白 雲 流 れ て |
昨日(23日)、「第99回全国高校野球選手権大会」(いわゆる夏の甲子園)の決勝で、 埼玉県代表の花咲徳栄(トクハル)高校が、広島県代表の広陵高校を14対4の大差で破 り、見事初優勝を果たした。 この優勝の原動力は、本大会屈指の強打者であり、大会新記録の6本塁打を打った広陵の 中村捕手をして「(花咲の強力打線に)上をいかれた」と語らしめたように、その打撃陣 の「破壊力」にあった。 大会主催者である朝日新聞の論評にもあるが、今大会は「打高投低」が顕著だった。 今大会でのホームラン数は68本と過去最高を記録。これは過去4大会の平均が30本台 だったのと比較し、倍に当たる。それほど打撃力に勝るチームが多かった大会だった。 しかし、敗れた広陵も安打数は13本と二桁で、花咲の16本と比べても、大差はない。 それでも14対4と10点の得点差がついたのは、守備力(守りの堅さ)とピンチにおけ るバッテリー(投手と捕手)の技術力で、花咲のほうが上回っていたからだろう。 テレビで観戦していて、私はそう確信した次第。 我が母校・天理高校は、準決勝で広陵に9対12と打ち負け、決勝進出はかなわなかった。 私は、初戦から毎試合テレビ観戦していたが、正直のところ「せいぜい、ベスト16がい いところだろう」と推察していた。 なぜなら、投手力が「並みの上」と踏んでいたから。 それでも打撃陣が好調で、ベスト4まで行けたことは嬉しかった。 欲を言えば、投手力がもうほんの少しだけ強ければ、広陵に勝っていただろう、と惜しま れるが。 今大会は打高投低のチームが多かったが、それだけ秀でた投手が少なかったとも言えた。 失礼ながら、花咲にも広陵にもいなかった気がする。 と言うことは、絶対的なエースが全て投げ抜くチームではなく、二人、三人の投手で継投 を図り、連戦をものにできるチーム作りをするところが増えたためではないか、と思う。 高校野球の世界も、時代が変わってきたのだろう。 かくして夏の甲子園は終了した。 だが、その前の20日(日)にも、「もう一つの甲子園」(この愛称は、かって側面から 支援していたタレントの萩本欣一さんの命名)が、ひそやかに終わっていた。 大会の正式名称は「第64回全国高等学校定時制通信制軟式野球大会」。 全国にある夜学高校の、それも軟式野球部の甲子園大会。 昼働きながら夜学に通い、授業後に部活として短い時間を利用して野球の練習に励み、各 都道府県・ブロックの予選を勝ち抜いて出場したチーム、25代表による大会。 しかし、全国からの脚光を浴びる甲子園の大会とは、雲泥の差。 昼働いている選手の多くが、有給休暇(夏季休暇)をとって出場している都合上、大会期 間も会場も制約され、一日に2試合行うケースもある。それでいて球場の観客は閑古鳥が 鳴く少なさ。 こうした現状を目のあたりにした欽ちゃんが、「もう一つの甲子園(大会)を応援しよう!」となった次第。 会場は甲子園ではなく、神宮球場、駒沢硬式野球場、太田スタジアム、府中市民球場を会 場として、今年は8月16日から20日までの期間に行われた。 我が母校・天理高校の夜間部チームも、近畿ブロック代表として出場し、20日の決勝戦 で都立八王子拓真高校を6対5で下し、11年連続・14回目の全国優勝を果たした。 その結果は、21日の朝日新聞のスポーツ欄に「天理11年連続V」という見出しで、小 さく掲載されていた。 今年は球場まで応援に行けなかったが、去年まではたびたび神宮球場に行き、がらんとし た1塁側内野席の上段に座り、「しっかり守っていけ!」「ナイスプレイ、いいぞ天理!」 などと大声で叫んでいた。 その声は観客がまばらで、しんとした球場全体に響き渡り、「ショート、よく守ったぞ!」 との声援に、ダッグアウトに戻る遊撃手は、帽子をとってお礼を返す律儀ぶり。 地元の天理に住む私の親友は、昨年「2部(定時制)のチームの投手は、一部(昼間部) の硬式チームの連中も打てないと嘆いていたぞ」とのこと。仕事と勉学と部活で疲れてい るだろうに、チームの誰もが鍛え抜かれてしなやかな身体をしており、明るい笑顔を絶や さずに、「監督さんは、ここまでよくチームを育て上げたものだ」 と毎年感心していた。 今年の優勝は、ある種、甲子園のベスト4より感動した。 そして、今日(24日)から、「第62回全国軟式野球選手権大会」が、兵庫県のトーカ ロ球場とウインク球場で行われる。昨年、母校・天理高校が初優勝した。 今年も硬式チーム以上の成績を残してほしい、と願っている。 私の今までの人生で「悔いが残ることが3つ」ある。 その一つは、天理高校に入学して野球部に入部せず、ラグビー部に騙されたように入部し、 挫折したこと。 小学校のころから草野球が大好きだった。 中学生のころ野球部で活躍していた近畿在住の者が、大挙野球部に入った。私は野球部未 経験だったが、高校1年から必死に練習すれば、いい線を行っていた自信があった。 走力と、遠投・速球に自信があるのは当然として、野球が大好きだったからだ。 専用野球場で、私の同学年だった主戦投手のT君(甲子園に出場。長野の丸子実業に2対 1で敗退。のちにプロ野球で活躍)がピッチングの練習をしているのを友人とネット越し に見ていた。すると友人が「ボールは東井のほうが早いな」とぽつりと言った。 私も内心で頷いた。 しかし、投手は球が速いだけでは駄目。 3年間で身体を徹底的に鍛え、投手力を上げ、例えレギュラーになれなくとも投手の一翼 を担い、「俺の高校生活に悔いはなかった」 との満足感を抱ける部活をしたかった。そして、その先の日々において、草野球のリーダ ーとして職場のチームをけん引していきたかった。 そんな思いが70を迎える今年の夏に、青空を流れる白雲のようにむくむくと生じてくる のです。 久々の晴天の空に白雲が流れ、様々な思いを残して今年の夏も静かに去っていくのです。 それでは良い週末を。 |