先日、3月に開催するゴルフコンペについて、今回の幹事役の後輩と電話で打ち合わ
せを。
ゴルフ場(扶桑CC)の予約などの再確認。
このコンペは、ゴルフ好きの仲間達が集い、寒さが遠のいた3月と、猛暑が峠を越し
た9月の年2回、毎年実施しているもの。
今回で、通算「第44回」目の開催となる予定。
当初は年に1回開催。その後、年2回の開催にして今回に至るので、少なくともかれこ
れ20数年間、続いています。
私が45歳のころからです。
3月と9月に開催するのは、冬季料金と夏季料金が適用されるオフ・シーズンの最終月
で、料金が通常より安い設定となっているため。
例えば今回(土曜日)のビジター(非会員)料金は、昼食代・消費税・ゴルフ場利用
税込みで約13,000円。
これが高いか安いかは価値判断が異なるところですが、私の長年の経験では「安い」
もしくは「妥当」。とうにバブル経済がはじけ、各ゴルフ場は低価格競争にあります
が、以前ならビジターの土曜・日曜日のプレイは2〜3万円、ゴルフ場によっては3〜4
万円は優にとられるところ。
現在は平日プレイなら、昼食付きで6,000円台です。
コンペの名称「サンキュウー杯」は、開催月の3月、9月をもじり、さらに、「ハーフ
で39。40を切ろう!」「参加者同士、ゴルフ場の人にもサンキューの精神で!」とい
う目標を含ませたから。
私は幹事との電話を切ってから、「さて、大丈夫かな・・・」と我が事が心配に。
それは、この1年どころか数年、ゴルフの練習らしい練習をしていないからです。
昨年もその前の年も、練習はゼロ。クラブを握るのはいつもコンペ当日というぶっつ
け本番。
コースを回る回数も、この春秋のコンペを含めて年に4〜5回。
そもそも、屋外でのスポーツ(運動)も、ウオーキング以外ゼロ(ただしウォーキン
グは週の一日平均1万歩以上)。
数年前までは、コンペ前に1〜2回はゴルフ練習場に行っていました。
10年ほど前(60歳前)までは月2回、15年ほど前(55歳前)まではほぼ毎週土曜日に
練習場に通い、張り切って汗を思い切り流していました。
場所は、自宅から自転車で10分ほどの「スイング碑文谷」。
東急電鉄系列会社の経営で、レストランやゴルフショップ、シャワー・ルームやメン
バーズ・ロッカーなどを備え、料金は他の練習場の倍以上の高さ。
駐車場はベンツやBMWなどの高級外車で占められ、そこだけはバブル経済の余韻を残
したようなゴージャスな雰囲気が漂よっていました。
自宅に近くて大きな練習場として、私が35歳頃から通いだしたのですが、当時から、
都内でも屈指の高級な練習場だったのです。
私は個人ロッカーを借り(年間36,000円)、そこにゴルフ道具一式を置き、自宅から
自転車で手ぶらで通っていたのですが、これが快適でした。
ロッカー代が一日100円の換算。高いと思う人も多いでしょうが、ロッカー会員は一
年中、シャワー・ルームが使い放題。
このシャワー・ルームは、並みのゴルフ場やホテルの浴室より、遥かに豪華。
フエイスタオル・バスタオルが籐籠に高く積まれ、髭剃り用のカミソリや化粧品の類
は豊富に華麗な洗面台に並び、シャンプー・リンスが置かれた洒落た個室シャワが3
つ。
私は練習後に着替えの下着とシャツを持ってシャワー・ルームに入り、汗を流して洗
髪した後、大きな鏡がはめられた洗面台で髭をそり、スキンクリームとヘヤトニック
とオーデコロンをふんだんに身体につけ、洗い立ての純白のバスローブを羽織って、
籐椅子に腰かけて休んでいたのです。
ルームでは、不思議なことに滅多に他の人と会わず、いつも貸し切り状態。
したがって、何やかや考えると、私には非常に良心的なロッカー・フイに思えていま
した。
とにかく、1階から3階まで扇型に並んだ打席の1階は、近くに住む芸能人などの姿が
よく見受けられました。
私は1階の真ん中あたりの打席を早めに予約して使っていましたが、左右全体の打席
がよく見えるのです。
例えば、お笑い芸人・明石家さんま氏は、1球打つごとに後ろの通路を振り返り、常
に誰かを探しているようなせわしなさ。まさに芸風そのまま。
打球の勢いは並みでしたが、安定したストローク。
しばしば見受けた、宮崎県知事になる前の、同じお笑い芸人・そのまんま東氏は、広
い額にタオルで鉢巻をし、マシーンのように同じリズムで黙々と、奥行き150ヤード
の中段のネットに打球を突き刺していて、その正確さに感心しました。
しかし、最も頻繁に姿を見せていたのは、「安打製造機」の異名で、日本のプロ野球
界のみで
通算3,085本という日本記録の安打を放った、張本勲氏(現在75歳)。
彼は野球と同じ左利きで、ボックスは常に1階1番の打席(最右翼)。
私は一度、隣の2番の打席に立って、相対して練習したことがありますが、周囲のこ
となど全く眼中になく、べた足で下半身を固め、じっと構えた後、上半身の捻転と両
腕の鋭い振りでボールを見事にヒットしていたのが、何とも印象的でした。そして、
一通りのスイングを終えると、大きなゴルフ・バッグ
を抱えて淡々と引き揚げていく姿に、「ゴルフも人には絶対に負けないぞ」という強
い自負が感じられたのです。
そんな風景を散見できたのも、前述したように私が頻繁に通っていた15年前まで。
当時、私の場合、1回の練習で普通に球を打って精算すると、料金は7,000円ぐらい
取られてしまうので、殆ど、1時間の貸し切りを予約。定額料金ですので、打数が多
くなればなるほど割安に。
そこで毎回300〜400球ぐらい打っていました。
1分間に5〜6球、1球を10秒で打つリズム。
自動式のティを使っていると間合いが長いので、ボールは人工芝のマットの上に幾つ
も並べ、体育系のノリでひたすら早打ちに徹していました。
だから夏などは、着替えの練習用ポロシャツを2枚用意。
身体全体をひねって大量に汗をかき、そしてシャワーを浴びてさっぱりした後、レス
トランのテラスの椅子に座って中庭に聳える一本のケヤキの木を眺めながら生ビール
を飲んでいると、一瞬、高原のゴルフ場に来て涼んでいるような錯覚に陥る快感があ
りました。
ある日、ドライバーをブリブリ振り回していると、いつの間にかテレビ撮影のクルー
が、私の打席の後ろでカメラを回しているのです。私が大汗を拭きながら椅子に座る
と、なんとNHKの有働アナウンサーが笑顔でそこに。
幾つかのインタビューを受けたのですが、その様子は翌日の「サンデー・スポーツ」
のコーナーで紹介されました。
放映時間は有働さんから知らされていたので、私は午後の10時にNHKにチャンネルを
合わせ、眠たげな子供たちに見せたのですが、全く反応なし。
配偶者は風呂に入っていて、私一人が自分の「下手なスイング」をしげしげと眺めて
いたのが、つい先日のように感じられます。
今思えば、あの当時が私のゴルフの盛り。オフィシャル・ハンデイは13。そこでスト
ップ。
その後は急降下にゴルフから疎遠になり、今やコンペも参加することに意義がある有
様。
それでも大空の下で小さな球をかっ飛ばし、青い芝の広大なフエアウエーを歩き回る
のは、今でも爽快。
アフタープレイの酒宴は、さらに愉快。
さて、話は進み。
これは、敗戦から復興までのアメリカ占領軍の支配下にあった日本にあって、マッカ
ーサーに唯一抵抗した、従順ならざる日本人「レジェンド・伝説の人」と呼ばれた白
洲次郎の伝説。
彼が軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長時代のこと。
当時のキャデイの話。
「『キャデイさん、何かあったら言ってくださいね』。そうおっしゃって、とても優
しくしてくださいました。
白洲さんはいつもクラブハウスのベランダから、マナーの悪い人はいないか見張って
らっしゃいました。
ある時、プレイの遅い方が、『キャデイ、バンカー直しておけ』。
直していると、グリーン上から『ピン持て』と。
白洲さんは『キャデイは馬じゃないぞ!』。さらに『もっと早く歩け!』と言ってく
ださったんです。
(中略)
あのような方には、もうお目にかかれないでしょうね」(「白洲次郎」平凡社から)
最近のゴルフ場は低料金サービスもいいが、若いビギナーやリハビリ老人の、まさに
草刈り場。
あちこち地面を荒らして、プレイは遅いし、マナーは悪いし。
だからこちらはスコアは駄目でも、せめて白洲次郎がTシャツの背中に書いていた
「PLAY FAST」ぐらいは真似しよう。
そう心しながら、今日も寒風吹きすさぶ舗道を、トレーニングの積りで早足で歩いて
いるのです。
そして、私もせっかちなほうだから、前の組がノロノロしていたら、「PLAY FAST!」
と怒鳴ってやるか、と。
「平成の白洲さんですか?」と畏敬の念を持たれる?
いやいや、それより後ろの組から「OB連発するな。早く行け!」と罵倒されないよう
にするのが先決。
「どうだ!」ゴルフになるか。「トホホ」ゴルフに終わるか。
早く来い、春。
それでは良い週末を。