「社会全体が、たるんでいるんじゃないか?!」
9月1日の夜、NHKテレビから「2020年の東京オリンピック・パラリンピックのエンブレ
ムについて、大会組織委員会はその使用中止と再公募を決定」とのニュースが。
この決定について、各方面の人をインタビューしていた中、「経済界では、どう思っ
ていますか?」と質問された経済同友会の代表幹事が、ズバリ発したのが冒頭の一言。
私は、「まさに正鵠(せいこく)を得ている言葉」だと、頷きました。
御承知の通り、この問題はエンブレムの盗作疑惑。
当初は「疑惑はない」と主張してきた当局も、国内外から起こる種々の盗用疑惑の声
に収拾がつかなくなり、「一般国民の理解を得られなくなった」と、問題の黒白を明
確にせず「国民が・・・」と世論を利用して決着を図った模様。
今まで何をしていたのか、と情けなくなります。
このエンブレムの使用中止により、エンブレムの使用契約をした多くのスポンサー企
業(既に数社が使用開始)が、今後、損害賠償請求をすることが予想。
東京都も、のぼりやポスターなどの制作費、約4,600万円を発注。
先に、巨額の建設費が問題となり、白紙撤回・再公募に至った新国立競技場の建設計
画の場合は、デザイン料13億円は既にデザイナー側に支払われ、今後は契約解除に伴
う違約金が、10〜100億円ほど発生することが予想されています。
新国立競技場にしてもエンブレムにしても、2020年までの残期間が限定されているに
もかかわらず、計画の段階で右往左往し、後手後手の対応で時間と予算を浪費してい
る現状に、多くの国民が呆れ果てています。
「東京オリンピックは、大丈夫か?」と。
私は冒頭で引用した「社会全体が、たるんでいるんじゃないか」という財界人の感想
は、今回の2つのオリンピック関連の出来事だけから発せられたのではなく、例えば
経済界では、日本を代表する大手企業「東芝」の、現在の焦眉の問題となっている不
正会計問題なども脳裏にあったと推察されます。
東芝の歴代社長が、対外的に業績好調を印象づけるため、長年にわたって密かに幹部
らに、利益の水増し計上を指示していた問題。経営のトップ自らが、コンプライアン
ス(法令順守・企業倫理の順守)違反を行っていたのです。
日本の社会全体がたるんでいる。
政治家は、勉強をせず、声も上げず、議論もせずに、次の選挙での公認を得るため党
の幹部の指示に唯々諾々と従っているだけ。
巨額の議員報酬を得ながら、特権の上に胡坐をかいてノウノウとしている議員ばかり。
だから中には「(安保法案に反対する)戦争に行きたくないという若者は、利己的」
と発言した自民党の若手代議士のように、未公開株詐欺疑惑(代議士枠で未公開株を
取得できるとして、知人から金銭を詐取したとされる)や買春疑惑で離党した者も出
てくるお粗末さ。
また、日本年金機構では、大量の個人情報が流出する大失態。
さらに、鉄道や空港では、保守・管理体制の不手際からくる運休の続出。
ビルや橋やトンネル、港湾、幹線道路などの経年劣化への対応の遅れ。
無謀な自動車・自転車運転による事故の多発、ストーカー殺人や衝動的殺人事件、愉
快犯による連続放火、ネットでの悪辣なプライバシー侵害・個人攻撃、聖職者や公僕
による破廉恥罪、そして詐欺の増加。
いつも出くわす光景では、年寄りや子連れの乗客を無視し、我先に電車の座席に座り
こむ人々。
優先席を占領し、スマホや化粧に没入している若者。
飲食店や小売店で、店員に威張り散らす客。役所や銀行などの窓口で、長時間文句を
並べている人。
一端の売春婦のような服装と化粧をして、終電前の風俗繁華街をたむろする中高生と
おぼしき若い女性。
すべてが「末世(まっせ。道義の廃れた世界)」の到来現象といえるでしょう。
その要因は、社会が自分勝手な無責任行為を放任し、無関心を助長し、その結果、弱
者はより弱者をいじめ、あるいは無気力な閉鎖的人間を培養していることにある、と
私は思っています。
今の世の中は、社会の上から下まで「カネ、カネ、カネ」の金銭利益至上主義。
「自分達さえよければ、あとは知ったものじゃない」という利己主義。
そして、全ては自己責任であり、所得配分の原則は自由競争における成果主義にある
とする思想。
そんな風潮が社会に蔓延し、一部の富める者と多くの経済的弱者との格差が、あらゆ
る分野で拡大してきて
いるのが、現在の社会状況。
そこには日本人が誇るはずの「共助の精神」など、とうに葬り去られています。
そのあたりのことは、この週末エッセイでも過去に折に触れて述べてきました。
今年1月15日には「年初に思う」と題して。3月26日には「あるキャスターの降板に思
う」で。
さらに7月3日の「また逢う日まで」では、「30年に一度、いや50年に一度と表現され
る異常気象が
各地で起こっているのは、私には天の警鐘に思えてなりません」と述べましたが、ま
さに今夏も猛暑、大雨・洪水、土砂災害、突風、竜巻、火山噴火の連続でした。
8月のNHKテレビの「ニュース7」では、連日、異常気象のニュースがトップで報道さ
れていました。
こんな事態は、今までに記憶がありません。
天も地上も狂ってきました。
これからも災害大国・日本においては、想像を絶する天変地異が次々に勃発してくる
予感がします。
だが、天然自然の現象を幾ら語っても仕方がないこと。
語るとしたらやはり人の心と行動。
前述の週末エッセイとの関連になりますが、最近における最も重要な出来事として、
昨年の12月15日に「年末の追記」と題して述べました。
再度、ご笑覧いただけると本望ですが、内容は咋年末に行われた衆議院議員選挙の投
票率が、52.7%と過去最低だったこと。有権者のほぼ半数が棄権したこと。棄権した者
は「面倒」「関心が無い」「投票したい党や候補者がいない」といった理由から。
なかには「棄権は無言の批判票だ。現政権の政策には反対だが、投票したい野党も無
い」という者も。
結果的には、この異様な投票率の低さが現在の政治を招来させたといえます。
たった20%ほどの得票率で絶対多数の議席を獲得した自公政権は、「我々は多くの国
民の信託を受けた」と豪語し、傲慢な政治運営にひた走っているのです。
「こんなはずじゃなかった」などと、今になって政治に不満を述べている国民が多い
実情ですが、遅すぎます。
国家権力を掌握する側は、「棄権?どうぞどうぞ」とほくそ笑んでいるでしょう。
閣僚は「国民はすぐに忘れる。世論なんていい加減なもんだ。不満があっても飴(利
得)をしゃぶらせたら、おとなしくなる」とタカをくくっているでしょう。
また、官僚たちは「政治家は馬鹿ばかり。俺たちがフオローしないと何も出来ない」
とほくそ笑んでいるでしょう。
泣きを見るのは無力な一般国民。
現在の政治に反対なら、野党のどこの党でも良いから相対比較で選択し、まず一票を
投じるべき。
反対(批判)票を多くすること。そのことでしか、議会制民主主義における民意の具
現化は図れません。
棄権者は、どんな政策が行われようが、奴隷のように一切文句を言わず、黙々と受忍
していくべきでしょう。
末世の時代になっています。
このままでは、超高齢社会に突入しはじめた今後の日本は、衰退の一途をたどること
になります。
東京オリンピックの関連の話から始めたエッセイですが、果たして2020年に無事に開
催できるかどうか?
これが一番の問題。
私はその確率は半々だと推測しています。
準備の大幅な遅れ、首都圏直下型地震などの大災害の発生、経済の著しい衰退、社会
的混乱、近隣諸国との緊急
事態の発生、主要諸国のボイコットなどを理由とした、開催の返上。
日本が今でも誇るべき「1964年東京オリンピック」が開催された昭和30年代後半の時
代と現在では、国の様相が大きく異なります。
社会も国民も変容しています。
量的には拡大されたが、質的には人も社会の機能も、当時より相対的に劣化したと感
じています。
50年前のオリンピックほどの、計画的で整然として、心あふれる運営は、最早無理で
しょう。
今のままの「たるみ」具合では、早々に返上したほうが今後の国力を維持するために
は良いくらいです。
これからの5年間が勝負。
日本の政治、経済、社会、文化における戦後70年の汗と涙と血と英知の集積が、日を
追うごとに見事に発揚されてくるかどうか。
それには、日本社会の多くの人々が、共通の「スピリット」を抱きながら前進するこ
と。
そのスピリットは「希望と勇気と、誇りある同胞の精神」
この1点にのみ、日本社会の可能性は開かれると信じているのです。
安保法案や株価上昇のみに政策の舵を取らず、今こそ政治は国民に希望の灯をともす
リーダーシップを発揮
しなくてはなりません。
何よりも、「末世の時代」を深めないために。
それでは良い週末を。