新年のならい

改めて新年のお喜びを申し上げます。。
この年末年始は好天に恵まれ、穏やかな良い正月を迎えることができました。
やはり天候が良いと、何事も良好になりやすいもの。

さて、新年になって早や2週間。
明日の15日は小正月。
小さい頃は、母が作った小豆粥の朝食をかき込んでから、小学校に向かった日です。
7日の朝食は七草粥。
そして、正月3が日は「おせち料理」。
ごぼうや蓮根や里芋や人参やこんにゃくや鶏肉などを甘辛く煮た煮しめ、ごまめ、
昆布巻き、栗きんとん、かまぼこ、伊達巻き、数の子、黒豆などが、元旦から3日ま
で食卓に並んでいました
(数の子は、北海道の母の実家から送られてきたものとはいえ、子供たちの口に入る
のは一切れで、あとは来客用に回されていましたが)。

小正月の小豆粥は、子供たちには不評でしたが、皆黙ってすすって食べていました。
元旦から松の内(7日)までのおせち料理やお雑煮餅や七草粥は、両親がいたころの
我が家の新年のならい(しきたり)だったのです。
そのならいを、私も、結婚して一家を構えてから今日まで継承しています。
厳密に言えば、七草粥はあったりなかったりですが。
しかし、おせち料理だけは一貫して欠かした年はありません。
今年の元旦も、朝の9時半に子供や孫たち総勢10名が集う我が家の食卓に、配偶者が
年末30日から作り込んだおせち料理が並び、色々な酒を酌み交わしながら、箸をのば
して歓談しました。

元旦の夕方、子や孫がみな帰ったあと、私はふらりと地元の氏神様(住む土地の鎮守
の神)である「駒留神社」に初詣。
これも世田谷の上馬に引越してきてから、20数年にわたる新年のならいに。
掃き清められた境内は、初詣客の波もあらかた過ぎ去ったようで、おごそかな静けさ
が漂っています。
参拝の列に並んで待つ間、吸い込む大気の冷たさが身体を心地よく清めてくれる気が
します。
ふと見上げると、鎮守の木々の間から西日に染まる青い空が輝いています。

そしていよいよ参拝。
二礼二拍一礼。
心の底で「ありがとうございます」とお礼を述べます。
ただこれだけ。これも新年のならい。
それから社務所でおみくじを引きます。
これも毎年の初詣のならい。
おみくじを開けると、やはり「大吉」。
「かき曇る、空さえ晴れてさしのぼる、日かげのどけき、我が心かな」とあります。
その説明は。
「こころをすなおにし、身もちを正しくすれば、ますます運よろしく何事もおもうま
まになるでしょう。欲をはなれて人のためにつくしなさい。
大吉」とあります。

去年も大吉。その前も。
ここ5〜6年は続いているから、これも最近の新年のならいに。
大吉が出たら「欲を忘れて晴れ晴れと生きよう」と思い、凶が出れば「貴重な戒めだ。
これで大難は小難に、小難は無難になる。縁起がいい」と考えるだけ。おみくじは、
どちらに転んでも「この1年を悔いなく明るく、精一杯生きる」という信条を、改め
て確認する縁起物。

夕食は、「昼のにぎやかさは幻だったのでは」との錯覚に陥るような、配偶者と二人
だけの静かな夕食。
新たに盛り直したおせち料理と、焼き餅1つ・三つ葉・大根・ゴボウ・鳴門・鶏肉な
どが入った雑煮を食べながら、ウイスキーのお湯割りを黙々と飲んでいました。
時々、配偶者が静けさを薄めるような気づかいからか、昼間の孫の様子を二言三言話
題にするのですが、私はただ頷くだけで、ぼんやりとグラスを傾けていました。
そして、無意識的にハッとして後ろの居間を振り返るのですが、そこにはすでに誰も
おらず。そのことに気づき、「そうだった・・・みな帰ってしまったんだ」と内心で
苦笑していたのです。
そんな3が日でした。

全ての物事には、終わりがあります。
それが天然自然の法則、人間の宿命。
今日という日をいつまでも続ける、という「ならい」は不可能。
だから、自分が求める喜びは、命が与えられている限り精一杯「ならい」として享受
していきたい、と。
こう正月に決意するのも、新年のならいとなりました。

それでは良い週末を、良い1年を。