東井朝仁 随想録
「良い週末を」

10月 に な れ ば

          「♪5月から12月まで なんて長いんだろう
            でも9月になれば 時のたつのも早くなる
            秋が来て 木の葉が紅く染まるころには
            もう待つことを楽しむ時間はない
            9月から11月までは そんな季節
            秋はあなたと過ごせる 素敵な季節・・   

            ♪ああ 日々は過ぎ去り、残された日々はわずか
            9月から11月
            この残された短いけれど愛しい日々を あなたと共に過ごそう
            君と共にこのかけがえのない日々を・・」

この歌詞は、往年のポピュラー・ソング「セプテンバー・ソング」の和訳。
引用部分は全体のさわり。
色々な人の和訳があるようですが、この哀愁を帯びた名曲は、今までフランク・シナトラ
など多くの歌手によって歌われてきました。
私も高校時代から今日まで、夏も終わりに近づいたころになると、どこかに秋の気配が感
じられる青空を仰ぎ見ながら、出だしのメロデイを口笛でさりげなく繰り返していたもの
です。
「9月になれば、何かいいことがある・・」と、実体と確信の無い、淡いあこがれを抱き
ながら。

前回のエッセイ「晩夏に想う」を書いた8月下旬も、そんな気分でした。
連日の猛暑に疲弊した日本列島を、毎週のように台風や豪雨が襲い、洪水や土砂崩れなど
による大災害が各地で頻発し、加えて社会的には、連続殺人や猟奇事件の重犯罪の発生、
はてはルールを無視した危険な自転車運転による事故や、自分本位で視野狭窄による「ポ
ケモンGO」騒動などが世間を苛立たせた今夏。
だから「狂ったような夏が終わり、早く9月になれば・・」と一縷の望みを抱いていまし
た。
せめて9月になれば自然の怒りも少しは納まり、気候も涼しくなって国民のノー(脳)天気
も普段に戻ってくるだろうと。

さらに、私個人の密かな期待も込められていたのです。
唯物論も唯神論も頷ける、両てんびんで実用主義(プラグマティズム)の私は、趣味とし
て色々な本を読んでいますが、占い本もその一つ。
「神宮館家庭暦」(高島易断所本部編集)とか「八白土星」(新宿の母・栗原すみ子著)、
「9星別風水・八白土星」(直居由美里著)、「六星占術・木星人の運命」(細木数子著)
とか。
なかでも、私の誕生日(10月1日)の星座宮である「てんびん座」について占った、「3
年の星占い」(石井ゆかり著・wave出版)という本は、異色で面白かった一冊。
その中にこう書いてありました。
「2016年9月を境に、てんびん座のあなたはまるで新しい自分に「脱皮」できる時間
に入っていくことになります。
9月、大きな変革期へと入ります」と。
今年の夏(特に8月)は、例年よりことのほか体が重く、胃腸の具合も悪くて意欲が出ま
せんでした。
また、今まで十年一日のごとく行ってきたあれこれに対し、以前と同じような感興をもよ
おすことが希薄になってきた気がしていました。
「年齢による気力体力の低下か。天候不順による自律神経の不調によるものか。世の中全
体が無機質的で面白くない社会になっているせいだろうか」などと、あれこれ考えてみま
したが、ピンとこず。
結果、「時間が解決してくれるだろう。9月になれば」となった次第。

しかし。
9月になっても、自然の大規模災害や社会的問題はとどまることはありません。
世界に目を転じれば、残虐なテロの多発や悲惨な大量難民の発生。
北朝鮮の核実験や中国の日本領空・領海における挑発行為のエスカレート。一触即発で極
めて危険な状況が続いています。
また国内では、東京都の豊洲市場のズサンな整備問題や、さらに県議会議員(国会議員な
ども疑惑多々)たちの政務活動費の不正流用問題(まだ氷山の一角と推定)。
福島第一原発の処理(廃炉)の手詰まりの一方、原発再稼働・核開発技術の海外でのトッ
プセール。
そして、国と沖縄県の関係修復が極めて困難な状態に陥った、沖縄の米軍基地移設問題。
国は、極東における日本の安全保障の観点から「沖縄はそのかなめ」として、長年、すべ
てのリスクと犠牲を沖縄に追わせているが、私は偏狭な地政学上の論理(中国・北朝鮮に
最も近い)から、沖縄だけに負担と犠牲を負わせるのではなく、日本列島(47都道府県)
全体で安全保障上の責任を担うべきと思っています。
オールジャパンで日本の安全保障の義務と権利を担う決意を、私は早急に国会で決議すべ
きと考えるのです。
しかし、国も他の46都道府県もわれ関せず。
景気対策だ、オリンピックだ、災害復興費だと、多くの人々の関心は「金目」。
沖縄問題や、憲法に準拠した(憲法改正を含む)安全保障・平和外交政策の議論は霞んで、
見て見ぬふり。
これが「おもてなし、もったいない、助け合い精神」を標ぼう・喧伝する日本の実態。
また、障害者施設や病院内での、おぞましい大量連続殺人事件の発生。日常化してニュー
スにもならない傷害・いじめ・詐欺・横領事件や交通事故。
列挙すればきりがない、9月の出来事。
心身ともにうだるようなやるせない夏は、9月になってもまだ続いているのです。

でも、その辺に咲くサルビアの花は、今を盛りに深紅の房を風に揺れめかせ、どこからか
金木犀の甘い芳香が微かに匂ってくる季節となりました。
路傍の名もない美しい花を見つけ、、風に乗って漂ってくる安らかな芳香に触れるとき、
青空に気高く浮かぶ1本の白いすじ雲のような清々しさが、心に流れるのです。

こんな言葉がありました。
「足元だけを見つめていると、前が見えない。目の前のことにとらわれたら、見解はせま
くなる。心は暗くなりやすい」
そうだ。今を嘆いたり、今に絶望しているだけでは、何も生まれない。楽しくない。面白
くない。
そんな自分はつまらない。
時には視線を転じるのだ。
10月がある。11月も来る。
リアルな気の重いことを嘆くのも当然だが、残された日々はだんだんと少なくなってくる。
だから、たった一度の人生を、喜びの花が咲くようにせっせと種をまいて過ごしていこう。
まかない種ははえない。花も咲かない。
いつか咲く花を期待して、今日を精一杯楽しんで生きていこう。
君と共に、このかけがえのない日々を。
9月の終わりになって、そんな風に思いが至ったのです。

「10月になれば、何かが生まれる。きっと・・」
そう、10月1日は私の69歳の誕生日だし。きっと・・。

それでは良い週末を。