1982年9月24日。
年号でいえば昭和57年。
今から33年前。
この日この時の「能率手帳」の余白欄に、小さな字でこんなことが書いてありました。
「霞が関の庁舎を起点とした俺の飲酒圏は、通常は近場の内幸町、有楽町、新橋、虎
ノ門。
しかし、その日の気分次第で麹町、四谷、新宿、大手町、神保町、赤坂、渋谷に出向
く(注・バブル経済期の前で、青山や六本木は馴染みが無かった)。
店と場所を変えることは、マンネリ化した日常のささやかな刺激。
この夜は4人でタクシーに乗り、まず1,000円圏内の場所へ出陣。
1人250円が、気分を変えるための足代。
タクシーはお堀の黒い水面を右手に、三宅坂から麹町へ。
(略)
ほど良く酔って店外に出ると、街路樹が夜風にざわめき、枯れ葉が舗道で踊っている。
どこからともなく夜祭りの笛の音が、微かに流れてくる。
「人生は短いけど、夜は長いか・・・」
呟きながらタクシーをひろう。
果たして、車は新宿を目指すことに。
夜の長さは、時として人生の短さを隠ぺいし、忘却させる。
そういえば、あとちょうど1週間後、俺も35歳の誕生日を迎える。
人生も半分過ぎた。残るは半分。「実質」はさらに短いのだろう。
俺は、俺の祭りのために、いま何をなすべきか。
そんなことを、不思議と醒めた頭の中で考えた・・・・」
当時、私は自分の寿命を、ざっくりと70歳ぐらいに考えていました。
でも、1982年の日本人の平均寿命は、男74.2歳、女79.7歳でしたから、
あながち、当てずっぽうに書いていたとは思えません。
さらに現在の平均寿命は、男80.5歳、女86.8歳ですが、「健康寿命」(注・病気などで
日常生活が制限されることなく、自立的に生活できる年令)は、男71.1歳、女75.6歳
と、平均寿命より10%以上も短くなるのですから、前述した「実質はさらに短い」の
実質という言葉も、寝たきりなどの不測の事態も念頭に置いていた事は、間違いあり
ません。
35歳の誕生日を人生の折り返し点と想定し、手帳にそれとなく、残り半分の人生への
思いをチラリと記した、33年前の仲秋の夜。
でもあの頃は、たとえ70歳といえども、それは遥か先の漠然とした未来のこと。
自分が今流で言う「高齢者」になることなど他人事、絵空事で、全く想像がつかずに
現実感はありませんでした(誰でもがそうでしょうが)。
「時間は有り余るほどある。35年など気の遠くなるほど先のこと」と。
それが今まさに、遥かな未来と思っていた時期が、いつの間にか近づいてそこまでや
ってきたのです。
時の流れの早さに驚愕する一方、ある種、大袈裟なことではなく深い感慨をもよおし
ます。
「よく大病もせずに、今日の日まで元気で生きてこれた」と。
あれから33年の歳月が流れる中、保健や医療の充実、生活環境の改善などで、国民の
寿命は6〜7年延伸しました。
そして、今や人生80年から90年時代の到来とマスコミで喧伝され、巷間では「今の高
齢者は元気で若いよ。70なんてまだまだ鼻たれ小僧。人生これからこれから」と高言
する方も少なくない実情。
それはそれで結構な話。
しかし、私の心情では、ちょっと違和感があります。
それは単に現実を楽観視し、余計な憂いを払拭して「長生き・元気」を自己暗示した
い本音が、何となく滲み出ている気がするからです。
健康寿命にも関係しますが、寿命の長さもさることながら、最も重きを置くべきこと
は、日々の生活のクオリテイーでしょう。
私の気持は「元気に自分らしく自立して、死ぬまで長生きすること」。
だから、THE ENDが明日でも10年、20年後でも良いのです。
ここまで生きてきた、いや生かされてきたのですから。
これからも「3Y(YUME(夢)とYUUKI(勇気)と少々のYEN(お金))」を失うことな
く、「一日生涯」を座右の銘として健康的に進んでいきたいもの、と改めて念じてい
る今日この頃です。
それでは良い週末を。