東井朝仁 随想録
「良い週末を」

逢 わ ず に 愛 し て

私は、時につまらない勘違いから誤字・誤読をし、後でしばしば羞恥心に見悶えることが
あります。
例えば。
カタカナ語では「人間ドック受けた?」を「人間ドッグ受けた?」、「ホット・ドッグを
一つ」を「ホット・ドックを一つ」など、間違いに気づかずに喋っていたり。「このベッ
ド(寝台)は固いな」を「このベット(勝負)は固いな」とか。
さらに例えば。
遥か昔のことですが、労働組合の機関誌などに「勿論、それは看過できない問題である」
などと、大上段に当局の施策を喝破した論述を展開したのは良いが、勿論を「持論、」と
書いていたのです。
何の疑いもなく、モチロンを「持論」と誤記していた事例を散見したのは、ほどなくして
から。
深読みしてくれれば「私の持説、」と見えを切っていると思ってくれなくもないが、これ
は勿論、ミス。
今も手元にある古い印刷物を目にすると、カッと身体が熱くなるのです。
もう一例。
これは歌詞の読み違い。
学校唱歌から歌謡曲まで、例をあげたら切りがありません。
代表的な例を一つ挙げると、「北帰行」の歌。

この歌は、旧制旅順高等学校の寮歌ですが、戦後の、歌声喫茶などで全国的に広がり、
少なくとも団塊の世代以前の人達で、聴いたことのない人は稀ではないでしょうか。
色々な歌手に歌われてきましたが、最も馴染み深くヒットしたのは、小林旭の歌。
私もカラオケなど無い時代、「送別会」などで、そらんじた歌詞を朗々と得意げに独唱し
ていましたが、最近、スマホで小林旭が歌っている北帰行を聴いて、唖然。
「♪遠き想い はかなき希望(のぞみ)、恩愛われを去りぬ」というフレーズで、小林旭
は「恩愛」を「おんない」と歌っているのです。
「エッ、おんあいではないのか?!」と。
だが、何回聴いても同じ。
そこでカラオケ店で歌ってみたら、画面には確かに恩愛に「おんない」とルビがついてい
ました。
電子辞書で「おんない」と入れると、「恩愛」と表示され、解説で「おんあい」とあるの
で、どちらの読みも正しいのですが。
しかし歌の場合、前述の「希望」を「のぞみ」と歌うように、字面通り発声すると間違い
なのです。
私は、このかた数十年、「おんあいわれをさりぬ」と歌ってきたのです。
でも、聴いている人も別に違和感がなかったでしょうが。

それと歌詞でいえば、もう一例。
私は、数ある歌謡曲の中でも、昭和40年代に「演歌(艶歌・怨歌)の星」と絶賛された
藤圭子の「逢わずに愛して」という歌が、大好き。
大好きというのは、自分が歌うのではなく、聴くのが好きなのです。
ちなみに、藤圭子は1970年に発売した「圭子の夢は夜開く」と、その前に発売した「女の
ブルース」の2曲が大ヒット。この2曲で連続18週もの間、オリコンの1位を獲得しており、
この記録は現在も破られていないほど、彼女のレコードはヒットしていました。
「逢わずに愛して」は、クール・フアイブ(ボーカル・前川清)が1969年に発売した
ミリオンセラー。
それを藤圭子は、自身のLPでカバーして歌っていたのです。
当時私は、藤圭子の歌は嫌いではないが、何となくセンシテイブな女の子、暗そうな子と
いう印象で、世間がもてはやすほどの興味は持ち合わせていませんでした。
それでもある日、「圭子の夢は夜ひらく/演歌の星・藤圭子」というLPを何気なく買い、
自宅のステレオ(パイオニアの4チャネルスピーカーのステレオ)で聴いていたのですが、
最後曲の「逢わずに愛して」を寝転んで聴いているうち、その低音でハスキーな凄みのあ
る歌声に、鳥肌が立つほどの興奮を覚え 、思わず身を起こして驚嘆してしまいました。
「なんていう凄い子だ。自分の小さな身体を絞り尽し、命を捨てる覚悟で絶唱しているの
ではないか?!」私は感情を抑えるすべもなく、しばし涙ぐみながら感動に酔いしれてい
たのです。

最近、私はカラオケ店で時折、この歌を歌っています。
これもスマホで前川清の「逢わずに愛して」に聞き惚れて、昔の感動が蘇ってきたから。
だが、前川清は「♪離れ離れの運命におかれ、愛がなおさら強くなる・・・」という箇所
では、「運命」を「さだみ」と歌っており、私も道を歩きながら口ずさむ時は「さだみ・・
定めではなく定身。決められた身、運命」と考えて歌っていたのです。
でも、どうも疑念は晴れず、カラオケ店へ。
やはり字幕には「運命(さだめ)」とあり、釈然。
フランク永井が「羽田発7時50分」の歌で、7時を「シチジ」と歌っているのと同様、前川
清の訛りなのかも知れません。

先週読んだ文庫本「流星ひとつ」(新潮文庫・沢木耕太郎著)。
著者と藤圭子との全編対話集で、秀逸でした。
藤圭子は、演歌の大スターとして一時代を築いたが、すぐに引退。
2013年に新宿のマンションから飛び降りて自死。享年62歳。
娘の宇多田ヒカルは、「母親は長く精神の病に苦しめられ、感情や行動をコントロールで
きなくなっていた」とのコメントを発表。
引退直前に行われた対話が、本書にはリアルに再現されていますが、藤圭子がこう話して
いるのが強く印象に残りました。

『藤「幸せで、なんにも悲しいことがなくても、何か月も泣かないと、夜、一人で歌を聴
いていると涙が勝手に流れてきたりするんだ」
沢木「どこで?あなたの家で?」
「うん、自分の部屋で」
「自分の部屋で歌を聞いたりすること、よくあるの?」
「あるよ。だって、歌、好きなんだもん。聞くの大好き。聞いていると、涙が出てくるこ
とあるんだ。」
「いろいろ聞くんだろうけど、誰の歌を聞くの、日本の歌手では」
「クール・フアイブとか八代亜紀さんとか・・・」
「クール・フアイブか。藤圭子の歌は?」
「聞くよ」
「泣ける?」
「うん、初期の頃の歌を聞いているとね。(略)」
「それは意外ですね。プロの歌手というのは、もう歌なんかに飽き飽きとしていて、もっ
と鈍感になっているのかと思っていた」
「そんなことはないよ。この間もクール・フアイブを聞いたんだよね。本当に素晴らしか
った」
「クール・フアイブを?」
「うん」 「レコードで?」
「ううん、日劇のショー」
「ほんと!前川清の舞台をわざわざ見に行ったわけ?別れた亭主のショーの会場に?」
「うん。すごくよかった(略)胸が熱くなって涙がこぼれそうになって、ほんと困っちゃっ
たよ。あんなうまい人はいないよ。絶対に日本一だよ」
「日本一、か」
「うん、すごい歌手だよ、前川さんは」
「それだけ理解しているのに、別れてしまった」
「それとこれとは違うよ」』

宵の明星みたく、いつまでもいつまでもそっと輝くことはなく、激しく輝いて流れ星のよ
うに去ってしまった藤圭子。

話は変わって。
今、私は一人。
配偶者は「世田谷海外研修の会」の人達と、幹事役でブルガリアのソフィア等へ旅行中。
長男は仕事で、ブラジルのリオへ1か月の出張中(彼の嫁さんも出張で、先週末まで香港
に)
次男夫妻一家はチェコのプラハに赴任中。
娘はその間、長男夫妻の子供たちの送り迎え。
その娘は、昨日、転職先の新たな職場へ初出勤。
そして私は、事務所の椅子にもたれながら、彼ら彼女らの行く末をぼんやりと想像してい
るのです。
そんな時、日頃はさほど意識していなかった「同胞を愛する」という感覚を実感し、我な
がら驚くのです。
やはり、故郷を遠くで想うのと一緒で、愛の神髄は遠くから想うことにもあるのでしょう。

「逢わずに愛して」の歌詞は「♪涙枯れても 夢よ枯れるな・・」で始まり、3番の「何
が何があっても すがりすがり生き抜く ああ死にはしないわ 逢わずに愛して いつい
つまでも」で終わります。
藤圭子の場合は、どうだったのだろうか・・・。
「愛して」とは、相手に「愛してください」と願っているのか、それとも自分が「愛して
いく」と念じているのか。
私は後者だと解釈しています。
「愛される」より「愛する」ほうが自由で夢があるから。
それは、私の性格から生じたことと、過去の経験からそう思うのです。

たった一度の人生。
10代の頃に始まった「恋に恋する」性情は、古稀を前にした現在でも変わらないようです。

それでは良い週末を。