新 年 の つ ぶ や き |
2017年、平成29年がスタートしました。 皆さん、この正月3が日はいかがお過ごしでしたでしょうか。 私は、元日は子供や孫たちが我が家を訪れ、朝から昼過ぎまでおせち料理と酒で歓談を楽 しみ、2日は私は多摩プラーザの兄宅に年賀に。3日は配偶者と、乃木神社へ初詣。 穏やかな日和に恵まれた、のどかな3が日でした。 地方によっては、好天どころか豪雪や突風などの「荒天」のところもありましたが、まず は目出度いお正月を迎えられたことと思います。 正月を迎えると、「新年の誓い」「今年の目標・計画」を立てる方も少なくありません。 人間は常に目的と希望をもって生きてこそ、「生きる喜びと価値」があるというもの。 私は毎年、3が日のうちに「今年の目標」をたて、それを能率手帳(現在はNOLTY)に書き 留めています。 まず主目標(1〜2行の理念)をたて、その達成のための目標を幾つか計画するのです。 もう何十年もの正月の習慣。 他人から見たら、何だと冷笑される目標ばかり。 今年の主目標は、理念に数値目標(大袈裟!)を加えているのがみそ。 それは「ありがたい、とことあるごとに呟くこと。1日に最低10回以上」という代物。 その心因(精神的・心理的原因)は、今年、古稀(満70歳)を迎えるからです。 人間、70年間生きてくると、心身の機能は相対的に経年劣化し、感受性も鈍くなってい ること必定。良きにつけ悪しきにつけ、喜怒哀楽の感情も薄めになっていることでしょう。 すると、今までだったらチョットしたことに感動したり、喜んだりできたことが、「別に どうということはない」としらッとし、反対に、不平・不満は旺盛になり、事あるごとに 文句を言ったり批判をしたり、挙句に怒ったりの高齢者特有の悪臭を周囲に垂れ流すこと に。 勿論、自らが折角の「いいこと」をみすみす見逃している愚行に陥るのです。 これでは何のための古稀以降の「生」なのか、空しくなってきます。 そこで、気持を意識的にプラス思考に変え、物事の味わいに感服できる心理状況を保ちた いと思って決めたのが、先のスローガン。 「ああ、今日も元気に起きられた。ありがたい」 「この喫茶店の珈琲は格別だ。こうしてゆっくり美味い珈琲を飲めるなんて、ありがたい ことだ」 「小便が順調に排泄される。これが出なくなってしまったら大変だ。そう考えると大も小 も機能不全に陥ることなく、今日も活動してくれている。ありがたい」 こんな風に何でもありで、ふっと思った時に心の中で呟いてみよう、ということなのです。 乃木神社でのおみくじは、「大吉」。 「神様の御恵(みめぐみ)により、財産もできて 立身出世することは 春の日が松の緑 に色を添えて 輝くようにすがすがしい心地にて よい人の引き立てにあずかりますが心 を正しくしないと災いにあいます」とのこと。 前段は不適格ですが、最後の戒めが新年の透白状態の心に染み入りました。 70歳になるいま、贅沢と怠慢と傲慢が私の心に苔のようにこびり付いてきたようないま。 少なくとも50年前の頃のような、純真な初心に戻りたい!それが主目標のスローガンに。 とういことを思考できる余裕が残されていること自身、まずは「ありがたい」と呟かなく てはならないと思った、正月3が日でした。 それでは良い週末を、良い1年を。 (追記) 法人(一般社団法人東井悠友林)のHPから、今日更新しました「会員エッセイ」も、 同時にご覧いただければ幸いです。 |