毎朝、地元の駒澤大学駅や三軒茶屋駅の周辺の喫茶店で、珈琲を飲んでから青山(3
年前までは乃木坂)の事務所に向かうのが、ここ10年ほどの習慣になっています。
利用する喫茶店は、例えば三軒茶屋駅周辺のチエーン店だと、コロラド、ドトール
(2店)、スターバックス、サブウエイ、コメダ珈琲、星乃珈琲、上島珈琲、サンマ
ルクなど。
個人経営の喫茶店では、昭和レトロの喫茶店「セブン」(確か創業52年になる)など。
チエーン店の喫茶店はどこも朝から老若男女で溢れています。
特に昨年末までは、受験生らしき若者が、何冊も書籍を持ち込んで勉強している風景
が主流でした。
それが新年に入って3週間ほどの今は、彼らの姿がめっきり少なくなりました。
店内に入り「あれっ?」と一瞬思いましたが、すぐに原因がわかりました。
いよいよ受験シーズンに突入したからです。
私はこの厳しい寒さの中で、様々な若者たちが様々な希望と不安を抱きながら、新た
な人生の扉に立ち向かっていく、緊張と期待に満ちた清冽なこの季節が、昔から何と
なく好きでした。
思わず「頑張れよ!」と叫びたくなります。
今朝もそんな思いを抱いて電車に乗ったのですが。
ちょっと嫌な思い出が、勇んだ気分に水を差したのです。
地下鉄半蔵門線の電車内で、右手小指1本で吊革につかまりながら(注・日頃から殆
ど座席には座らず)何気なく周囲を見回していると、「一般入試が変わります!」と
いう車内広告が目に。
何が変わるのか?と見出しの下を読むと、「インターネットで出願料が割引に・・・」
と。
「なんだ。こんなことで受験者の獲得を図っているのか。大学経営も大変だな。
しかし、こうした広告を出さなくてはならない大学は、どこだ?」と見ると、なんと
独協大学。
嫌な思い出が蘇ったのです。
それは私が大学1年の秋。今から50年前。
クラス・コンパの幹事として新宿の「葡萄屋」というバーを借り切って、日曜日の昼
から懇親会を開いたときのこと。
「葡萄屋」をただ同然で使用できたのは、その店の経営者の親類がクラスメイトにい
たからです。
そのバーは、当時有名だった銀座の同名バーの姉妹店。
私はそんなことは知らず、目の前の棚に高級な洋酒がずらりと並んだカウンターに座
り、皆と談笑しながら、普段ではまず飲めない高価なウイスキーを楽しんでいたので
すが、突然、重厚なドアが開き、クラスの一人(男)が血相を変えて飛び込んできて、
奥のトイレに閉じこもりました。
その異様な行動に皆が驚き、誰かがトイレのドアを叩いて様子を聞くのですが返答は
なし。
すると間もなくして、店のドアが開き、学ラン(丈の長い学生服)姿のいかつい男が
数人、荒々しく侵入してきたのです。
そして店内を見回しながら「今、男が入ってきただろう。どこにいるんだ?!」と怒
鳴り、威嚇し、クラスの誰かれなく睨みまわすのです。
それからすぐに、奥のトイレのドアに狙いを定め、乱暴に進み始めました。
私は咄嗟に椅子を降り、彼らの無礼な侵入を阻止しようと立ちはだかり、「そんな者
はいない。
俺たちはいまコンパでこの店を借り切っているんだ。勝手に入らないでくれ」と抗議。
すると、数人の学ランの中心で煙草をふかしていた男が、ぬっと前に出て、無言で煙
草の火を私の顔に突き付けたのです。
ジュッとした鈍い音と、焦げ臭いにおいが立ったのは一瞬のこと。
学ラン二人が私の両腕を左右から押さえ、店外に連れ出そうという素振りをしたので、
「なにをすんだ。あんたたちは誰だ」とただすと、一人がヘッと笑うだけ。
その時、険悪な成り行きを眺めていたクラスメイトの何人かがカウンターから駆け寄
り、相手のボスらしい男に「すいません、こいつチョッと酔っぱらっているものです
から」と何度も平謝りにあやまりました。
すると腕はとかれ、彼らは毒付きながら出て行ったのです。
私はカウンターに戻り、「東井、大丈夫か?」と心配してくれる中、むかむかした怒
りを抑えながら水割りを流し込み、そっと右頬に手をやると、ひりつくような痛みが
走りました。
その部分に唾をつけながら飲み続け、しばらくしてからトイレの鏡で確認すると、頬
の一か所がタバコの太さ分の皮が丸く焼きはがれ、ピンクの肉が浮き出ているのが確
認できたのです。
カウンターに戻り、トイレに逃げ込んだ者に事情を聴くと、「タバコを買いに店外に
出て歌舞伎町あたりで向こうからやってくる若い女性に声をかけた。コンパをやって
いるから一緒に来ないかと。すると、どこかで眺めていた(学ランの)彼らが「何や
ってんだ?!」と俺を追いかけてきたんだ。独協大学の空手部だと叫んでいた・・」
とのこと。
私は帰宅してからも、火傷の疼きと共に怒りが収まらず、「大学は埼玉県の草加市に
あるんだな。
よし、明日、大学に抗議に行ってこよう。独協大学はヤクザみたいな空手部を放置し
ておくのかと、学長に抗議してこよう。絶対に許せない!」と腹を立てていました。
しかし、人間の意志などは弱いもので、月曜日の朝になるとそうしたことが空しいこ
とのようにも感じ、さらに昼は厚生省に勤務していた平職員なので休みづらく、結局、
腹の虫を収めて登庁したのです。
その夕方、登校すると戸山キャンパス(早稲田大学文学部)は騒然としていました。
第二文学部に拠点を置く過激派のAセクトの連中が、歩いてすぐの本校舎の某学部自
治会を牛耳るB過激派を糾弾するため、ヘルメットに角棒で武装し、これから本部キ
ャンパスに乗り込むデモンストレーションを展開していたのです。
これを遠巻きにして眺める一般学生の群れの中で、私は「ここも過激派の暴力が跋扈
してきたし、独協の空手部どころの話ではないな。腹を立てていたらきりがないか・
・」と嘆息していました。
話は変わって。
先週の土曜日(16日)は、「第13回一般社団法人・東井悠友林の集い」を、表参道の
青学会館で開催しました。
渡邊 昌氏(元国立健康栄養研究所・理事長)の示唆に富んだ健康講話の中で、「人
も国も、食で立つ」というキーワードが心に響きました。
「食のあり方・生活の仕方ひとつで、人の心身は良くも悪くもなり、その人の人生の
幸不幸にも影響してくる。
そして健康な国民が多くなれば、年々増加する医療費、厖大な国の財政赤字を筆頭に
社会全体が改善され健全になっていく。基本は食にあり」と述べられたと、私は解釈
しています。
「立つ」とは、広辞苑に幾つかの意味がのっています。
「事象が上方に運動を起してはっきりと姿を現す」
「勇気をもって事をおこす」
「物事が立派になりたつ」など。
今日(21日)は大寒。
一年中で一番寒い日。
でも、2週間後には早や「立春」。
暦の上ではこの日から春。
腹を立てず、欲を立てず。
いつまでも、心身に内在された春を立てながら、生きていきたいものです。
それでは良い週末を。