朝日の様に

今日は7月10日(金)。
今は午前7時。
昇る朝日が、空の色を淡い乳白色から薄いブルーへと変えて行きます。
久々に仰ぐ、雨のない明るい空。
この1点だけで、忘れかけていた微かな心の昂揚を感じます。
気分のいい朝。このような感覚は本当に久し振り。
この1週間は、まさにこれまでの長雨の様に、心身ともに重い1週間でした。
それは天気模様だけが原因ではありません。
3点あったのです。

一つには、配偶者の不在がありました。
先週の金曜日に次男の嫁などが、先に赴任している次男を追ってプラハに出発したこ
とは、先週のエッセイで触れました。
その際、荷物の多い嫁の依頼もあり、私の配偶者も孫の手を握ってプラハ(ミュンヘ
ン経由)まで同行し、次男の居宅に1週間滞在してくることになっていたのです。
私は搭乗ゲートに消えていく3人に手を振り、「じゃあな。さて新橋で寿司を食って帰
るか」などと、嫁たちとは5年の別れで感傷的な気分になった一方、奇妙な開放感にも
襲われ、調子よく帰路を辿ったのですが。
これが甘かった。
それからの毎日は、ことのほか3度の食事や毎日の分別ゴミ出しや、就寝時の戸締りと
火の元の確認などが厄介ごとに。
10年前、三重県厚生連に勤めていた頃は、4年間の単身赴任をマイペースで楽しんでい
ましたが、今は、毎日の生活雑事がこれほど煩わしかったのかと嘆息。
10年の歳月は確実に心身のしなやかさを喪失させていたのです。

毎日の分別ごみ出しは、月曜日の空き缶・壜の資源ごみと、今日金曜日の燃えるごみ
を門先に出しただけ。風呂はシャワーで済ませ、下着は籠にポンポン突っ込み、山と
なった洗濯物は帰国してからの配偶者まかせに。
リビングなどの掃除は1度もやらず、朝夕の雨戸の開閉(朝7時と夕方6時)もやらず、
カーテンを引いたままに。朝7時前に起きるなど、真っ平。
食事は、朝はバナナ1本とヨーグルトのみ。
昼食・夕食は外食。冷やし中華、餃子、+中生ビール=昼食。
黒酢八宝菜、五穀ご飯、味噌汁+日本酒1合=夕食といった具合。
寝しなは布団の中で読書をするのですが、静まり返った家の階下から、何やら音がす
るたびにドキッとし、懐中電灯を手に密かに様子を探りに階段を下りる始末。
いやはや、かっての単身生活の軽快感はどこへやら、です。

二つ目は、同世代の人達の訃報。
今週の月曜・火曜日は奈良に行ってきました。
高校時代の級友2人と、今秋のクラス会の開催などの打ちあわせ後、
酒を酌み交わしながら歓談したのですが、彼らから「AとB、それにCも今年になっ
て急逝したんだ」と聞かされ、「1昨年のクラス会では元気な顔をしていた、あの子だ
くさんのCが!」
と愕然としてしまいました。
昨夕は、日本橋馬喰町の「NPO法人全国骨髄バンク推進連絡協議会」の事務所を訪問し、
その後、近くのもつ焼き屋で歓談してきました。今月から副会長に就任したので、そ
の顔合わせ。
理事長のD氏とは同世代。
やはり話題は、健康と寿命のことに。
D氏は煙草も酒も大好き人間で、過去に「ガン、脳卒中、心筋梗塞」に罹っています
が、いずれも早期発見・早期治療で事なきを得てきました。
彼は、美味そうに煙草をふかしながら「俺たちの世代は無茶やってきたもなあ。俺は
あと3年生きればいいと思っているよ」と、淡々と語ります。
「3年?貴方は私より1歳下だから、70歳だろう?本当にそれで悔いはないの?」
「ないね。今死ぬといわれても平気だよ」
「ふーむ・・・」

少し酔って帰宅し、郵便ポストから夕刊と葉書を出して葉書に目を当てると。
私と同年齢の、JA三重中央会の専務理事だったE氏からの旅の報告。
場所は中国の長江。
今年になってからインド、オランダ・ベルギー、そして今回の中国と3回の海外旅行に
出かけた模様。
「遊び呆けられるのも今のうち。春にはまたまた同年代の数人の知人の訃報を知らさ
れ、落ち込みました」と記してあります。
俺たちの世代も、人生の終焉をリアルに考える時が来た。
しばし立ちすくみながら、私は深い暗愁に陥っていました。

そして三つ目の今週の重かったこと。
それは我が「一般社団法人東井悠友林」の「役員変更の登記申請」。
先月末の社員定時総会で理事2名の再任と理事2名の新任にかかる変更登記事務。
このため、申請書類、総会議事録、議事録署名人の署名・実印及び印鑑登録証明書、
定款等の書類を用意し、東京法務局港出張所に6月29日に事前相談に。そして7月2日
に正式登記申請に。
すると今週火曜日に、京都伊勢丹の喫茶店で珈琲を飲んでいる時に担当官から留守電
が。
さらに帰路の新幹線車中にいた時にも留守電が。
「代表者選定書の作成を。法務局HPからその様式を検索して云々」と。
そこで一昨日に資料を急きょ作成し、法務局の担当官のところへ。
私は様式通り「理事の互選により」と「議事内容を証明するため、下記の通り出席理
事の署名・押印をする」の文言を記した書類を作成し、出席理事2名の記名・押印をし
て申請したのですが。
担当官は「理事全員の互選により」「理事全員の署名・押印を」と主張。
「それならHPの様式と異なるのでは」
「いや、法律的にはですね」
「法律のどこに書いてあるのですか。さらに様式には「これは一例で、各法人の実情
に応じて作成」とも書いてあるじゃないですか。私共の法人は・・」
「いや、こちらはそれぞれの法人の実情はどうでもいいのですよ。法律的に見るだけ
ですから」
「それなら法律の趣旨を明確に様式に表せばいいじゃないですか。貴方達の頭の中に
あっても、一般の申請者は、この法務局の例示を信じて作成しているのですからね」
「・・・」
その時、私はピンときました。
「この実直そうな若い担当官と理論闘争しても無駄だ。上の決裁欄が3つ空欄になっ
ている。
上司の印を貰えなければ仕方がない」と判断。担当官のやりやすいように従おうと。
「わかりました。それなら文言の一部修正と、4人の理事の署名・押印があればいいの
ですね」
「ええ。署名はワードで書かれて結構ですよ。代表者以外は認印で結構です」
そして翌日(昨日)の朝一で補足資料を提出してきたのです。
本来なら、「現場の指導内容と、ホームページの書式が違うではないか。どちらが正
しいのだ」と法務局に訴えるところですが、「疲れることはやめた」となった次第。

いやはや、長く続いた梅雨空の様に、気の重い1週間でした。
それが明けた今日。
薄い朝の光ですが、気分は晴れ晴れ。
人生も、朝日の様に明るく生きたいもの。
「私は、死ぬまで長生きするだろう」
そんなことを考えながら、今から光が満ちてきた街に出るのです。

それでは良い週末を。