希 望 の 炎 |
今週の週末エッセイは、3日前に大阪のU氏と交信したメールを、そのまま掲載いた します。 U氏からの返信は、前回の私のエッセイ「くちなしの花よ」に対するもの。 20数年前からご縁があるU氏は、この春、電通の顧問を退任され、いま新たな世界 に進んでいます。 以前から「広告業界では、気骨とロマンに溢れた稀有な人」との印象を抱いていまし たが、退任後もそのイメージ通りのスタンスをとっておられ、うらやましい限りです。 まずはU氏のメールから読まれ、次に私の返信メールをご笑覧ください。 それでは良い週末を。 ●U氏へのメール Uさんの冷静な頭脳の中に秘められた青き炎。その思いが熱く伝わってくるメール。 感心しながら読ませていただきました。 良き第二の人生を、悠然と進まれていますね。 Uさんの持ち味が十分に発揮できるスタンス。その構えから5年10年先の目標に向 かって、鋭い打球が綺麗な放物線を描いてどんどん飛んでいくさまが、いま、私の脳 裏にはっきりと浮かんできます。 私は青年の頃から今日に至るまで「ロマンチックなリアリスト」でありたい、と思い ながら生きてきました。 だから老若男女を問わず、ロマンチックな人が昔から好きです。 しかし夢想に耽る(口先)ばかりで現実から浮いている人や、行動が伴わない人には 興味がなく、さらに年齢を問わず、現実主義一辺倒(利己主義と紙一重)でロマンが 微塵も感じられない人は、全く肌に合いません。 現在の、漠然とした不安感と閉塞感に満ちた管理・封建(格差)社会。 この末世的な社会の明日に、もし一縷の希望を見出すとしたら、それは巨大都市の中 で生存競争・優勝劣敗に明け暮れる(あるいは諦めてしまっている)若者にではなく、 地方に軸足を定め、人とのふれあい・共助に価値を置いて利他的に生き、そこに自身 のロマンを重ねながら「ああ、楽しい!と健やかな笑顔を交わせる若者たち」にある、 と言えるかもしれませんね。 その評価が出来るのは、5年後、10年後、あるいは私たち世代がことごとく夜空の 星屑となった時に、明らかになるのかもしれません。 平成維新の若き志士たちが、この小さな国のどこかにいるのだろうか。 そうした彼ら彼女らと共に、大空の遥か彼方に浮かぶ雲を見つめながら、さりげなく 彼らの群像を描き出していけるのは、もしかしたらUさんのような、ロマンと情熱を 秘めた人生の練達の士がいてこそ、と私は思います。 幕末維新の奇跡の人、英雄・坂本龍馬。 彼が常々口にしたのは「世に生を得るは、事をなすにあり」。 そして、薩長連合を遂げ、大政奉還を演じ、維新政府樹立の大事をなした後、「おれ は日本を生まれ変わらせたかっただけで、生まれ変わった日本で栄達するつもりはな い」と、恬淡(てんたん)として自分の心境を語っています(「竜馬がゆく」司馬遼 太郎著より)。 日本人の多くが愛読した、大河小説「竜馬がゆく」。 その巨編の最終章で、筆者の司馬遼太郎氏は「この小説を構想するにあたって、事を なす人間の条件というものを考えたかった。それを坂本龍馬という、田舎生まれの、 地位も学問もなく、ただ一片の志のみを持っていた若者に求めた・・」と述べていま した。 平成の竜馬的な若者が、さらにそれを支える若者たちが、「まことに小さな国(日本) が、衰退期を迎えようとしている」(平田オリザ氏)現在、日本のあちこちで静かに しなやかに、日本再生のための新たな希望の炎を、燃やし始めているのかもしれませ んね。 Uさんの言うように「一部の若者たちの動きには、明るい可能性がある」ことを私も 信じ、70近い老兵は老兵ながらの希望の炎を、ほのかに燃やし続けていきたいもの、 と改めて心に誓ったのです。 それではいつかまた、ちくりと美酒を酌み交わしながら、歓談しましょう。 ●U氏からのメール 久しぶりに返信させていただきます。 今の日本の状況に対しては、前回のエッセイの通りで、まったく異論の申しようもあ りません。 眼前にある重大な課題から目をそらさせ、日本の国民を「茹でガエル状態」とし、知 らぬ間にみんなで幸せに滅亡していく方向へといざなう。 「日本に対して怨念をもつ影なる集団が、そんな企図を持って仕掛けているのではな いか?」とさえ思われてくる昨今の状況です。 そうした懸念を前提の上で、少々希望の持てそうな、ささやかなエピソードを一つ。 私は現在、福井県大野市の「地方創生アドバイザー」として活動しています。 全く縁もゆかりもなかった町と、人のご縁で関係ができて約3年。 地方が抱える課題とそれに取り組んでいる人々の問題意識、人的なネットワークの豊 かな広がりに、驚きと感動を覚えています。 3万人の盆地の城下町は、まるで日本列島に閉じ込められた日本国のミニチュア版の ようで、1500年代からの歴史が今の会話の中に生きている町です。 そこで市役所の若手職員の方々と電通の若手社員が、人口減少の現状を我が事として 捉え、本質的な課題解決の議論を重ねています。 私はアドバイザーとして、目先の派手な成果を求めるのではなく、「3年5年かけて、 10年20年30年後に形として実ってくる施策」を模索しています。 北陸の山間部から、東京 大阪 海外につながって動き始めています。 若手が引っ張り、市長をリーダーとしたトップ層が腹を決めて責任をとって動いてい ます。 私の役目は、若手と市長との間に立って、いざというときに「殿!ご決断を」と市長 に詰め寄る役目です。 私の出身は広島県の府中市という人口4万余の町です。 色々な経緯があって、長い歴史のあった我が家を人手に渡すことになり、府中市で初 めてのNPO法人と、ほぼ無料で土地建物含めた不動産の売買契約をしました。 先日最後の動産{手紙や書籍、琴、電蓄、庭の灯篭など}の整理をしてきました。 連日一緒に汗にまみれて後始末に精を出し、夜は割り勘で酒を酌み交わし、語り合う 日々を送りました。 NPOのリーダーは40歳前後の地元の不動産業の人、メンバーのほとんどが20代 から30代の男女です。千葉県船橋市出身の女性、地元から東京や大阪に出て就職し、 結婚しUターンして帰ってきた男性、日本中10箇所も移動してきた女性など、10 名弱のメンバーはみな個性的で、崩壊のさなかにある地方の町を何とかしようと、力 を合わせて働いています。 私の話す実家の歴史をすぐにノートにメモし、先々、一般の方々に安価に宿泊先とし て提供する際、エピソードとして生かしていこうとしてくれているのです。 彼らの価値観に私も賛同し、ほとんどの動産はそのまま引き渡すことにしました。 彼らはそれらをできるだけ生かして、オープンハウスを来春にもオープンする予定で す。 彼らは東京や大阪の人的なネットワークも引っ張りながら、思った以上のダイナミッ クさで日本中を駆け回り、同様の目的を互いに共有するための努力を、惜しんでいま せん。 なんだか、幕末〜明治維新の折の下級武士たちが、日本列島を縦断して駆け回ってい た時代を思い起こしました。 ただ大きな違いは、政治的な動きがまだ少ないことですが、「政治にも目覚め、地域 創生のうねりをつくりだしていく必要がある」などという会話の中に、地元の大地に たくましく根ざしていこうとする彼らの気概を、肌で強く感じております。 ほとんどの地方都市は、街並みや商店街を見るといずこも絶望的なほどに朽ち果て、 空き地だらけとなっておりますが、そこに住む人々の、特に若い人々の中に確実にエ ネルギーが蓄えられてきているように思うのです。 私の期待しすぎかもしれませんが。 私は大野市と府中市の若者たちを中心とした活動のサポート役を通して、今の時代の 足元の動きを肌で感じていきたいと思っています。 こうした地方で活動する若者たちの姿勢には、1960年代から1970年代の、地 に足がついていなかった「頭でっかちな」学生運動などとは違った、明るい可能性を 十分に感じさせるものが あるように思っているのです。 長くなりました。それでは失礼します。 |