日本も他人事ではない

先日の、過激派組織「イスラム国(IS)」によるパリ同時多発テロは、世界中に大き
な衝撃を与えました。
今やテロ(注・恐怖という意味。あらゆる暴力手段に訴えて、政治的敵対者を威嚇す
ること)は、テロリストの紛争当事国の国境を越えたネットワークにより、いつどこ
で勃発してもおかしくはない世界状況になっています。
日本も「日本でテロが起きる危険性は、フランスと一緒だ」と判断する識者が多くな
っています。

例えば、元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏は、「パリで起きたテロは、イスラム
国が全世界に向けた戦争宣言です。軍事協力こそしていませんが、中東諸国に対して
難民支援をなど、経済協力をしている日本も、その対象に入る。軍事協力も難民支援
も、イスラム国からすれば同じことなのです」(11月18日発売の「週刊文春」から)
と、述べています。
日本では農薬や化学薬品など、手製爆弾の材料となる製品がスーパーにいけば簡単に
手に入るから、テロの手段としては爆弾や、何かと物議をかもしだしているドローン
(無人機)が使用される可能性が高いのではないでしょうか。

爆弾や化学薬品を使用したテロ。
戦後の平和な日本でも、近年何回か起こっています。
その内の3件は、私も「テロというのは身近な所で起こるものだ」と、戦慄を覚えた経
験があります。
1件目は、1971年12月24日のクリスマスイヴの夜。
新宿3丁目交差点にある交番付近で、ゴミの様に置かれていた小さなクリスマスツリー
の時限爆弾が爆発し、警察官2人と通行人7人が重軽傷を負った、いわゆる「新宿クリ
スマスツリー爆発事件」。
当時23歳だった私は、この時、交番前のビルの5階にあるパブ・バーで飲んでいたので
すが、突然、店内のムード溢れるクリスマス音楽をつんざいて、大きな爆発音が響き
ました。
ビルも同時に振動したので、「何だろう?」と不信に思いましたが、店内は何事も無
かったようにのどかな雰囲気のまま。
しかし、俄かにパトカーや救急車のけたたましいサイレンがビルの近くに集中してき
たので、私は異変を感じ、連れの者とすぐにレジを済ませて外に出ると、むっとする
硝煙の臭いに包まれたのです。
警察官や消防署員が慌ただしく行きかうなか、何事かを近くの人に尋ね、爆弾が爆発
して負傷者が出たということを知りました。
この事件は、当時の左翼過激派による「一般大衆もターゲットとした初めてのテロ」
事件だったのです。
このビルへの出入りが少しずれいていたら、私たちも被害者になっていたかもしれま
せん。
(交番前を通っていた頃、時限爆弾は道の端で刻々と作動していたのです)。

2件目は1974年8月30日の白昼に、ビジネス街・丸の内で起こった「三菱重工業本社爆
破事件」。
通行人など8名の犠牲者を出した、過激派による無差別テロ事件。
私はこの時は25歳で、市ヶ谷にあった厚生省統計調査部から、霞ヶ関の環境衛生局に
創設された部署に人事異動したばかりでした。
その創設された「家庭用品安全対策室」は、日比谷公園寄りの旧館の最上階にあった
ので、室内にいても外の騒音がよく聞こえてきました。
その日、室内で机に向かっていると、ド~ンという重く不気味な音が響いてきました。
「これはただ事ではないな」と思い、しばらくして何気なく部屋の奥にあるテレビを
見ると(注・当時は、情報収集という名目で、テレビは低音にして付けっ放しのこと
が多かった)、丸の内で爆破事件が起こり、多数の死傷者が出ている旨のニュースが
流れていたのです。
そこで、上司に「ちょっと、30分ほど外出してきます」と了解を得、駆け足で現場に
向ったのですが、途中、立ち入り禁止のロープではばまれ、現場接近は出来なかった
のですが、その後のニュースで全貌を知り、「過激派もここまで酷いことをやるよう
になったのか」と愕然としました。

そして3件目は、1995年3月20日の朝に起こった、オウム真理教による「地下鉄サリン
事件」。
地下鉄丸ノ内線・日比谷線・千代田線内で、神経ガス・サリンを使用した同時多発テ
ロ事件。
13人が死亡し、約6300名の負傷者が出ました(今でも多くの被害者が、後遺症に苦し
められています)。
私はこの日、いつもより早めに家を出、通勤路である日比谷線に恵比寿駅から乗車し
て霞ヶ関に向ってました。
すると電車は、突然、霞ヶ関の一つ手前の「神谷町」で緊急停車。
同時に「霞が関で事故が発生しましたので、運行を停止します。乗客の皆様はここで
降車をお願いたします」との緊迫した車内アナウンスが。
私は理由も何もわからずに、仕方が無く神谷町の駅から徒歩で庁舎に向ったのですが、
虎ノ門の交差点あたりから霞ヶ関に向って救急車が殺到しており、多くの消防署員な
どが行きかって騒然としていました。
私は急いで庁舎に辿りつき、テレビを見て初めて事態の重大さを知り、仰天しました。
特に、中目黒駅7時59分発の日比谷線の車両内にサリンが置かれていたことを知り、
「もう少し早く乗車したら、大変なことになった」と、慄然。
この時ほど「、私達の身近な所で、一般国民を狙い撃ちにしたテロ事件が、いつどこ
で起こってもおかしくはない時代なのだ」と思いさらされたことはありません。

しかし、これらテロ事件は、いずれも日本人による国内社会の撹乱を図った殺人行為。
これからは、国際的テロ組織が世界のあらゆる所で、大量殺りく行為を企ててくるで
しょう。
先週のこのエッセイでは、「日本は『直下型地震などの大災害、経済大恐慌、そして
戦争(テロを含む)」のいずれか、あるいは複合発生』によってクラッシュする懸念
がある」といった主旨のことを述べました。

今回のパリにおける同時多発テロの発生は、もはや他人事ではなくなってきた昨今。
「どこの国にも武力を行使せず、平和憲法を戦後70年間順守してきた民主国家日本」
を我が国のプリンシプル(原則)とし、柔軟でバランスの良い外交を、視野狭窄とも
思える政府に期待するばかりです。

それでは、良い週末を。