満開の桜に思う |
今年、東京の桜の開花宣言がなされたのは、3月21日。 それから満開になったのは、10日ほど後(地域や桜木の樹齢によって期間の長短はあ りますが)。驚くことに、さらにそれからも桜は爛漫と咲き誇り、今日(4月7日)現 在でも、あちこちの桜がまだ艶やかな姿を保持しています。 何と、半月以上にわたって咲き続ける今年の桜。その健気さとひたむきさに驚嘆し、感 謝の意を表したいものです。桜の花は、この世で立派に咲いたと思ったら、全ての未練 を絶ってすぐに散ってしまう ので、その儚くも潔い姿は、多くの日本人の心をとらえ、 愛されてきました。 「花は桜木、人は武士」などと、武士道の精神の神髄の一端として譬(たと)えられたり、 「♪・・・咲いた花なら 散るのは覚悟 見事散りましょ 国のため」(「同期の桜」 西条八十 ・作詞)などという軍歌。 しかし、桜木の樹齢は限りがあるとしても、桜花の生(命)はたった一度の一瞬のもの ではなく、翌年もさらに次の年も、春になると再び芽生えて花となり、さらに見事に咲 き誇るのです。したがって、桜=短い命と短絡的にイメージすると、おかしいでしょう。 山梨県北杜市の「山高神代桜」の樹齢は、1800年。 岐阜県根尾谷の「薄墨桜」は、1500年。 人間の十数倍も長生きしています。 人間の命のほうが、儚いものです。 2015年の日本人の平均寿命は、男が80.5歳、女が86.8歳。私は、この春の桜花を観 ながら、「私はあと何年の命か?」という思いが、ふっと頭をよぎりました。 そんな年齢になってきたのです。 そして、ある言葉を思い出していたのです。 今年の1月、昔からの仲間であるA氏と、酒を酌み交わしながら久々に歓談しました。 5年ぶりの再会でしょうか。 A氏は、奥様が闘病中で、日々をつききりの介護に当たっており、同時にご本人も3年 前に下肢の疾病を発症。 そのような事情から、以前のように気軽に都心で一杯やることが叶わないでいたのです。 しかし何とか時間を割き、過日の再会が実現。A氏は昔と変わらぬ元気そうな風貌で、 美味しそうに 杯を重ねていました。 そのA氏に「全然変わらないし、元気そのものじゃないですか!?」と軽口をたたいて 酒を注ぐと、75歳の彼は 「いや、下肢動脈瘤ははかばかしくないし、体調も年々衰 えてきたのを痛感しているんですよ」 と言って、他の持病名を上げながら、酒を口元 に運ぶのです。 「そんな風には見えないけど、、、。昔、ゴルフボールをかっ飛ばしていた頃と変わり ませんよ。80になっても今日と同じ風貌と元気さがあると思うけど」 すると、しばらく間を置いてから「今の目標は、今年の桜を観ること。半年先とか来年 のことなど、考えられませんね。大事なのは一日一日ですね」と、微笑みました。 私は、桜を観ながらその言葉を思い出していたのです。 きっと5年前、10年前の花見と同様に、今年の満開の桜花を満喫されたことでしょう。 先々週の土曜日は、仲間内のゴルフコンペに。 グリーンを女子プロ競技用の高速仕様にしたので、誰もがパットに苦しみ、疲れ果てて ホールアウト。 その後の恒例の打ち上げ会や帰路の車中で飲み続けて盛り上がる中、私が感心したのは 今年傘寿(80歳)を迎えたB氏の元気さ。 B氏は毎年春と秋のコンペに欠かさず参加し、若い者に負けない飛距離とスコアを記録 し、酒も変わらずの 強いたしなみ。 「いやあ、もうゴルフは駄目だ」と、酒を飲みながら、やや疲れた表情で大仰におっし ゃるが、そのセリフは数年前からのもの。 週に1〜2度は地元のスポーツクラブに通っているとのこと。 人生のマイウエイを、淡々としなやかに歩む氏の姿に、毎回敬服して刺激を受けるので す。 先週の土曜日は、昔からの仲間達で早稲田大学の大隈庭園において花見。 こじんまりした庭園内に、常緑樹に交じって数本の桜が、一幅の日本画を観るように、 美しく咲き誇って いました。 こうした静謐な佇まいでの花見が、私は好き。 庭園内を回遊した後、園内に密やかに立つ、古い木造平屋の建物内で宴会(昼食会)。 20名の参加者のうち、4名は女性。 彼女らは皆な70代ですが、それぞれ第一線で変わらず仕事をしており、昔から常に変 わらぬ雰囲気を維持 されています。 この集いも、始めてからすでに30年。 華の彼女らには、まだ満開の時期が続くのでしょう。 今週の5日(火)は、ある法人の理事長であるC氏と埼玉県の寄居に。 東武東上線の車中や寄居駅から目的の病院に向かうタクシーの窓から眺めた満開の桜も、 息をのむほどの美しさ。 C氏も、訪問先の医療法人のD女史も、たしか75歳。 どちらもお元気で、斯界で大活躍の日々。 たいしたものと敬服せざるを得ません。 「散る桜 残る桜も 散る桜」 たった一度の人生。 どのような生き方であっても、その人らしい人生を送っている人は美しい。 命には限りがあるのが、万物の宿命。 花が咲き花が散る。 その繰り返しは、一日一日、1年1年の積み重ねでできる人生と同じ。 だから、1年に1度は私たちも何らかの花を咲かせて生きていきたいもの。 それがどのような花であっても。 そんなことを考えた、今年の花見でした。 さて、今週の土曜日は「還暦野球大会」。 60〜62歳が主流のチームで、68歳の私も参加してきます。 「壁の花ならぬ、ベンチの花」かもしれませんが、花は花。 それでは良い週末を。 |