「ありがたい」と呟くこと(1)

私は、自室の背もたれ椅子にもたれながら、その本を気楽に読み進めていましたが、
ある箇所のところで慄然とした感情に襲われ、慌てて身を起こし、再度確かめるよう
に読み返してみました。
そして深いため息をつき、名状しがたい感慨に震えたのです。

本の題名は、作家・井上靖の「花壇」(角川文庫・昭和55年発行)。
井上靖は私の大好きな作家の一人なので、かねてから氏の多くの著書を読んできまし
たが、この本は未読でした。
青山の事務所から渋谷方面に向かって青山通りを歩いていると、1軒の古本屋があり
ます。先日、何気なく店頭の書架を眺めた中に、この本がポツリとあったのです。
そこで、何となく嬉しい気分でこの1冊100円の古本を買ったのですが、自室の本棚に
並べてある氏の著書「氷壁」などとは異なり、この古本は一晩で読了し、廃棄するつ
もりで読み流していたのですが。
衝撃的な文章に出会い、我が心のいたらなさに悄然としてしまいました。
まさに運命的な巡り合いだったのです。

物語の概要、特にさわりは次の通り。

主人公は、壮健で豪放磊落な建設会社の創業社長。
その彼が60歳を迎えて、突然に引退。
家族や会社や業界の人達は、その原因が皆目不明で、様々な憶測が。
説明を不毛と考えている主人公は、理由を問われると「人生観が変わったわけではな
いが、60の声を聞いた時、ふいに金、金、金と、金を追いまわしている仕事が嫌にな
った。実際に、たとえ小さい会社でも持っていると、この時代を生き抜いていくこと
はたいへんだからね」などと返答していた。(私も首肯しながら、この返答が引退の
主因と思って読み進めていたが)
しかし、そうしたことは引退を決意する必要条件の一つだが、十分条件ではなかった。
主因はオリエント旅行の途中、イランで自動車事故に遭い、九死に一生を得たこと
(同乗していたフインランドの富豪の老紳士と、イラン人の運転手は即死)。
それを契機に、ひたすら歩きづめに歩き、毎日忙しく駆け回ってきた過去を振り返る
と、ただ一望の雑草に覆われた荒涼とした道が続いていたことに気付いたこと。
そして、事故死したフインランドの老紳士が、事故の前に語ってくれた次の言葉に、
生還後、激しく心を揺さぶられたこと。

『(若い時は、こういうこと(注・テヘランに向う険しい道沿いに散在する人々のた
め、そこにボランテイアとして診療所を開設すること)を一切考えず、何か知らない
が、働きづめに働きます。
何のために働いているか、自分でもわからないままに働きます。私自身そうでした。
それが70歳になりまして、あともうそう長くないということに気付いた時、自分勝手
に、自分がしたいと思う事をして、生きようという気になりました。
しかし、そう思った時は遅いですな。70歳になっては、もう遅いですよ。自分勝手に
生きようと思っても、何もできはしません。もう駄目です。体力もなければ、気力も
ない。出来ることというと、慈善事業ぐらいしかありません。
(略)
しかし、私の場合、そんなことでも、今までの自分の生き方への反逆です。ずいぶん
馬鹿なことですが、振り返って見ると、長い一生、自分のために生きたということ
は、これっぽっちもありませんでした。何かに束縛され、何かに捉われていました。
人間というものは、愚かなものだと思います。
(略)
人間折角、この世に生まれてきて、自分勝手に好きなように生きることなしに、与え
られた人生を終わったら、ずいぶん詰まらないと思います。
70歳になったとたん、遅まきながら、そういうことに気付きまして、まあ、診療所で
も造って、多少、世の中のために役立てたらと、そんな気持ちになりました』
『決して慈善事業をやれとか、人のため、世のために生きよとは申しません。
自分本位にお生きなさい。自分が生きたいように、お生きなさい。それが、生きると
いうことです。
名誉、世間体、そんなことにばかり気を使って、あたら一生を使い果たす愚だけは、
お避けになった方がいい』

そうした亡き老紳士の言葉が、奇跡的に生き残った主人公の脳裏に共鳴し、彼は『お
まけの人生を自分本位に生きたい』と決意するのだった。しかし・・・」

以上が本のあらましです。
井上靖らしい、清白で気骨のある小説です。
そして、私が冒頭に「衝撃的だった」と述べた箇所は、唯一生還した主人公が、入院
3日目に病院のベッドで目が覚めた場面から始まっています。

「お目ざめになっていますか」
女の声が聞こえた。
「お目ざめになっていますか」
再び女の声が聞こえた。棟一郎(主人公)は答えようとしたが、簡単な「イエース」
という言葉が出なかった。
「起きています」
棟一郎は日本の言葉で言った。それと同時に、顔の上の白布が除かれた。若い女の顔
と、その背景をなしている白い壁が、棟一郎の目の中に入ってきた。
「神に感謝しなければなりません、死があなたを見舞わなかったことに対して」
女は言った。事件が発生してから聞いた最初の人間の言葉であった。死ななくて、良
かったですね、と女は言ったのである。
「ここはどこですか」
棟一郎はきいた。
「テヘラン市内の病院です」
女は答えた。
「テヘラン?!」
棟一郎は信じられぬ気持であったが、その信じられぬという気持には、いかなる根拠
もなかった。女によって、いかなることが答えられたとしても、棟一郎にとっては、
同じように信じられぬことであったに違いない。
「僕はいま生きていますね」
「確かに生きていらっしゃいます」
「将来も生きることができますか」
「私は医師ではありませんが、確実に生きることができると、申し上げて間違いない
と思います」
「体はめちゃめちゃになっておりますか」
「めちゃめちゃになっていたら、どうしていまのようにお話することが出来ましょ
う」
「身動きできないことは、どういうことですか」
「ギブスがはまっています」
「骨が折れていますか」
「詳しいことは申し上げられません、私は医師ではありません。でも、何日か後には、
ギブスなどみんな取れてしまうのではないでしょうか・・・。神さまに感謝しなけれ
ばなりません。考えることのできぬ幸運を、神さまはあなたにお恵みになったのです」
その女の言葉と一緒に、再び白布は棟一郎の顔の上に置かれた。
いま生きている。そして、将来も生きられる。
棟一郎は思った。生きられる、生きられる、生きられる!いつまで思い続けていても、
決して思い続け過ぎるということはないだろう、そんな気持ちである。

もう一度、顔の上の白布はめくられた。
こんど棟一郎の目の中に入ってきたのは、看護婦ではなくて、若い医師だった。
「驚くべき幸運を、神さまは貴方にお与えになりましたね」
医師は言った。
「神様に感謝しております」
棟一郎は答えた。
「いかに感謝しても、感謝しきれませんね。考えられぬことが起こったのですから。
何も覚えておらぬでしょう」
「何も記憶しておりません。ただ自動車が傾き出した時の嫌な思いが、何とも言えぬ
悪寒として思い出されます」
「ほう、そして・・」
そして、と言われても、棟一郎は答えられなかった。
「運転手がただならぬ悲鳴を上げました。それが耳に残っています」
「それから・・・」棟一郎は黙っていた。記憶はそこで断ち切られていた。
「それからはあとは、何も覚えていませんか」
「覚えていません」
「ほう」
「あとは、星が一面にばら撒かれていると思ったことがありました。それからまた別
の時のことだと思うんですが、
淋しい風が・・・淋しいというのは、そう私が感じたことですが、その淋しい風が吹
いていたのを覚えています。
そんな断片的な記憶が幾つかあります」
「よろしい。そうしたことはいつか詳しく伺いましょう。今夜は疲れると思いますか
らやめにしておきましょう」
それから、
「あなたは、自動車が転落してゆく途中で、自動車の中から車外へ放り出されたんで
す。神さまでなくて、あなたをそのように取り扱うことはできません。あなたは崖の
途中の台地の上に、しかもきちんと仰向けに寝かされていたんです」
(略)
「今のところ体のどの部分にも、骨折一つありません。打撲傷が何日か、あなたをこ
の病院に留めておくことでしょうが、ただそれだけです。では、神に感謝しておやす
みなさい」

引用文が長くなりました。
私はこのあたりの文章を2、3度読み返し、それから本を机に置いて、しばらくの間、
自室の窓の向こうに広がっている
夕焼けの空を、まんじりともせずに眺めていました。
「私にも、この様な出来事があった・・・」
脳裏には、遥か昔、55年前の出来事が徐々に蘇ってきました。
そして寂然とした胸の内で、こう呟いたのです。
「私は今までに、このことで神に感謝したことがあったのだろうか・・・」
67歳になって、めっきり皺が目立ってきた我が両手の甲を見つめながら、思いは55年
前の春に向いていました。

今回のエッセイは長くなりました。ここでやめます。
続きは次回にでも。

それでは良い週末を。