譲 り 葉 |
今日は7月26日(火)。現在時刻は午後9時45分。 気分はほろ酔い。 梅雨明け直前の、小ぬか雨が降る夜道をゆっくりと帰ってきました。 今夕は、日本橋人形町の甘酒横丁(水天宮から明治座に至る道)にある、老舗蕎麦屋 で、旧友のS君と日本酒熱燗を交わしながら2時間ほど歓談。 同年齢の彼とは、厚生省大臣官房統計調査部に入省して以来の付き合い。 私が統計調査部のバレーボールの主将として、省内大会の常勝・社会保険庁チームを 打倒し、晴れの初優勝を掴み取ることを悲願に、連日猛練習に明け暮れていた24歳の 時、決勝戦で今一歩及ばずに破れ、空虚な準優勝に終わった時のメンバーの一人。 私は翌年、霞が関の環境衛生局に人事異動。残った数十名の部員の中から、後継主将 として私が指名したのがS君。 翌年、悲願の優勝を果たしてくれたのです。 今夕は、そんな話と政治・社会の話を中心に、彼とは久し振りに大いに歓談したので す。 その彼が、私が軽く喋った言葉に強い言葉で返答したのに、私は驚き、そして微かに 頷いたのです。 彼は「東井さんから、そんな言葉は聞きたくないよ。そうしたことを絶対に考えても らいたくもない。東井さんはいつまでも僕たちの目標でいて貰いたい」と。 私がびっくりするような語調で強く訴えてきたその言葉が、帰宅した今でも脳裏に響 いて残っているのです。 その私の言葉とは、次の通り。 『先月からエッセイを休筆しているのは、書く意欲が喪失してきたからだよ。 20歳過ぎの頃から、厚生労働省の労働組合や自主的サークルの活動を通して、政治や 社会や職場の問題を抉り出し、声なき声を代弁するように率直に批評文をチラシなど で配信してきたが、この2,3年で社会の様相は激変した。 政治が悪い、何が悪いといっても、一番は国民の心情に「長いものには巻かれろ」 「寄らば大樹の陰」「反論したり、異質な行動をしたら叩かれて損をするだけ」とい う負け犬根性、無力感が蔓延してしまったからだと思う。 こうした全てが、ITを使った国家による国民社会の管理・統制が強固に構築されてき たためだと、私は思う。 国民がほんの少し前の時代から、大きく変わってしまった。 「お上、権力、強い者には服従するしかない。それが賢明」と。 こうした状況の中、私が政治や行政に対する悲観的な批評など、このちっぽけな媒体 を通して繰り返していても、単なる自己慰安でしかない。その自己満足もなくなって きた。 なぜなら、そのエッセイの主張の先に、具体的な希望がこれまた殆ど見出せずに描け ないからだ。 そうして、どうしても結論はこうなる。 過去に何度も私が述べてきたように、この国が変わるのは、今の世界情勢の影響をも 含んで、議会制民主主義では駄目かもしれない。 「大地震などの未曽有の天変地異の発生、財政破綻等による経済大恐慌の発生、そし て近隣・非同盟国との戦闘状態やテロによる戒厳令など国家非常事態の発生」。 そのいずれかか、複合的な発生によると思う。 社会は「ポケモンGO」の騒動に見られるように、何か一方向に誘導されて浮かれ、国 民は今や完全に情報操作され、意思と顔のない不気味な大衆に変容させられてしまっ た、と感じる。 あとは、国家権力が外交・防衛の危機を理由に、一挙に国家主義体制を仕上げてくる だろう。 参議院議員選挙では、多くの国民の関心は「経済の成長」をあげ、政権与党は待って ましたとばかり「この道しかない。アベノミクスの強化を」と訴え、圧倒的多数の議 席を獲得した。 しかし今後、国民に与えられるのは「国家に尽くす。国家に従う義務」の押しつけだ ろう。 自己保身のために官邸にひれ伏し、国会議決のためだけの無言のロボットと化したよ うな多くの国会議員。 権力の干渉を恐れ、これに平伏し、提灯持ちになって「これで改憲可能に!」とはし ゃぐ一部マスコミ。 そんな騒ぎを冷笑しながら、省益(自分たちの立場)第一主義に徹する行政。 それに「アベノミクス万歳」などともてはやし、そのおこぼれにしゃぶりつく一部の 大企業・関係団体。 社会全体が「木を見て森を見ず」。10年、20年後のあるべき心豊かな日本社会を目指 す政策より、自分たちの目先の保身、利益確保を追及するばかり。 「政治や社会のことなど、構ってはいられない」と。 だから、テレビは「グルメ、旅、健康、クイズを主柱にしたお笑いバラエテイ番組」 一色。 ほくそ笑んでいるのは、国家権力中枢とその関係者だろう。 世も末なんだろうな』 『私が初代係長を務めた発足当初のA課。7年前にその時の同窓会を開いたのだが、当 時の元気のよい上司だったB氏が、酔い気味の呂律でみんなに発した言葉が、今も忘れ ないんだ。 しかし、この頃、その心境が何となくわかるようになった。 7年前の同窓会の時のB氏は、確か74歳。白髪だが顔の色艶も良く、健康そのもの。 その彼が数歳先輩の諸氏に「もう、毎日生きているのも、いい加減飽きたと思いませ んか? 私はもういいよ!という気持ちだなあ」と。 彼は役所を退職後、70近くまで関係団体で働き、その後は趣味の卓球や囲碁を楽しみ ながら、年金生活を楽しんでいた模様。 90歳ぐらいまではピンピンと勇んで生き続けるタイプと想像していたのだが、豈(あに) はからんや。 俺はびっくりして「それなら、1か月後にガンで死ぬと宣言されても、恐怖も悔いもな いのですか?」と尋ねると、「ああ、全くないな」とさらりと返答したんだ。 俺は、「そんなはずはない。高僧でも誰でも、死を実感したら恐怖や後悔や未練や、 その前に頭の中が真っ白になってパニックに陥るのじゃないか。俺はまだ死にたくな い!と」と反論しようと思ったが、黙っていた。 彼は静かな表情ながら真顔だった。 でも最近、俺も加齢を重ねてふっと思うのは、ある程度の年齢に達してくると、ただ 長生きすればハッピーという単純な若者のような心境にはならないんじゃないか、と。 それは自分のミッションの達成に人生の殆どを費やし、それなりに目的や希望を、自 分ながらに掴み取ってきた満足感があるからだと思う。 いくら好きなゴルフや囲碁を毎日エンジョイしても、それは死ぬまで生きる為の目的 には、値しないだろうからな。 俺も、「貴方はまもなく死ぬ」と言われても、きっと今は殆ど狼狽しないのでなはい だろうか。 よく「人生が二度あれば」「もう一度、あの時に戻ってやり直しが出来たら」という 人がいるが、俺はもう全く今までの人生の道程には悔いがない。 そして、「もう一度幼い頃に戻って、他の生き方をしたいか。それとも同じ人生をも う一度辿りたいか」と聞かれても、「NO!」と言うだろう。 第一、これからの社会の先行きに、全く希望材料が見当たらないのだから、余計に ね・・・。 これが俺の偽らざる今の心境なんだよ』。 あとは続けずに、静かに杯を空けたのですが、S君がその間の沈黙を破るように発した のが、前述の言葉。 S君と別れ、濡れた舗道をゆっくり踏みしめながら水天宮駅に。 左手に今春新築なった水天宮の建物がぼんやり見えます。 人形町駅での待ち合わせまでに時間があったので、その前に私は「安産の神様」水天 宮に安産祈願をしたのが午後5時15分。 なぜなら、次男夫妻の第2子の出産が間近だったから。 するとその3時間後、蕎麦屋を出て喫茶店にいる私の携帯に、プラハにいる次男から メールが。 「先ほど無事出産。女の子」。 私は、酔いが心地よく巡っている身体を一振りし、半蔵門線の水天宮駅の階段をゆっ くりと降りていくとき、不意に「譲り葉」という言葉を連想しました。 新しい葉が生長して、古い葉が散る。 その輪廻が絶えることなく悠久に続くことこそ、天地の自然の摂理。 そうした摂理のもと、能う限り「一日生涯」の気持ちで、日々を精一杯生きること。 それが譲り葉の権利でもあり義務なのだと考えながら、こう呟くのです。 「新しい葉よ、早く育て。でもあと○○○○回の晩酌を飲んでからな」 それでは久しぶりに「良い週末を!」 |