宇壮大な言葉がでたものだ」と呆れる方もおられる
かも。
大宇宙の怒りと言うのは、例えば大地震、大噴火、スーパー台風などの天変地異は勿
論のこと、人為的な原発事故、戦争、経済大恐慌などの全ての事象。
大宇宙という言葉がぴんとこなければ、「サムシング・グレート。人間を越えた大い
なるもの。人知を超越した大宇宙の見えざる力」とでも表現したら良いのでしょう。
様々な事象は、サムシング・グレートが為す「はたらき」と言う気が、最近つとに強
くなっているのです。
そうした大宇宙の怒り、サムシング・グレートの「はからい」が、2015年の地球上で、
どの様な事象を持ってあらわれるのか。
そんなことを、年初めにふっと想像したのです。

「そんな妄想は馬鹿げている」「そもそもサムシング・グレートとやらの、神のよう
な存在を前提として話を進めるのは、唯心論者の噴飯もの」と嘲笑する人がほとんど
でしょう。
それは当然。
しかし断わっておくと、私は唯心論者でも唯物論者でもありません。
67歳になっても、どちらが確信をもてるのか、いまだにわかりません。
ただ、今までの我が人生での拙い経験を振り返った時、「これは偶然にしてはあり得
ない。何か不思議な力が目に見えないところで働いていたからではないか」と思い当
たった体験が何度かあり、その思いが年々色濃くなってきた
ことは事実です(後日、その体験の幾つかを述べる予定)。
そう思わせる実体を上手く表現できずにいたところ、ある著名な科学者の著書で書か
れていた「サムシング・グレート」という言葉に触れ、これは得心がいく表現だと感
心して引用した次第なのです。
だからといって、現在、私がどこかの宗教団体に入って、神や仏を信心しているわけ
ではありません。
そのあたりの事情は、私のHPで「私のスタンス」(2013年2月21日)を開いて読んで
いただければ、おわかりのこと。
様々な異論や疑問の声を承知の上で述べることですが、私は、現在の人類の飽くなき
「欲と傲慢」に対し、「サムシング・グレート」が、今年頃から、今だかってない強
い警鐘を鳴らす様な気がしてならないのです。
それが今年なのか、何年後なのか、あるいは未来永劫(少なくとも生きている間)あ
り得ないのかは、当然のことですがわかりません。

どの時代にも流言飛語のたぐいは、社会に乱れ飛ぶもの。
特に「東日本大震災」(2011年3月11日)以降の日本社会では、「○月○日からの1週
間に、震度6弱の首都圏直下型地震が発生する確率がきわめて高い、と地震学者の某教
授が予測」といった類の情報が、マスコミから頻繁に報道されています。
そのたびに、商業的に「売らんがため」の報道とわかりつつ、人々は目を凝らし、聞
き耳を立て、マスコミの思惑にはまりながら、いつしか「また、オオカミ少年が・・」
と危機意識が鈍感になって、時間は過ぎていくようです。

自然界や人間社会で起こりうる事、起こり得ることを完全に否定できない事柄に対し
ては、科学的・実証的に分析・予測すべきで、占いの様な感覚的な物言いは慎むべき
でしょう。
そうしたことは地震学者や歴史学者、あるいは経済学者や社会学者や政治学者などの
専門家が、英知を結集して調査分析し、予測と対応策を提言するもの。
現に、国が各種分野で委員会等を設置し、日夜調査・分析を行っています。
卑近な一例を出せば、現在発売中の「週刊朝日」でも、政府の地震調査研究推進本部
が昨年末に公表した「全国地震動予測地図」の改訂版を基に、「列島壊滅に備えよ。
2019年までに富士山大噴火?!」との見出しで、特集記事を掲載。
「阪神淡路20年。都市型大地震が再び迫る」と、国民の危機感を喚起しています。
こうした情報はあくまでも予測ですので、冒頭に述べたように、あとは国民一人一人
がどのように受け止めるかの問題。
絶対的な確証はありません。

この一例は大地震の予測ですが、それでは中国との武力衝突発生の可能性や、北朝鮮
の他国への核攻撃の現実性、数日前にフランスで起こった陰惨なイスラム過激派によ
るテロ事件のような出来事が、今の日本でも発生する可能性。
あるいは、1000兆円以上の借金を抱える国の財政は、どうなるのか。国家財政がいつ
破綻するのか、など。
我が国には先行き不透明の様々な課題が山積しています。
しかし、どの分野の問題も明確な回答は出せないでしょう。

例えば、卑近な日常の健康問題一つあげてもしかり。
「牛乳は骨形成など身体にいいから、どんどん摂るべき。いや、牛乳の飽和脂肪酸は
摂りすぎると糖尿病や動脈硬化につながるから良くない」「水は血流や新陳代謝を良
くし、脳卒中や心筋梗塞の発症を防ぐから、最低1日○○リットル摂るべき。いや、
身体を冷やし、内臓機能を低下させるので良くない」「卵はコレステロールが高く、
動脈硬化・心臓病の要因になるから避ける。いや、そうした科学的根拠はない。栄養
的にはむしろどんどん食べてもよい」「健康維持のためには健診を受けて、疾病の早
期発見・早期治療を図ること。いや、健診、特にがん検診は百害あって一利なし。
受診群と非受診群の死亡率の有意差はない」
うんぬんかんぬん。

「円安は輸出事業にプラスだからどんどん進んでも良い。いや、輸入原材料が高騰す
るので悪い」「アベノミクスで経済は上昇している。いや、それはごく一部。中小企
業の倒産が増加傾向」「集団的自衛権の行使容認で、日本の防衛は強化された。いや、
かえって戦争に巻き込まれる危険が増した」

このような議論や予測は、実証可能な結果が出るまで続くでしょう。
それもよし。
私が述べたいのは、そうしたそれぞれの重要課題の根底をなすプリンシプル。
「私達日本人の生き方が、果たして今のままでいいのか?日本の国の姿がこれでいい
のか?」という根源的な課題を、国家の中枢から次代を担う一般国民の若者まで、多
くの人々によって真剣に考えなくてはいけないぎりぎりの時に来ている、ということ
なのです。
その多くの声なき声の代弁者が、特に国政に携わる政治家であることは、国民主権の
表徴である我が国の議会制民主主義からして自明のこと。
しかし現実は、先の衆議院選挙で顕著な通り、政治家も国民も「アベノミクスの是非
を問う」という目先の政策(利益誘導策)議論ばかりでした。
また、各候補者の地元では「A市に特養を増設する」「B区の保育園を増やす」「C
区に耐震工事費補助制度を創設する」「D町に○○施設を建設する」といった、都道
府県議会か市町村議会の議員選挙と見まがうような地域も多々。

今こそ、日本の国・日本の国民が、旧来の経済成長至上主義の呪縛から脱却し、「新
たな価値感」の創成と「日本文化」の再評価の議論を真剣に進めることこそ、末世的
な様相を呈する現代の状況を切り開く最後の可能性だ、と私は考えているのですが。
これは儚き初春の夢と化すのでしょう。
せめて今年は「サムシング・グレート」の深刻な警鐘が鳴り響かないことを、切に願
うのみです。

今回は初春のエッセイにしては、いささか重い内容になりましたが、初春の戯言と思
って御容赦ください。
それでは良い週末を、良い1年を。