一 杯 の 酒 |
最近は、とんと、夜のネオン街に繰り出すことは、なくなりました。 友人知人と久闊(きゅうかつ)を叙する場合でも、従来なら「午後7時にどこそこで」と 伝え、紅い灯青い灯が点る繁華街に勇躍繰り出したものだが、今は例えば「午後4時に乃 木坂の長寿庵で」というパターンがもっぱら。 なぜならば、勤務時間が管理された勤労者と異なり、こちらは飲酒を楽しもうとしたら、 昼下がりからでもOKの身分。わざわざ遅い時間に待ち合わせ、勤め帰りの人がひしめい ている店に足を運ぶほどの「初心(うぶ)な気持」は、最早持ち合わせてはいないからで す。 だから、「ちょっと飲むか」と思った時は、誘う相手は自分の時間を自由に使える人が対 象。 店は、午前11時から夜の閉店まで「通し営業」している街中の蕎麦屋とか、 あるいはホテルやデパート内にある飲食店。 客足が途絶えた午後3時以降から、勤め帰りの客が入店してくる6時頃までの時間を見計 らって予約。静かで時間が弛緩したような店内で、ゆっくりとマイペースで飲み語れるの が、うれしい。 相手が役人やサラリーマンの場合は、「1〜2時間早めに退庁(退社)出来ない? 普段から仕事をしっかりやって信頼を得ているだろうから、何も気兼ねせずに出てこれる だろう?」と促し、終業時間より早い退出を承諾させるのです。 店では。 例えば、菜の花の辛し和え、塩ラッキョウ、卵焼き、焼き鳥、山菜の天ぷら、鰺のたたき、 湯豆腐などを肴に、まず五臓六腑に染み入る冷えた「一番搾り」のビールをコップで一、 二杯。それから「本格醸造・八海山」の熱燗か「久保田千寿」の冷酒を1合、小さな酒杯 でゆっくりと酌み交わしていく。 身も心もなごむひととき。 これはTPO(時間、場所、目的)が適切だったゆえ。 それに好ましい飲み仲間が配置されれば、酒席はすべてがグッド・タイミングに。 だから杯を空けるごとに笑みがこぼれ、幸せな時間と空間が生まれる。 私はそう思っているのです。 店内がようやく夜の賑わいを呈し始める頃、ほろ酔い気分で親爺さんか女将さんに「美味 かったよ。ありがとう」と、一言挨拶して店を出る。 金払いはきれいにさっぱりと。「高いな、もう少しまけてよ」等といった洒落にもならな い言葉は出さず、「領収書を書いて」などと、サラリーマンが喫茶店で500円の珈琲代 にも領収書を書かしているような、そんな恥ずかしいことも言わず。 そして二次会は無し。 「それではここで。じゃあまた!」と別れの言葉を交わす視線の先には、茜色の西空が。 「まだこんな時間なのだ!」 理由(わけ)もなく得をした気分になって、帰路の足取りは軽やか。 帰宅したら風呂につかり、それから話題の映画をDVDで鑑賞する。 そう思うだけで、また心はワクワク。 この様なちょい飲みパターン。それが現在の私の趣向なのです。 50代までは、1次会で終わることは考えられず、2次会、3次会と梯子酒をするのが常 道でした。 1次会で高揚した気分を御しがたく、千早ぶる心でタクシーを飛ばし、2次会となるスナ ックやパブや料理屋に駆け付ける。そしてまたまた談論風発、高歌放吟、乾杯の連呼。 いささかくたびれてきたら、河岸を替えに3次会へ。 そうした流れが、私の飲酒のルーチンだったのです。 なぜ3次会まで行くのか(時には4次会までの朝帰り)? 酒が美味いのは1次会までか、せめて2次会の始めまで。 梯子酒の魅力は、あくまでも「人」。 特に酒席では、様々な人が酒の酔いからパトス(感情)が横溢し、言動や歌や所作から、日 頃気づかないその人の性格の一端に触れることが出来、とても感興をもよおすのです。 話が弾み(注・魅力のない人は、酒が入っても話が乗らない)、興趣もいやまし、「もう 1軒行って、飲み語ろう」とあいなる次第。 そんなことを20代から50代までは頻繁に行っていたのです。 週に最低2日は酒場に繰り出していたので、少なくとも4000日(2×52週/年× 40年(20歳〜60歳)=4160日)4000回のそれぞれの想いが残されてきたこと になります。 その中の1例。 私の日記の1頁から引用。 時は昭和44年(1969年)12月6日付。 私が22歳2か月の頃。 「昨夜(5日)はボーナスを貰って、KさんとSさん(注・私より1〜3歳年上の職場の 女性)を連れ、新宿のパブ・エリートに飲みに行った。3人とも結構カクテルを空け、他 愛もない話に花を咲かせた。 ほどよく酔ったあと、ちょっと洒落た料理屋に入り、定食を食べビールを飲んで出たら、 すっかり心身から酔いが逃げ去ってしまった。それでまたまたババ(注・高田馬場)まで 行き、黒馬(注・小料理屋)に入り、ママさんと4人で湯豆腐をつつきながら日本酒を飲 み、雑談を交わした。もう12時近かった。彼女らにとって、こんな出来事は初めてに違 いなかったが、きっと楽しかったに違いない。二人ともよく喋りよく笑っていた。 俺は、Sさんが「魅力あると思うな、東井さんみたく何かトッツキにくい人は。それだけ 魅かれるナ」とふっと言ったことと、ママさんが俺を指して「この人は、なかなか男とし ての魅力を感じるわよ。店にたくさんお客さんが来るので、一目見たら大体想像がつくの。 きちっとして、何となく素朴な感じがして、イイ感じの男よ」と、お世辞とは思えない話 し方で言ってくれたことは、俺が自分自身の一端を再確認する意味でも、嬉しかった」 今から読み返しても、「職場の同僚の女性を3次会まで連れまわして、遅くまで飲み語ら っていたとは・・」と、我ながらそのタフさに感心するとともに、一種名状しがたい虚し さを感じざるを得ません。 しかし、これも青春時代のカタルシス、酒の酔いにまかせた未熟な青年の心の発露ととら えれば、良き想い出としてあの時の酒の馥郁たる香りも想い出されてくるのです。 今は、前述したように、酒席は早い時間の1次会のみ、酒は1杯(正1合)程度が基本。 若い頃は金が無くて、友達と古い居酒屋でコップ1杯の日本酒を、こぼさぬようにチビリ チビリと大事に飲んでいたことが多々ありました。 今は、小カネも時間も持ち合わせていながら、気力・体力が薄くなってきて、何杯もの酒 には食指が動きません。 あの頃、夢と希望と劣等感と孤独感が渦巻く心を持て余し、それでも全てが不確かな不安 感に包まれた身体をゆすりながら、少しでも未来へ歩んでいける勇気が欲しくて、そっと 口に運んでいた1杯の酒。 あの酒は美味かった。心に染み入ったものでした。 そんなことを想い起しながら、今宵も1杯の酒に70歳からの希望を託し、しみじみと杯 を空けるのです。 それでは良い週末を。 |