昨夕は、東京プリンスホテルで行われた「A代議士(自民党)を励ます集い」に出向
いてきました。
ある方に誘われたからです。
私の参加目的は、乾杯が終わったら知人の関係者10数名と共に、立食パーテイを途中
退席し、ホテル内の中華料理店でゆっくり会食すること。
その1点にありました。
実にさもしい魂胆。
集いは午後6時からでしたので、午後7時過ぎには退席できると予測していたのですが、
これが大甘でした。
初めに茂木・元経済産業大臣の「国政の動向と日本経済について」と題した講演が30
分間。
その後、菅官房長官の挨拶が予定されていましたが、来場が遅れ、その間を地元の副
知事やらが急遽挨拶のつなぎをし、それでも間に合わないので茂木代議士が再登壇。
「共産党は自衛隊の存在は違憲と言い続けてきたのに、安保法制の審議では、〈自衛
隊員が戦争に巻き込まれる危険が生じる〉などと主張しているのだから、全くナンセ
ンスな話」などと饒舌に語っていました。
その後、ようやく菅官房長官が登場し、A氏を大いに持ち上げる挨拶。
それから林農林水産大臣、下村文部科学大臣、高村副総裁、石破地方創生担当、麻生
副総理、塩崎厚生労働大臣等々の演説が延延と続き、私らが宴会場を退出したのは午
後8時前。
どなたも、まずは安倍政権の政治手腕を礼賛。異口同音に「民主党政権で日本の経済
も外交もガタガタになったが、安倍・自民党政権になって、今では株価上昇、給料の
アップ、求人の増加等々、日本の景気が劇的に回復した」と自画自賛。
それにしても、民主党政権誕生前は、自民党の守旧的、悪弊的なカネと政治に国民の
多くが辟易とし、その一例である集金的パーテイに対しては、マスコミも世論も厳し
い批判を与えていた時期もあったのですが、今ではそんな批判は全く影をひそめてし
まいました。
「何が悪い?そんなことを言う奴はアカか国賊ぐらいだ」と木で鼻をくくったような
雑言が聞こえてきそうです。
それでも、同行した私より数歳上の先輩が、「政党助成金をたんまり貰っているのに
なあ」と小声で皮肉ったのには、思わず同感の苦笑を。
やれやれと途中退席したのは午後8時前。
それから中華店で会食。
こちらは御馳走になっている身分なので、料理にケチをつけたら失礼になるのですが、
このコース料理(一番高額なコースのはず)の不味いこと。
これが東京プリンスだったっけ?と。
店内はえらく広く、かってのバブル経済の頃はゴージャスな雰囲気に満ち、どの席も
華やいで満席状態だったことでしょうが、この晩は、ガラガラ。
黒服の店員の数ばかりが私達の個室周辺を徘徊して目立っていました。
これも失礼ながら、今や東京プリンスホテルそのものが、古色蒼然。
各レストランは、どこも経営が厳しくてランチや団体割引メニューなどでこなしてい
るのが実情では?
だから、この日の様なパーテイ復活は、大歓迎のはず。
かってのバブル景気の時期は、日本中が拝金思想にまみれ、上から下まで傲慢、無礼
な連中で溢れていました。
心ある文化人やエコノミストなどは「もっと謙虚になるべきだ」と警鐘を鳴らしてい
ましたが、多勢に無勢。「お前ら、景気の好循環社会に水をさすな。ジャパン イズ
ナンバー1だ!」の声にかき消されていたのです。
バブルが弾けたその後の惨状は、周知の通り。
それがこの頃、かっての旧弊が、あちこちでぞろぞろと復活してきたようです。
「がんばれ日本」「強い日本を復活!」の勇ましくも空疎な掛け声と共に。
こうした風潮は、皆がどこかに抱いている不安と自信喪失と空虚感を、何とか払拭し
たい強がりやあがきの表れ。そう感じられてなりません。
かってのバブル景気の頃は、国民の各層がそれなりの恩恵を浴することができました
(その反動である逸失も多かったですが)。
しかし、今の実感の乏しい「ミニバブル景気」とやらは、ごく一部の富裕層などが株
で儲けているだけのはず。
さらにそのごく一部の連中が、かっての拝金主義にまい進しながら、威勢のいい掛け
声を国民に浴びせ、傲慢な政治運営をしているのですから、かってのバブル期より日
本の状況は、極めて絶望的だと思わざるを得ません。
国会で、安倍総理が野党の質問者に対し「早く質問しろよ!」とヤジったり、日本年
金
機構から約125万件の個人情報が流失したり、その後始末に年間約50億円の費用が発生
したり・・・。
それでいて、かっての吉田首相の「バカヤロウ・・」発言では(注・OFFにしたはずの
マイクがONのままで、小声で呟いたのが流れてしまった、とのこと)、内閣が総辞職
せざるを得なかった政治の緊張感も、今では全くなし。
年金の個人情報が大量に流出する深刻な失態は、大臣等の管理者責任が大きな政治問
題になるはずが、これもどこ吹く風。
全く、無責任な情けない時代になりました(私は重箱の隅をつつくような、責任の議
論は不賛成ですが)。
世も末・・・。
ホテルの会場の喧騒も消え、ひとときの儚い宴は終演。
私は皆と別れ、何とも言いようのない寂寞感を抱きながらホテルを後にしました。
そして、何となく立ち止まって振り返りました。
するとそこには、ライトアップされた東京タワーが、変わらぬ温かさをたたえながら
聳え立っていたのです。
そうか、東京タワーは不変だ!
戦後の混乱期から復興期に移行し始めた昭和33年(私が小学5年生)の頃。
あれからずっと、私達を見つめ続けてきているのだ。
そして私は、今までの人生で何度、東京タワーの雄姿に励まされたことか。
まだ諦めるには早い。
何事もこれからかもしれない。
だからもう一度、もう一度トライするのだ。
明日に望みを託して!
地下鉄「大門」までの道のり、そんなことを考えながら「東京の灯」が目に沁みた、
梅雨の間の夜でした。
それでは良い週末を。