先週末は、長野県佐久市臼田町に建つ、佐久総合病院の「第69回病院祭」に行ってき
ました。
病院祭といっても、一般の人々にはイメージが湧かないと思いますが、概容を簡単に
説明すると。
「地域の人々を対象に、病院の日頃の活動状況や、保健・医療・福祉・農業などに関
する最新の情報を、パネル展示や寸劇や映画上映や健康相談などでわかりやすく提供
して地域住民の健康づくりの推進を図るとともに、娯楽・飲食コーナーや模擬店の設
置等を通して、院内外の人々の交流を図ることを目的とする、病院主催の文化祭」。
とでも言えばいいのでしょう。
今年は69回目。
と言うことは故・若月俊一先生が病院長に就任されて間もない、昭和22年に第1回が開
催されて以降、まさに日本の戦後史をなぞるように、延延と今日まで継続して開催さ
れてきたわけです。
「継続は力なり」とは良く言ったものですが、佐久病院の魅力と底力は、この愚鈍
(失礼)ともいえる継続力と、我が国の他の病院では到底見かけることが出来ない文
化力にある、と言えるでしょう。
私の佐久病院との交流は、昭和57年の「老人保健法」の審議、公布の頃からですが、
特に翌58年から、我が厚生省(現・厚生労働省)本省の野球部が佐久に遠征し、病院
の事務管理部門と医局のそれぞれのチームと交流試合を開始してから、年を追うごと
に深くなりました。
今年の夏の遠征で、33回目(年目)になります。
私はこの交流行事を「壮大なるマンネリズム」と称していますが、まさに佐久病院の
継続力が病院運営の底流に流れているから、為せることでしょう。
私は佐久病院祭には、だいぶ過去に2回ほど参加しただけですが、ここ3年は毎回東京
から駆けつけています。
それは、病院祭(5月の土曜〜日曜日の2日間)の祝賀会が土曜日の夕方から開催され、
多数参加される地元の関係者(広くは県下)と共に、私も招待されていることと、4年
前に佐久市に小さなセカンド・ハウス(隠れ家)を建てたのが、出席する動機となっ
ているのです。今回は総勢約230名の着席者数。
それぞれ20の丸テーブルに分散します。
私の隣席は、1昨年は井出正一氏(元厚生大臣)、昨年はK副院長(脳神経外科)、
そして今年はT氏(JA長野厚生連健康福祉部長)。
毎回、色々な話を交わしながら、楽しい酒席でした。
しかし、今回違和感を感じたことが、1点。それは来賓の祝辞。
特に地元選出の国会議員や県会議員のスピーチ。
今回は予定されていた二人の国会議員と佐久市長等が、海外出張などの公務で欠席。
したがって、一人の国会議員(自民党)と、この春の地方選挙で当選した4人の県会議
員が挨拶を。
私が強い違和感に襲われたのは、国会議員のスピーチ。
会場の多くを占める病院関係者やJAを中心とした地元関係者の殆どは、政権が年内決
着を進める「TPP」による、日本の食料自給や生産農家への打撃、あるいは我が国の国
民皆保険制度の崩壊の懸念が強い、混合診療解禁などを目論む米国資本の参入に、深
い危機感を抱いているはず。
それと「集団的自衛権の行使容認・自衛隊(軍隊)の戦闘範囲の拡大等」にまい進す
る政権与党に、強い懸念を抱いていることが、それぞれが置かれた立場から、容易に
推測されます。
現にある方の挨拶では、日本の現状を憂える言葉もありました。
だが、国会議員氏は「皆さん、日本が戦争に巻き込まれるという声がありますが、そ
んなことは絶対にありません。私も、閣僚の一人ひとりも、自民党の全員も、そう確
信しています。国民の皆さんにはしっかりとご説明していきます」といった主旨の話
をされていました。
いつの時代も古今東西、政治家は「戦争はしない」、国民は「まさか我が国が戦争を
するはずはない」と安易に思っているうち、ある日突然に戦争は勃発するもの。
私達は、絶対に戦争はしない。この制度は戦争抑止力になる平和法だ」という主張を、
誰が鵜呑みにできるのだろうか。
口約束など、屁のつっぱりにもなりません。
それに、「自民党の全員が、同じ考えだ」というのも、気味悪いこと。
どの様な政策も、誰かは異議や疑問を表明し、大いに党内議論を戦わせ、結果的に党
議を順守するにしろ、決議に際しては同意したり反対したり棄権したりする議員が出
てくるのが、健全な政党といえるのでは。
過去の自民党の歴史を見ても、様々な議論と対立がありましたが、少なくても全員が
賛成で、党内議論の様相が全く窺えない現状は、異様。
まさに「独裁」なのか、それとも「政治家のレベルの著しい低下」なのか。
そうした自由な議論の状況を堅守し、この日本の国・日本国民のために尽くすという、
信念の議員が一人もいないのか。
この自由と民主主義の国の与党において。
一方、県会議員のスピーチは、どれも選挙演説での自己紹介の様な内容。
早口で威勢よく喋っていますが、中身はみな定形的。所々で「しっかりと」というフ
レーズをちりばめるのは、今や与野党、国・地方を問わずに多くの政治家が多用する
もの。
「しっかりと、議論し」「しっかりと、国民・有権者の方々にご説明し」「しっかり
と、責務を全うして・・」。
それほど日頃から、しっかりと行っていないのか?
テレビや大会などで、ちょっと意識して聞いてみてください。
きっと喋ります。
翌日、長野新幹線で帰京の途に。
車中、「昭(あき)・田中角栄と生きた女」(佐藤あつ子著・講談社)という単行本
を読んでいると、こんな箇所が出てきました。
昭とは、「越山会の女王」と呼ばれ、田中派の金庫番で元総理・田中角栄氏の愛人だ
った、佐藤昭氏。
あつ子氏は、二人の間に出来た娘。
そのあつ子氏の回想。
『私はふとオヤジ(注・角栄氏のこと)の演説を思い出した。
あのダミ声で、汗だくになりながら演説するオヤジに、聴衆から「いいぞ!」という
合いの手が入ったり、「こら!新潟に帰れ!」という野次や罵声が飛んできたりする
と、オヤジはいちいち「おっ、そこのあなた」と反応して、その声に応えようとする
のだ。
無視したり、切り捨てたりすることができない。すべてを受け止めようとする。
それがオヤジだった』
総理大臣でありながら、この懐の広さ。
金権政治家と揶揄された田中角栄氏の評価は、人により様々。
しかし、少なくとも今の政権・政治家より「民主的」な体質を感じて、私は思わずニ
ヤリとしました。
若月俊一先生が、亡くなる3年前に直筆で書いて送ってくれた、色紙の言葉。
「健康は平和の礎」
個人も社会も国も、健やかでないと衰弱していきます。
「2015年の病院祭は、日本の戦後70年続いた「平和の時代」が、大きく変容した潮目
の年に開催されたもの」と、後年に振り返ることになるかも知れません。
それでは良い週末を。