東井朝仁 随想録
「良い週末を」

 春が来た、春が来た・・

今日(1日)から弥生3月。
明後日の3日は、ひな祭り。
20日は春分の日、お彼岸の中日。
「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざがありますが、寒さも先が見えてきました。
先ほどは芝公園を散策し、ついでに近くに聳える東京タワーの偉容を撮影してきました。
周囲の緑を渡る微風は心地よく、ついオーバーコートを脱いで、口笛を吹きながら歩いて
いました。

先ほどというのは、午後4時前。
実は正午から午後3時まで、芝公園内に建つ「ザ・プリンス・パークタワー」のパーテイ
ルームで、「ヴォイス・トレーニング」のおさらい会としての「カラオケ」を楽しんでき
たのです。
なぜカラオケなのか。
そもそもこのヴォイス・トレーニングとは、誰でもが有している楽器(発声装置)=「声帯」
を鍛えるためのレッスン講座。週1回の開催で通年。
教材は年配の方々に馴染みの「昭和歌謡」。
様々な歌謡曲を歌いながら、正しい発声を身につけ、歌唱力のアップをも図っていくこと
が目的。
勿論、歌唱の前に30分ほど、厳しい発声練習が繰り返し行われます。
そして、今年度の講座も終わりに近づいてきた今日、ホテルのカラオケルームを借り切り、
ランチを取りながら各人がそれぞれの持ち歌を数曲歌い、一言、講師の先生から感想を貰
う、まさに「おさらい会」が行われたのです。
カラオケは最も気軽で便利な発表手段。
講師は芸大声楽科出身の、80代半ばの温厚で声量のある男子先生。ヴォイス・トレーニ
ングの世界では、多くのプロ歌手にも指導をしている著名なかた。

この日出席した受講生は8名。男4名女4名。
私以外の男性は、皆さん70代後半(と推察)。女性は私とほぼ同じ年齢の方々でしょう。
案の定、男性は「銀座の花売り娘」「雨に咲く花」「長崎の鐘」といった、昭和30年代
(?)頃の歌謡曲を歌う方が多く、女性は「ブルーライト・ヨコハマ」「津軽海峡冬景色」
「忘れな草をあなたに」などと、昭和40年代以降の歌が多かったような気がします。

皆さんそれぞれに、歌に対して深い思いが籠っていることが、歌う表情を見ていて感じら
れます。
もう、その歳になって(失礼!)「上手いところをみせなくては」などと格好をつけ、技巧
に走って歌っておられる方は皆無。
自分が歌いたい歌、想い出のある歌を淡々と熱く歌っているのです。
わざわざカルチャーセンターの受講生になって歌を歌っているのは、「今から上手くなり
たい」からではなく、加齢によって機能低下する声帯の維持向上に努めたいとか、声を張
り上げることが身体に良いとか、譜面を追うことがボケ防止に良いとかが、動機づけにな
っているのかも知れません。
いやいや、一番の動機はやはり「歌を歌うことが楽しいから」でしょう。

私の場合は、近年つとに発声音が衰え、声がかすれることが多くなってきたため。
配偶者にも「えっ?何言ったかわからない」と聞き直しされる場面がしばしばで、内心
「声量が落ちたな。声帯が衰退しているな」と懸念していたので、声帯のリハビリが受講
する動機に。
現に、受講後は以前より声の通りが良くなってきたと実感できるのです。
しかし、やはり一番の動機は前述のごとく、「歌うことが好きだから」。
小学生の頃から、好きな学科は「音楽」と「体育」と言って憚らなかった性情は、今でも
変わらないでいるのです。
人前で初めて歌を歌ったのは、小学校1年生の春、入学後ほどなくして行われた授業参観
の日。
終戦後の混乱から社会が立ち直ってきて、高度経済成長の序章に日本があった昭和29年。
その4月の春爛漫の日でした。

我がクラスは、大学の専攻が音楽だった(と推察)担任の女先生がピアノが得意と言うこ
とで、校内で唯一、ピアノが教室内に置かれていました(他はオルガン)。
授業参観の科目は音楽。先生がピアノで前奏を弾いたら、生徒は挙手をしてその歌の題名
を答え、その歌を歌うという授業。
しかし、数曲ほど前奏を繰り返しても誰も挙手せず、教室内は静まり返っているだけ。
前列から3列目の席の私が、そっと後ろを振り返ると、大勢の母親たちに混ざって隅のほ
うに頼りなげに立っている、ただ一人の背広姿の男の姿が目に入りました。
私の父でした。
「(恥ずかしいから)来なくていい」と父母に強く言ってきたのですが、まさか父が参観
にきているとは。
私は急に心臓の鼓動が激しくなった状態で前を向き、身体を固くして先生に視線を向けて
いました。
前奏の歌は、入学後の音楽の授業はおろか、殆どの生徒が通っていた幼稚園で歌ってきた
はずの、誰もが知っている童謡・唱歌ばかりでした(私は幼稚園には行けなかったが、母
親や近所の友達から聞かされていた)。
それなのに、誰も手をあげない。なぜだろう。そんなことを考えていると、女先生が
「あらあら、みんなどうしたのかしら」と困惑の表情を浮かべながら、首を傾げました。
そして動揺を隠すように「それでは、これはどうかしら。恥ずかしがらずに手をあげてく
ださい」
と言って、すがるようにピアノの鍵盤に手を置いて奏でた歌。
私は、心のどこかで、それが自分に課せられた義務のように「手をあげなくてはいけない」
と心の底で叫んでいる声を聞きながら、無意識的に「ハイ!」と手をあげていたのです。
そして「もしもし亀よ・・」と答え、先生に促されて教壇に立ち、先生の伴奏で歌い始め
たのです。
私の頭の中は真っ白。歌詞だけは本能的によどみなく口から流れ、恥ずかしささえも感じ
られない緊張の中、視線を一瞬、父の顔に向けました。
父は優しい笑顔で私を見つめていました。
ただそれだけが、席に戻っても自分が何をしていたか定かにはならない朦朧とした頭の中
に、鮮明に残ったのです。
親が出席した授業参観は、小学校から中学校までの全学年を通し、この日が最初で最後で
した。

この人生初めての、多数の面前で歌うという経験は、その後、私の「歌うこと」に対する
微かながら揺るぎない自信となって私を動かし、今日に至っているのです。
「あの時の衝動的な行為は、一体何が動機となっていたのだろうか」と、ふっと考えるこ
とがあります。
でも答えは容易でした。
それは「父に、いいところを見せなくては」という、子供としての無私の心。
今では無理でしょう。

歌はいいものですね。
歌は悲しみの涙に濡れた人の心に、立ち上がる希望を、孤独に沈む人の心に、あたたかな
勇気を与えてくれます。
だから今日も、春の浅い陽が射す舗道を「春が来た・・春が来た・・」ど誰に聴かせるで
もなく歌いながら、 ゆっくりと歩いていくのです。

それでは良い週末を。