まにあうかもしれない

東京の桜の開花宣言が、今週の21日(月)になされて4日が経過。
今日(25日(金))の東京は晴れ時々曇り。
今日の最高気温は12度との予想だが、もうその最高気温に到達したのだろうか。
これを書いている現在時刻は、午後3時8分。
先ほど横浜市内の「妙蓮寺」から、青山の事務所に寄り、それから薄日が差す舗道を、
時折吹く寒風にあおられながら、黙々と歩いて帰宅。
街路樹の一角を占めるこぶしの花は満開。だが、桜はまだ一分咲き。
「寒の戻り」です。
気分も「感の戻り」。

今日は、厚労省時代の上司だったA・水道整備課長(のちに水道環境部長)の告別式
に。
朝の9時から、「妙蓮寺」で執行され、参列してきたのです。
私が水道整備課の総務係長だった時、迎えた「水道法制定100周年記念大会」。
総理大臣、衆参両院議長、関係国会議員、各都道府県知事、関係諸団体の長、関係省
庁の幹部などに案内状を発簡し(主だった方には国会内や官邸、議員会館などへ直接
訪問)、それ以外に厚生大臣表彰受賞者の選定、関係方面への広報、当日の議事次第、
祝辞の作成、日本水道協会との連携、会場となるホテル・ニューオータニの内覧、会
場整備案の検討・事務確認などを行ったのです。
事務方の責任は職務上私が担いましたが、私が担当に就いたのは秋の人事異動で。
大会は翌年の2月初め。
4か月ほどの期間しか残されておらず。
私はその人事異動に「このやろう、何で今頃の人事なんだ」と呆れました。
だが、仕方がありません。
この一大行事を避けては通れません。やるしかないのです。
私は「私の決断決行を認めてくれたら、出来る」という内心の矜持がありましたが、
いかんせん、官僚組織は決裁に信じられないような時間がかかるところ。
1日で決められる案件が1週間、1週間案件は1か月の覚悟が必要。
しかし、これも良き縁に恵まれたとしか言いようがないのですが、事業全体の責任者
であるA課長は、こまごまとした指図は一切せず、全て私に任せてくれたのです。
大所高所からのアドヴァイスはすれど、常にゆったりと構え、決裁文書にはいち早く
押印をし、日々、部下を励ましてくれていました。
お陰で事務方・裏方の混乱もなく、日本水道協会の方々の尽力もあり、大会は成功裡
に終えることができたのです。

大会後、その時の職場の仲間が集まり「百の会」という同窓会を何度か行ってきまし
た。
その会にお招きしていた当時のB部長が、今日の告別式で参列者を代表して弔辞を述
べられました。
「テニス、ゴルフ、囲碁、カラオケ、旅行・・、一緒の趣味を楽しんできた後輩のあ
なたが、私より先に逝くなんて・・」。
A氏は先日の連休中、テニスに興じている際に倒れ、そのまま帰らぬ人となったそう
です。
享年74歳。
呆然とする中、ただただご冥福を祈るばかりなのです。

一昨日の水曜日は、厚生ブルーバッカスという厚生労働省本省の野球部の送別会に。
長年、チームの中堅として活躍してきたC君が、転居を伴うこの春の人事異動の内示
を受けたからです。
私は名誉監督として、久々に長めの送辞を述べました。
私の息子たちより若い者もおれば、あと数年で60歳定年を迎える者までいます。
彼らに対し、私はこう述べました。
「1年1年は、あっという間に過ぎていく。そのことを痛感する時がすぐに来るだろう。
そうした君たち一人一人のこれからの役人人生。それでも君たちがどの様な道を辿っ
てどのような人生を送っていくのか、私には見える。
だいたいが年功序列で進み、60歳までつつがなく勤め、その後は役所関係の団体に再
就職。
たいして面白くもない道程だが、世間一般と比較したら経済的・立場的に安定した生
活を確保できる。
そう考えている人が多いのではないだろうか。
私はそれはそれで結構なことだと思う。この不安定な時代に「安定した道」が引かれ
ているのだから、幸せなことだ。
しかし、後悔だけはしないこと。
組織の掟に縛られて、ルーチンの仕事を無難にこなし、上司にへつらいながら唯々諾
々として日々を過ごしていたら、いつかきっと後悔する。
決まった道を先輩たちが辿ったと同様に、決まったように歩む中にも「感動」がなか
ったら、人生はきっと空しいものになる。
C君は新たな地、新たな職場で、スポーツマンの君らしく「One for all, All for
one」の厚生ブルーバッカス精神を忘れず、有意義な日々を送られることを期待して
いる」

「♪まにあうかもしれない、今なら、今の自分を捨てるのは 今なんだ」(吉田拓
郎・歌)

私も、今まで長年にわたって引きずってきた自分のいやな部分を脱ぎ捨てて、若い頃
に描いていた人生の希望に向かって、再び新たな道を切り開いていきたい、と切に願
っている春なのです。

「まにあうかもしれない・・今なら!」

それでは良い週末を。