酒と涙と河島英五(3)

一日二杯の酒を飲み 肴は特にこだわらず マイクがきたら 微笑んで おはこ
(十八番)を一つ歌うだけ。
目立たぬように、 はしゃがぬように、 何事にも無理をしないで、静かに人の心を
見続ける。そんな時代遅れの男になりたい。

こうした趣旨を歌った河島英五の「時代おくれ」
1986年(昭和61年)に発表されたヒット曲。
この頃から日本はバブル経済に突入。
1989年には、株価は市場最高値(3万8,915円)を記録。
都心の地価は一気に3〜4倍に高騰。
日本中が欲望のかたまりに化し「財テク」に狂奔しはじめた時代。
しかし、1990年代に入ると、バブル経済は一気に崩壊。
1992年には株価が1万4,309円と、63%も下落。
地価も下落し、それから日本経済は「失われた10年」と呼ばれる長い不況の時代に突
入していったのは、ご存知の通り。

当時の私は40歳手前。
職場の少なくない人たちが「2年前に100万円の越年資金を借りて買ったゴルフ会員権
が、1,000万円を超えたよ。すぐに1,500万円はいくな」「この1か月で、株で500万円
儲けた」などと、耳を疑うような話を聞いて、非常に驚かされました。
「この人は月給30万ほどの、普通の国家公務員。それが仕事の合間に仲間の席に行き、
財テク談話で盛り上がっている役所って、一体なんだ」と。
幹部クラスは、関係団体や地方公共団体からの連夜の接待漬け。
中堅管理者は、予算担当の官房会計課や大蔵省の担当の接待。
こじゃれた料理屋やレストランで杯を交わし、お土産を持たせてタクシーでお送り。
費用は裏金を使うか、堂々と「会議後の夕食会」の名目で予算から支出。
各課の金庫番である総務係長は、カラ出張やカラ会議費で裏金を作り、随意契約(特
定の業者を指名しての独占契約)で、業者から支出額の一部を密かに手元にキックバ
ックさせ。
さらに人事担当者や組織の幹部には、タクシーのチケットや相当数の万札を入れた茶
封筒を、定期的に手渡し、ゴルフや飲み屋にお供をして費用はこれも裏金を使って忠
犬ぶりをアピールし。
あの時代は、この様な所行も一種のルーチンとして、暗黙の了解事項としてまかり通
ていたのです。、
現在は、そんなことは皆無でしょうが。

日本人の多くが、競って株やゴルフ会員権やレジャー会員権やブランド物を買い求め、
銀座や赤坂のクラブや高級レストラン、料亭などの門前には、社用族などの黒塗りの
車が列をなし、男はふんぞり返って豪気にカネと人脈の自慢話。女は溢れる札束を一
枚でも多くかき入れようと、恥も外聞もなく媚態を振りまき。
繁華街では夜の3時過ぎまでタクシーはつかまらず。運転手は近場の客は相手にせず、
チップを上乗せする遠距離客の獲得に目をこらし・・・。
誰もが餓鬼のように、人に遅れまいと金儲けに狂奔する社会。ある種、異様な時代で
した。

そんな狂乱する社会状況を一瞥しながら、不器用でダサイと思われようが、社会に流
されず、愚直なまでに自分の生き方を貫き通そうとする「時代おくれ」の男。
私は、この歌を聴いたとき、「自分もかくありたい」と共感したものです。
自己のプリンシプルを持ち、ぶれないで生きていく。
たった一度の短い人生を、悔いなく晴れ晴れと生き抜く。
そのためのプリンシプルとは。
「金銭や物を貰うこと、して貰うこと、責任を生じないために受け身でいること、常
に強い者・多数派について生きること、前例主義・減点主義に準ずること」ではなく、
「こちらから出すこと・与えること、自分の意思を堂々と表現すること、人から好か
れ愛されるのを待つのではなく、自分から相手に語り掛け好きになること。つまると
ころ、心も身体も使い尽くすこと、日々を悔いなく生きること」。

あれから30年の歳月が流れました。
私も来年は古稀。
元気のない、よどんだ空気が漂う現代社会。
スピード感の喪失した、時代おくれの政治・行政・大企業機構。
「仕事の決済1つでも、何やかやと遅すぎる。ケチをつけるのは上手でも、マニュア
ルや規則一辺倒で、自らが現状を突破し、新たなことを創造していくことが下手な人
が、多すぎる。
リスクを避け、事なかれ主義で自己保身にかたまるから、検討ばかりで何も決まらな
い、進まない。
後手後手の受け身。
これでは仕事が面白くなく、やる気もなくなる。
そんな毎日に満足できるのか。所詮、安定的にカネさえ貰えれば、あとはどうでもい
いのだろうか。
今の政権の方針通り、全てはカネ至上主義が国民のプリンシプルなのか」

イヤホンから流れる「時代おくれ」の歌を聴きながら、「それでもあきらめずに、人
の心を見続けていこう」
と密かに心に誓い、今日も、渋谷のスクランブル交差点の人混みに消えていくのです。

それでは良い週末を。