あの時に、言えば良かった |
今朝も、喫茶店でのコーヒータイム。 周囲の会話や店員の接客マニュアル通りの大きな声を遮断するように、スマホのイヤ ホーンで耳を塞ぎ、しばしお好みの音楽に聴き惚れていました。 まずはモーツアルト。 「2台のピアノのためのソナタ二長調k448−第一楽章」などと、どれも長い曲名。 しかし、メロデイーを聴けば「これか」とうなずく曲ばかり。 モーツアルトから入るのは、音楽鑑賞の時のまさに「ルーチン」。 しかし、今朝はどういうわけか無性に演歌(ムード歌謡?)が聴きたくて、なぜか 鶴田浩二の「好きだった」(作詞・宮川哲夫、作曲・吉田正)をすぐに選曲。 最近は往年のムード歌謡や青春歌謡、あるいはフオーク・ソングを聴いたほうが副交 感神経が優位になり、モーツアルトやシューベルトの癒しメロデイより、心が安らか になるようです。 鶴田浩二のこの歌は、歌詞もメロデイも秀逸だと、私は思っています。 勿論、哀愁に満ちた彼の甘く切ない低音の魅力で歌われてこそ、ですが。 「♪好きだった好きだった 嘘じゃなかった好きだったそんな一言あの時に 言えば 良かった・・・・」 本当は心から死ぬほど好きだったのに、「さよなら」と言ってしまった過去を追憶す る、オーソドックスな悲恋の歌。 私は、「明日(21日)は春の還暦野球の最終戦か。全8戦のうち3戦しか参加して いないので、明日は何とか参加しなくてはいけないな。それにしても朝九時半の試 合開始はきついな」などとぼんやり考えていたのですが、ハッと胸が高鳴りました。 「そんな一言あの時に 言えば良かった・・」 この歌詞が心に突き刺さったのです。 今年で69歳を迎える人生。 この間、様々な人々と出会いと別れを繰り返してきました。 とても好きな人、好感の持てる人、好きでも嫌いでもない普通の人、あまり会いたく ない人 、嫌いな人、とても嫌いな人などなど。 しかし長い歳月、寒風やそよ風や追い風や逆風を受けているうち、現在では「嫌な人」 というか、「嫌悪する出来事、恨みや憎しみという感情」は、殆ど、あるいは全くと 言っていいほど風化してしまいました。 歳月がこれらの感情の起伏を洗い流し、まろやかなものに変えてしまったのでしょう。 だが、まだ忘却できていないこともあるのです。 それは自分が若い頃より少しは大人になった今だからこそ、心の許容範囲が広くなり、 冷静になって見えてきたことなのです。 それは、素直に「ありがとう」「うれしい」「すごいね」「ごめん」「悪かった」と いう言葉を、「あの時に一言、言えば良かった」ということなのです。 それはセンチメンタルな甘酸っぱい悔恨。 親友の同級生が私より成績が良かった時「すごいな。今回は俺の負けだ」と素直に相 手を褒め称えれば良いのに、「なんのそれしき」と高慢に無視したり。 私が兄貴面して威張っていた中学時代、風邪で寝込んでいた私が小学生の妹にあれこ れ持ってこさせ、遅いと文句は言ったくせに「サンキュウ」の一言も言わず。 記憶は薄れましたが、熟慮すると同様のことがあれこれと脳裏に浮かんできます。 その中でも、今でも鮮明に覚えていること。 それは中学2年の時、私が一人で学校からの帰路を辿っていると、誰かが中学校で札 付きのワル数人に囲まれ、塀に押し付けられていました。チラッと窺うと、彼は小学 生の時の同級生・A君。 彼はご両親が在日韓国人ということで、時々他の人から「にんにく臭い」とからかわ れていたりしたのですが、芯の強い子でした。 彼は私と目線が合うと、咄嗟に救いを求める悲し気な表情を浮かべました。しかし その当時、私の心身は非常に落ち込んでいたのです。 新聞配達に行く途中に交通事故に遭って入院し、退院してから日も浅く、友達も少な く全く影の薄い暗い子に陥っていたのです(我が人生で最悪の1年間でした)。 彼は恐怖に震えながら、小学6年生の頃の学級委員やスポーツ少年として快活だった 私を頼ったはず。 そう私は直感しました。 でも私は、ワルの連中に向かって「やめろよ」の一言も発することはできず、その中 のボス的な男から「東井、なんだよ?!」と睨まれるや、黙ってその場を離れ始めた のです。 だが、幸運にも前から来た大柄な高校生がイジメの群れに気が付き、近寄って行って 「何やってんだ、お前らいじめはやめろ!」と割って入ったので、ワルたちはすごす ごと逃げていきました。 私は呆然としてしばし立ち止まっていると、A君が近づいてきて「東井君・・、あの時 知らないふりして通り過ぎようとしたよね」と、ポツリと呟いたのです。 私は図星だったのですが、彼の憚りのない直言にもカチンときて、黙って踵を返して 帰っていきました。 それからの日々。 彼と出会うことも話すこともなく。 長年、あの時正直に「ごめん・・」と言っていればと、何度思ったことか。 しかし、それが8年前にようやく叶ったのです。 小学校のクラス会(不動小学校6年3組)を、「還暦クラス会」と称して開催した日、 私はA君ともう一人のクラスメイトで、二次会に。 その席で、私はA君に何のためらいもなく当時の出来事を詳細に語り、「あの時、君に 言われたことが心に突き刺さったよ。悪かったな」と誤ったのです。 でもA君は「エッそんなことがあった?」とキョトンとし、今では手広く不動産会社を 経営している貫録を見せながら、「そんなことより歌を歌おうぜ」とマイクを握り、 自信満々に玄人はだしの美声を発したのです。 歌は、三田明のヒット曲「美しい十代」。 十代のところだけ文字って「美しい六十代」を笑顔で歌っていました。 「そんな一言 あの時に言えば良かった・・・」 今では、恨みや悲しみや憎しみの思い出は全て消え去り、脳裏に浮かぶのは懐かしく 甘美でロマンチックでエキサイテイングなことばかり。 これだけは加齢現象に素直に感謝するばかり。 そしてこれからは、「ありがとう!」と「うれしい!」をなんのてらいもなく多用し ていきたいと念じている今日この頃なのです。 「美しい七十代」を迎えるためにも。 それでは良い週末を。 |