酒と涙と河島英五

今週で3回連続の音楽話になります。
昨日・今日とスマホで聴いている歌は、シンガーソングライター・河島英五のヒット
集。
私の場合のヒット曲は、メロデイーもさることながら、歌詞の良さが第一の決め手。
メロデイーは感覚的に心を揺さぶって記憶に残りますが、歌詞は心の思いと共鳴して
自分の思考に浸透して残るのです。
私にとって忘れ得ぬ歌と言われるものは、みなそうでした。
例えば一昔前の歌謡曲を想い出しても「♪ボロは着てても心の錦、どんな花より綺麗
だぜ」(水前寺清子「一本どっこの唄」)、「♪勝つと思うな思えば負けよ」(美空
ひばり「柔」)、「♪やるとおもえば、どこまでやるさ、それが男の意気地じゃない
か」(村田秀雄「人生劇場」)、「♪泣いた女が馬鹿なのか だました男が悪いのか」
(西田佐知子「東京ブルース」)等々、始めのワンフレーズだけでもすぐに歌の全容
が想い出される歌が幾つもあります。

河島英五の作詞・作曲した歌は粗削りな男っぽい印象を受けますが、実はとても情愛
と励ましに満ちた、男の繊細な心根で作られた歌詞であることに気づかされます。
その骨太の歌唱と詩が、いつまでも熱い余韻として残ります。
今回は、アトランダムにその歌詞の断片の幾つかを引用し、私の想いを語ります。

「♪忘れてしまいたいことや どうしようもない悲しさに 包まれた時に男は酒を飲
むのでしょう・・・」(「酒と涙と男と女」)
これは1976年に発売された、彼の代表作。
私は当時28歳。
彼のこの歌をラジオで聴いた時、言いようのない感動に襲われました。
そしてすぐにレコード(シングル盤)を買い、自宅のステレオで聴きこんでいたので
す。
この頃は、巷に徐々にカラオケが普及してきた時代。
時々小さなスナックに入った時、まさに「歌のない(カラの)オーケストラ」という、
テープやレコードから流れる伴奏曲に合わせ、歌集本に掲載されている歌の中から、
自分の好きな歌を選曲し、お店の人にその旨を依頼して歌うのですが、私はこの歌だ
けを愚直に歌っていました。
勿論、今と違って、当時はカラオケで歌う機会など月に1度あるかないか。
そして私が32歳の時のある日。
上司に「東井君、今夜飲みに行かないか。是非君を連れて来て欲しいと、スナックの
ママさんに頼まれているんだよ」と誘われ、一瞬何のことかと。
「誰ですか?どこの店ですか?」
「三軒茶屋だよ。向こうは東井君のことを良く知っているよ」
「三軒茶屋?そんなところの店、行ったことが無いですが。誰ですか?」
「行けばわかるよ。綺麗なママだよ」
「?」

夕方、退庁時刻とともに上司と三軒茶屋へ。
今でこそ三茶の近くに住んでいますが、当時の自宅は目黒。渋谷駅から私鉄で2駅の
三茶など無縁。
三茶の駅を降り、3分ほど歩くと紅灯があちこちに灯る、まさに昭和の香りが漂う路
地に。
その一角に木製の扉のスナックがありました。
ドアを開けると、開店すぐの店内は客の姿が無いせいか、結構広くて小奇麗。
後でわかったことですが、営業を開始しててまだ数カ月の時。
上司は店に入るや、息せき切って「ママさん、連れて来たよ」と大声を。
奥から近づいてきた、ドレスアップした背の高い女性。
誰だろうと一瞬わからずに目を凝らすと、何と、彼女はその2年前に厚生省の同じ課
に勤務していたAさん。
年齢は5歳ほど年下だったと記憶。
当時は非常勤職員として庶務係に在籍し、雑事や旅費計算や使い走りに励んでいまし
た。
Aさんは20数名いる課員の中で、まさに紅一点。しかし労多くして身分保障も無く、
はたで見ていて気の毒に感じる事もありました。
私はつまらない日常業務に飽くとトイレへ行き、給湯室から洗い物を終えて出て来た
彼女と出くわすと廊下の隅で立ち話をしていました。
「面白くないね」
「本当にそう。みんな忙しそうにしているけど、雰囲気が重いし、楽しくないわ。で
も東井さんは組合の活動やバレーボールをしているし、えらいわ」
「Aさんはいつまでいるつもり?」
「もう来年の春にやめるつもりなの。この話は黙っていてね」
「勿論だよ。そうか・・」

あれから、たった2年の時間の経過。
しかし、今や若いボーイとバイトの女の子を雇いながら、こうしてスナックを経営し
ているAさんの姿に驚きました。
そして、ウイスキーの水割りを作りながら、あの頃と同じように5歳年下の女の子の
表情で、こう言いました。
「東井さんの歌、一度聴いたことがあったけど、もう一度歌って貰いたいの」
「何だよ。何の歌?」
「酒と泪と男と女。あの歌が一番好き」

私は、上司と彼女とバイトの子の3人の拍手を受けながら譜面台の前に立ち、スピー
カーから流れ来るカラオケに合わせ、店内に朗々と響き渡れとばかり、腹の底から声
を張り上げて歌ったのです。
「沖縄から出てきて、東京で色々なことがあるだろうけれど、頑張れよ。君はすごい
よ・・・」
その思いがいつにも増して歌の音色を熱くした夜でした。

Aさんの店に行ったのは、その時が最初で最後。
2年ほどのち、渋谷に来たついでに三茶のその店を訪ねてみると、店は無くなってい
ました。
「♪忘れてしまいたい事や どうしようもない悲しさに 包まれた時に女は 泪みせ
るのでしょう・・・」
酒が飲めなかったAさん。
人知れず泪を拭きながらも、元気に幸せに生きていることを願うばかりです。

話の続きは次回に。
それでは良い週末を。