東井朝仁 随想録
「良い週末を」

 チョコを食べながら

バレンタインデーの14日(火)のこと。
広辞苑には「この日に愛する人に(特に女性から男性に)贈り物をする。
日本では1958年頃より流行」とあります。素っ気ない説明に思えるが、贈り物はチョ
コレートが定番となっている風潮からして、本来は気持ちのこもった贈り物なら何でも良
かったのだ、ということをわからしめる意味で、簡潔でOKでしょう。

私は以前から「義理チョコ?そんな面倒なものはいりません(ホワイトデーのお返しに悩
んでいる御仁を見ると、笑止)。意味深な女性からの贈り物?そんな厄介なものはいりま
せん(本当に愛する人への告白なら、日にちを変えなさい)」という主義でしたので、な
にがどうであろうと、私にとってはバレンタインデーは無用の長物。
まあ、クリスマスと同様、国民的な祭りになりつつあるのですから、目くじらを立てる必
要はありません。
この先、贈り物がチョコレートから、1枚10g以上の純金貨を手渡すのがスタンダード
にでもなれば、「義理」は淘汰され、本気度の高い人のみのプレゼントだけが残って、興
味も増しますが。
と、ここまで読まれて「義理チョコさえもこないから、むくれて、そんな突き放した見方
をしている」と苦笑された方も、おられるかも知れません。
図星。この日は義理チョコひとつとして無し。

まあ、そんなことをぐたぐた述べるのが今回の趣旨ではありません。
書き出しの方向を誤ったので、舵を切り直します。
この日は、インフルエンザB型に罹り、二日前に治ったばかりの配偶者を慮(おもんばか)
り、事務所から早々に帰路についたのです。そして駒澤大学駅前のあたりで俄かに甘い物
が食べたくなり、飛び込んだのが近くの自家製のパン屋。
時間は午後3時前。
この店の2階が「イート・イン(持ち帰らず、店内で飲食すること)」が出来る喫茶ルー
ムになっているからです。
私は時々、無性に甘い物が欲しくなるのですが、その場合に食指が動くのは、生クリーム
がべったり乗ったケーキ等のスイート(sweet)ではなく、あんみつ、お汁粉、豆大福な
どの和菓子系。
喫茶店や軽食堂、和菓子店でそれらを頼むのですが、叶う店が見当たらない場合は、前述
のごとく「イート・イン」のパン屋かコンビニへ。
そしてアンパンかアンマンを食べるのです。
そう、私のスイートは「小豆餡」がベースになっているものが主流。

この日のパン屋では、小倉アンパンを二つ買い、ホット珈琲を注文。
珈琲と共に食する小倉餡の味も、格別。
ねっとりとした粒餡の甘さが口いっぱいに広がり、それが食道を伝って胃袋に納まってい
く間、私の脳幹から足先まで走る神経系列は、その甘美さに心地よく刺激され、陽炎のよ
うな幸福感が身体全体を包むのです(少し大袈裟ですが)。

2階の比較的に広い喫茶ルームは、椅子席、ソフア席が約20ほど。
客は私のほかに二人。
私が食べ終わるころ、身体の大きな大学生が二人、入ってきました。
それぞれのトレイには菓子パンが山盛り。それも砂糖やチョコクリームがたっぷり塗りつ
けられたドーナツが幾つも。
丸刈りとスポーツ刈りの二人の顔は、浅黒く日焼けし、目鼻立ちがしっかりした表情は精
悍そのもの。
躯体は筋肉で固められ、全身から醸し出す雰囲気は、まるで「海猿」(海上保安庁保安官)
か陸上自衛隊特殊工作員。
彼らは体育系の部活の帰りなのでしょう。
甘さ100%に見えるドーナツを、無心に口に運んでいます。
そして時々「ガードが・・ゴール前3人の時・・」とか「あの練習、納得できるか?」
「阿保みたいやな・・」と、ぼそぼそ喋る会話が断片的に聞こえてきます。
私は、初めは「野球部かな」と思ったが、「ガードとかゴールというのが変。バスケとか
アメフトでは、あんな日焼けはしないだろう。するとサッカーかラグビー?
いずれにしろ、よく食べるな。それも甘い物ばかり。その気持ちは良くわかる・・・」と、
少しばかり自分もあの頃に戻った気分で、彼らの横顔を眺めていたのです。

スポーツで精根尽きるまで練習した経験のある人、その日の練習で2キロぐらい痩せ、夕
食でその分を取り戻していた経験をしたことのある人は、きっとわかるでしょう。
練習後は、無性やたらに水分と甘い物が欲しくなるということを。
私も20代はバレーボール部の主将として、30代から40代は野球部の監督兼選手とし
て、色々と練習を組み立て、皆と一緒に激しく汗を流してきた経験があります。
喉がひりつき、身体中が火照り、セメント袋を背負ったように重い身体。
そんな練習後は、特に甘い物に餓鬼のように飛びついたものです。
例えば、喫茶店に入ったとしたら、コーラを飲み終えた後の大口のコップに冷水を入れ、
さらにそこに砂糖壺の中の砂糖(グラニュ糖)の殆どを流し込み、これをよくかき混ぜて
一気に飲み干していました。
これが、泣きたいほどの、たまらない美味さ。
高校時代は、ラグビーか柔道(この2種目しか体育の授業ではやらなかった)を終え、校
舎に戻って次の授業を迎えるまでのわずかな時間、友人と近くの駄菓子屋に飛んでいき、
そこで三ツ矢サイダーをラッパ飲みしながら、アンパンをパクついたりしていたのです。

話は14日に戻り。
私はパン屋を出て、途中、バレンタインデーの様々なチョコレート商品が店先に飾られた
コンビニで、1枚のチョコレートを買いました。
この日だからこそなのか、私もチョコが食べたくなったのです。
それは私の大好きな「明治ミルクチョコレート」。
1枚(15粒)が税込みで119円(スーパーだと105円!)。
デパートや洋菓子店で販売されている一粒300円から500円ほどのショコラとは大違
いの値段。
でも、私はこの日本を代表すると言っていいほどの、庶民に愛されてきた元祖・板チョコ
が、昔から好きなのです。
一粒(片)づつ口に含み、ゆっくりと口の中でとろけていく時の、ピュアでほのかなチョコ
の芳香と薄い甘み。まさにチョコの王道(と私は思っています)。

私は板チョコを口に含みながら、日差しの薄い歩道を2つのことを考えながら辿っていき
ました。
1つはあの部活帰りの若者二人のこと。
「誰かに愛のチョコレートを貰ったのかな。あの様子だとそれはないかな。でも練習の後
はチョコレートを口に含むより、甘い甘い食べ物を腹に入れたほうが美味いよな」
もう1つは、私が小学6年生の秋の遠足の時のこと。
それぞれの友達と草むらに座って食べている時のこと。

私のリュックサックの中の食べ物は、昼食の稲荷ずしの弁当と、おやつのリンゴ1個と森
永ミルクキャラメル1箱。
バナナもチョコレートも缶詰もなし。
他の仲間たちは色々な物を取り出しては、旨そうに食べながらはしゃいでいます。
そうした時、私の家の近くに住むAさんが、私のところに近寄ってきて「東井君、チョコ
レート半分あげる」と言って、差し出されたのが明治の板チョコ。
私は、ちょっと照れながら「ありがとう」と言って遠慮なく受け取り、1片づつ大事に割
って銀紙に包み直し、それを半ズボンのポケットに入れて照れくささを隠すように、皆が
ボール遊びをし始めている広場へと駆け出して行ったのです。
Aさんはクラスでは目立たない、勉強もスポーツも中ぐらいの、おとなしい可愛い顔をし
た女の子でした。
それから10年後。
朝の通勤時に、バス停で10年ぶりにめぐり会ったAさんは、女優の酒井和歌子のような
風貌に。
有楽町にあった某都市銀行のOLでした。
当時流行っていた、ミニのワンピースが良く似合う彼女とは、何度かバス停で会っている
うち、土曜日の午後、日比谷でデート。
映画を観て、夕食をし、喫茶店で駄弁り、そして夜の日比谷公園を散策。
人影の少ない野外音楽堂に差し掛かった時、私は彼女の肩にそっと手を置き、顔を寄せ、
黒い瞳を見つめながらかすれる声で「いい?・・」と。
彼女は頬を染め、一瞬下を向き、それから私の目をじっと見つめ直し、一言「結婚してく
れる?」と。
当時22歳の私は、「結婚」という問題を全く考えたことはありませんでした。
返す言葉もなく、呆然と後ろを振り返りながら「誰かが来るから、行こうか・・」と、か
細い声を出し、軽く触れていた彼女の肩の手を、さりげなくはずして歩き始めたのです。

あれから50年弱の歳月が。
そして今、あの頃のそんなことを考えながら、食べた板チョコ。
控えめな甘さの中に、ほんのりした苦味が。
それは、私の忘れていた想い出の味。
この想い出を、この板チョコの銀紙にそっと包んで、私の心の花小箱に納めるのです。
それが私のバレンタインデーでした。

それでは良い週末を。