中 秋 に 想 う |
10月も半ばに入り、朝夕はめっきり涼しい候となりましたが、益々ご健勝でお過ごし のこととお喜び申し上げます。 この様な定型的な時候の挨拶を、当たり前のように使用しましたが、中には「辛いこと」 「悲しいこと」「不安なこと」「心配事」などを抱えて悩んでおられる方もいるかもし れません。 また、「腰や膝が痛い」「夜中に何度もトイレに起きて、良い睡眠がとれない」「身体 が怠くて食欲がない」「咳がなかなか止まらない」などと、具体的な身体の不調をお嘆 きの方もおられるかもしれません。 それでも、あえて「皆さんお元気でお過ごしのこと」と勝手に推察したいのです。 それは私の願いであり、祈りの言葉かも知れません。 私の知っているご縁のある人たちは皆、元気で幸せでいてほしい、と。 お互いにいつかは消えてなくなる生命だが、生ある限り共に笑い、泣き、叫び、怒り、 喜び合おう。そして人生の感動を一日でも多く共有していきましょう、と。 理屈も何もなく、最近そうしみじみと考えるのです。 その素因は、私が70近くの年齢となり、生命の尊さと、健やかに生きることの有り難 さを、今まで以上に心身の深いところで痛感していることにあると思います。 それと共に、「一人の人生は寂しい」ということ。 それは今まで生きてきた中の、私の悟りの一つ。 自分一人が「健やかに幸せに生きている」と強がって微笑んでもみても、それは空虚な こと。 豊富な資産や名誉や権力などを握っていても、人と喜びを分かち合えない人は、私から 見たら孤独な人。「人生の不幸は、孤独」。 だから、たった一度の人生でご縁のできた「有り難い」人達は、残された人生における 大切なパートナーとして、「いつまでもお元気で」と願うのです。 でも、そんなことを私が心配する以前に、殆どの人たちがどの様な悪状況に置かれても、 明日が来たらまた前を向いて元気に歩き始めていくのですから、人間というものはたく ましい生き物なのでしょう。 秋の夜長、「さしたる不安ごともなく、親身になって話せる人が、2〜3人でもいるこ と」「夕飯は、さんまの塩焼きと栗ご飯を食べよう、といった日常のささやかな楽しみ がある生活を送れること」「明日に託せる希望があること」、そして「健康なこと」こ そ、「幸福」の原点 ではないかと思います。 さらに、自分というものが、身近な人は勿論のこと、見知らぬ他人のたった一人の方に でも「喜ばれる」存在である、というかすかな自己満足を生む生き方が出来れば、これ にまさる人生はない、とも思っているのです。 さて、白玉の歯に染み入る美(うま)し酒を、一人で静かに飲みながら、今夜も見果て ぬ夢を追うことにします。 それでは良い週末を。 |