東井朝仁 随想録
「良い週末を」

サ ル ビ ア の 花

猫の額ほどの狭い我が家の庭に、赤いサルビアの花が群生しています。
この夏の終わりから秋にかけては、サルビアの赤く燃え立つような花が一段と鮮やかに映
ります。
サルビアは寒さに弱いため、日本では「1年草」として扱われていますが、我が家のは
「多年草」。
それも通常、サルビアの花は7月頃から10月頃までが時期なのに、我が家のは毎年6月
頃から真冬の2月初め頃まで咲いています。
今も何の変哲もない狭い庭一杯に、サルビアの花だけが次から次へと咲き続けているので
す。
剪定も肥料も水撒きも何もせず、ほったらかしているだけなのに、厳寒の2月にすべてが
枯れ果てるまで、黙々とけなげに咲き続ける姿には、ある種の感動を覚えます。
しかし、地表から姿を消すのは3か月ほど。5月頃からまたまた新しい双葉が地表のあち
こちに顔を出し、成長を始めるのです。
厳しい寒さの中、地面の下に根を残して耐え忍び、春が来ると「ご主人、今年もよろしく」
とばかりに元気に芽を出し葉を出し、そして真夏の灼熱の太陽にも負けずに咲き誇る秘め
たるパワーは、驚嘆に値するでしょう。

様々な美しい花があります。しかし私にとっては、この平凡で派手さのないサルビアの花
が好き。
そしてさらに「思い入れ」がある花だから、可愛さもひとしおかも知れません。

思い入れ。
それは昭和47年に流行った「サルビアの花」という曲名のフオークソングとダブるから
です。
この歌は、青山学院大学等の女子学生3人のグループが歌って、ヒットしました。
純真で切ない失恋の歌なのですが、今でも「you tube」などでよく聴かれているようです。
この歌が流行した2年後の昭和49年8月。
私は、荻窪の喫茶店で珈琲を一人で飲みながら、付き合っていたA(今の配偶者)のこと
を考えていました。
「付き合って2年。そろそろ何とかしなくては。だが向こうの親が、結婚に反対している。
俺の貯金はゼロ。式場は来年の秋までどこも満杯(注・団塊の世代の結婚ブームの渦中)。
どうするか」色々と呻吟していると、突然店内のBGMの曲名が変わり、流れてきたのが
サルビアの花。
「♪いつもいつも思っていた、サルビアの花を、あなたの部屋の中に投げ入れたくて・・・」
その時、何の脈絡もなく身体中に戦慄が走り、「やるんだ!」という激しい決意が心を突
き上げたのです。

それから。
8月下旬のある日。Aと夕食のビールを飲みながら、さりげなく「10月1日は俺の誕生
日だから、中旬頃に、祝う会でもやるか・・」前にも後にもプロポーズの言葉もなく、自
分に言い聞かせるように呟くと、日頃から口数が少ないAは、コクリと。
私はこれが決まりのように「形式的な結婚式はしない。披露宴となる祝う会だけ。友達に
頼んで実行委員会方式で会費制で行う。
仲人はたてない。親類で呼ぶのは親・兄弟のみ。あとは友人・知人・先生のみ。土曜日の
会場はどこも一杯。ましてや1か月半後。
だから、仏滅に行う。
新郎新婦入場には、俺の好きなジャズの「世界は日の出を待っている」をかけて、二人だ
けで入場。
ケーキ入刀はせず、酒樽を置いて樽割りにし、皆に樽酒を振る舞う。新郎新婦のお色直し
は一切無し。
俺は普通の背広、君はお母さんが作ってくれた着物があったな。ご両親に案内を出すが、
来なかったら仕方がない。やるだけだ」

そして当日。
実行委員会の友人たちが、私の要望をさらりと聞き入れてくれ、会場の正面には「もう一
度だけの青春を!」とデザインがきいた紙が貼られ、側面には「鳥が舞い上がる図に、羽
ばたけ未来へ!」の装飾が。
午後1時から始まった祝う会には、百数十名の仲間が参加。配偶者の父母も最前列に座っ
ていました。
スピーチや歌や寸劇などが延々と続き、予定の時間を超過。
会場の責任者に尋ねると「今日は仏滅で、お式をされているところは皆様方のところだけ
ですから、何時まででも結構です」
とのことで、さらに飲んで食べて語って歌っての時間が流れたのです。
さらに閉会後、数十名の有志で新宿へ2次会、3次会。
午後9時過ぎ、仲間に胴上げされ、タクシーでホテルオークラへ。
新婚旅行は何も考えていませんでしたが、翌日、関西方面に行こうということで、翌朝、
兄に着替えの普段着を持ってきてもらい、買い物に行くような雰囲気で新幹線に乗り込ん
だのでした。

今年もサルビアの花が、誰が見ようが見まいが関係なく、けなげに咲き誇っています。
たった一つの小さな鉢植えの花から、これだけ群生するまでに何年咲いてきたことだろう。
「そんな生き方もいいよな。俺もあと20日弱で70年だ」と思いながら、今日もサルビ
アの花をさりげなく眺めて、家を出ていくのです。

生活の中に花がある人生は、意外と素敵なことなのかもしれません。

それでは良い週末を。