今週、沈思黙考したこと

今週、といっても11月8日〜11日の間に沈思したこと。
動機つけは、1本の映画と1冊の新書と1冊の機関誌。
その黙考の概容が今回のテーマです。

まず、DVDで観た映画「赤ひげ」。
1965年(昭和40年)公開の作品。
黒澤明監督の最後の白黒映画で、ヴェネツィア国際映画祭のサン・ジョルジュ賞を受
賞(ちなみに主演男優賞も受賞)。
国内外で高い評価を得た、黒澤作品の中の力作の一つ。

物語の時代は江戸末期。舞台は、江戸幕府が設置した、貧民救済を目的とする医療施
設「小石川養生(ようじょう)所」。
ある日、そこの武骨な所長医者、通称「赤ひげ」(主演・三船敏郎)が、入職して間
もない見習い医者(加山雄三)に対し、臨終の床でもがき苦しむ患者を座視しながら、
野太い声でこう言う。
「人間の一生で、臨終ほど荘厳なものはない。それをよく見ておけ」
そしてこう尋ねる。
「何の病気だ?」
「胃がんでしょう・・」
「違う、膵臓だ。膵臓は動かない臓器だから痛みを感じない。
痛みに気付く頃はもう手遅れだ。他に広がっている。
したがって、もう打つ手はない。
技術などといっても、情けないことだ。
医者には、その症状と経過はわかる。
生命力の強い固体には、多少の助力をすることはできる。
だが、それだけのことだ。
現在、我々に出来ることは、貧困と無知に対する戦いだ。
それによって、技術の底を担う他はない。
だが、これまで政治が貧困と無知に対して、何かしたことがあるか。
貧困と無知さえ起こらなければ、病気の大半は起こらなくて済むんだ・・」
医者として人間として、ひたすらに貧者・患者の立場に立って、最善の治療を施し続
ける赤ひげの生き様と、その師の後ろ姿を真摯に追い求める、若き見習い医者のひた
むきな姿勢。
私利私欲や名声にとらわれない人間の「志」を見事に描いた、感銘深い名作でした。

次に、書籍「沈みゆく大国・アメリカ」(堤 未果・集英社新書)。
著者は冒頭、こう書いている。
「鳴り物入りで始まった医療保険制度改革『オバマケア』(注・アメリカ版皆保険制
度のこと)は、恐るべき悲劇をアメリカ社会にもたらした。
がん治療薬は自己負担(注・アメリカには、65歳以上の高齢者と、障害者・末期末期
腎疾患患者のための『メデイケア』と、最低所得層のための『メデイケイド』という
二つの公的医療保険がある。
したがって一般の中間・比較的低所得層は対象外。その代り民間保険に加入するが、
それでも例えばオレゴン州のように州独自の基準があり、『改善の見込みが低い治療』
は保険適用外となる)、安楽死薬なら保険適用、高齢者は高額手術より痛み止めでOK、
一粒10万円の薬、自殺率1位は医師(注・オバマケアの保険適用医療機関は少なく、そ
こに殺到する患者に忙殺される医師。ちなみに医療機関への民間保険の支払い率を100%
とすると、メディケアは70〜80%、メディケイドは60%弱に落ち、医師への報酬は極端
に悪くなる)等々。
これらは、フイクションではない。
すべて超大国アメリカで進行中の現実なのだ。
石油、農業、食、教育、金融の領域を蝕んできた「1%の超富裕層」による国家解体
ゲーム。
次のターゲットは、日本の医療、年金・・」

さらに。
「ウオール街と経済界に支配されるアメリカ政府から日本への、医療市場開放の圧力。
混合診療解禁や株式会社病院、保険組織の民営化、診療報酬改革、公的保険周辺の営
利民間保険参入や投資信託など、凄いスピードで規制緩和を進める法改正の多さには
驚愕した。
2014年4月より5%から8%に引き上げられた消費税増税で、モノが一気に値上がりしたに
もかかわらず、政府はさらに10%にしようとしている。「社会保障にあてるから」と繰
り返し強調されていたが、ふたを開けてみると社会保障にあてられたのは、わずか1割
だけ。
殆どは法人税減税分で相殺されてしまう。

社会保障のためどころか、実は消費税増税で医療が大きく影響を受けることを、いっ
たいどれだけの国民が知らされているだろう?
利用者が窓口で支払う医療費には消費税がかからないが、医療機関が他の事業者同様、
大量に仕入れる薬や医療機器等の代金、建物の建設や改修、消耗品の購入や外注費用
には、すべて消費税が課税され、「仕入れ税額控除」が認められていないため、持ち
出しになってしまうのだ。
これ以上消費税が上げられると、医療機関の存続が難しくなるという各地からの悲鳴
は、年々大きくなるものの、国民にこの危機感は殆ど認知されていない。
このまま消費税を上げ続ければ、医療機関の経営悪化を加速させ、地域医療の連携を
崩し、この国の医療制度を崩壊させるリスクがある。
ニュースの見出しを頻繁に飾った「社会保障と税の一体改革」とは、一体なんだった
のか」

そしてさらに。
「2013年12月の会期末、無理やり通した「特定秘密保護法」の裏に、もう一つ重要な
法案が隠されていた。
『国家戦略特区法』だ。
実はこの法律は、80年代以降すさまじい勢いで国家解体中のアメリカと、同じ道を辿
る内容にもかかわらず、法律が成立したことも、その内容も、いまだに多くの国民に
知らされていない。

国家戦略特区法は、一言で言うと「特定の地区で、通常出来ないダイナミックな規制
緩和を行い、企業が商売をしやすい環境を作ることで国内外の投資家を呼び込む」と
いう内容だ。
例えば新潟では「大規模農業」、東京・大阪では「学校や病院の株式会社経営や、医
療の自由化、混合診療解禁など総合的な規制撤廃地区」を実現してゆく。
まさに「企業天国」が誕生する。
この制度は導入してから成果が検証され、上手くいけば全国にも広げていく計画だと
いう。
成果は「収益」で図られるため、これはかなりの確率で日本中に拡大するだろう。(略)

だが、特区と同じレベルの新薬や治療は、公費だけでは支えられないため、結局は規
制緩和して公費部分を縮小し、自由診療部分(注・保険適用外)を広げざるを得なく
なる。
たとえ国民健康保険が制度として残っても、使える範囲がどんどん狭くなり形骸化す
れば、患者負担は重くなってゆくだろう。
マンハッタン在住の金融アナリストは、こう言った。
『そこで、民間医療保険のビジネスチャンスが生まれるのです。国民健康保険の公費
負担分が小さくなればなるほど、それ以外の医療や薬をカバーするために、日本人は
民間保険を買うようになるでしょう。
やがて貧困層と低所得高齢者、障害者だけが公的保険に入り、それ以外の国民が国民
健康保険と民間保険の両方に加入するという、アメリカと同じ図になりますね』」
一人でも多くの国民に読んで貰いたい、必読の書でした。

最後に。
先日郵送されてきた、JA長野県佐久総合病院ニュース「農民とともに」(2015年10月
31日発行)。
その同封書の「季刊・佐久病院」の冊子に書かれた、松島名誉院長の「医療と平和・
若月俊一先生の平和への思い」と題する文章から。

「(前略)政府は国民の声を十分に聞かず、(注・安保法制など)強引に決めてしま
うというのは、民主主義の破壊である。
この民主主義の世界では、国民が常に主人公であることを忘れてはならない。(略)
最後に、改めて若月先生の平和への言葉をかみしめたい。
『医療は保健につながり、保健は平和につながる。農民や庶民の日常の暮らしの中か
ら、健康や平和をうちたてようと闘う佐久病院を「平和の砦」といっては言い過ぎだ
ろうか。
私達が健康の問題を懸命に取り上げているのは、それが平和の問題に大きく結びつく
からこそである』」

日本の現政権は、「中国等の脅威から日本及び日本国民の安全と平和を守るため、集
団的自衛権の行使(国外での武力行使容認)容認が喫緊の課題」との美名を駆使し、
元内閣法制局長官など国内の圧倒的多数の憲法学者の「違憲」の声を無視し、政府は
強行に「安保法制」を成立させました。
さらに他の政策分野でも、アメリカへの従属・追随化を促進させています。
10日の衆議院予算委員会での審議をテレビ中継で見ていると、野党の質問にまともに
答えず、肝腎な点はすべてすれ違い答弁に終始。
国民の8割ほどが「景気回復を実感できない」と回答している世論調査など、全く無視
し、「間違いなく雇用も所得環境も改善されている」「アベノミクスの成果は、国民
の皆さんが十分に理解されている」の一辺倒。
有権者のたった25%ほどの得票率で大量議席を確保し、立憲主義をないがしろにした専
横政治に突っ走る自公政権。
だが、この様な今日の政治状況を作り出したのは、まぎれも無く先の総選挙で棄権し
た、無関心で無気力で無作為であろう有権者の半分に値する国民。
現に、数日前のNHKから発表された世論調査の結果では、安倍内閣の支持率が微増、不
支持率は微減。
ちょっと時間が経過し、何か目先の利益になることが見つかると、過去の疑問や怒り
や本質的な問題をケロッと忘れ、現状に迎合しやすい日本国民。
果たして日本は、この先、立憲主義国家として進んでいけるのだろうか。

私は、最早、大災害か経済大不況か戦争で国家体制がクラッシュ(衝突。崩壊)する
しか、変わらない、と予測しています。
そしてその時が、刻々と近づいてきている予感がするのです。
唯一最後のチェンジの機会は、来年夏の参議院議員選挙の結果でしょう。
100%、日本の今と将来がここで決まると思います。

今週、観て読んだ1本の映画と1冊の本と、1冊の機関誌。
たまたまそこから、「医療」がキーワードとして浮かび上がりました。
赤ひげや若月先生の様な医者が、果たして日本中にどれほどいるのだろうか。
すでに絶滅種となっているのではないだろうか。
日本が世界に誇れる医療保険制度が、将来も当たり前のように続くと思っている国民
が多いのでは。
国民の多くは、政治や経済、ましてや医療保険制度などを考えている余裕がないのだ
ろう。
現代の人々は精神的・肉体的に、病気にかかってはいないが、どこか不健康なのでは
ないだろうか。
そして、日本も早晩、1%の富裕層とその他大勢の中間・貧困層に格差が拡大するのだ
ろう。
あと10年後の2025年には、私達団塊の世代(和22~25年生まれ)が、全て後期高齢者に
なり、未曽有の超高齢社会に。
右肩上がりで年々増加する痴呆症の老人も、推計で1000万人ほどになることも想定さ
れています。
こうした超高齢社会における、医療や介護対策については、政治家も官僚も「自分が
任期中に責任を問われなければ、それでいい。オレの知ったことか」と考え、誰も真
剣に取り組まない現状(今週の『週刊現代』から)。
首都圏直下型地震対策と同様、「もう、どうする事も出来ない」というのが本音なの
でしょうか。

そんなこんなを考えると、暗澹たる思いに陥ります。
果たして、救いはあるのだろうかと。
でも、ラグビーの五郎丸選手のように、一人一人が祈りに似た構えから、それぞれの
ゴール・ポスト(人生の目的)めがけて精一杯キックすれば、何かが生まれ、何かが
変わってくるのかもしれません。
まさに、3C(チャンスをつかみ、チャレンジし、チェンジを図ること)!

色々と黙考させられた1週間でした。

それでは良い週末を。