東井朝仁 随想録
「良い週末を」

秋 深 し 頃 に

先週の金曜日の夕方から、「第21回悠友林の集い」を開催しました。
ご承知の方も多いでしょうが、これは「一般社団法人・東井悠友林」の会員が集い、健康
に関する講話や懇親会を行っているものです。
この集いを開始して、早や5年。様々な方にご講演をしていただき、酒と料理で和気あい
あいとした懇談会を重ねてきました。
今回の講話は、私がつとめました。
なぜ私がというと、今春以降、一度も健康講話を開いていないことに9月になって気づい
たからです。会の創立5周年の節目の年に、これはまずいと。
10月にでも開催しようと理事たちと相談して決断。
しかし、これから講師を依頼するには時間が切迫し、依頼する講師に失礼。
それでは、急場しのぎになるが私が何かしよう、と相成った次第。

今までの講話は、それぞれ高久史麿・顧問をはじめ様々な方に医療や福祉などの専門分野
の貴重で面白い講
話をしていただきました。今回は健康の概念を広め、健康の根本にある生や死について話
してみようと考え、演題は「運命のささやき」としました。
講話の時間は1時間ですが、実質50分ほど。
だから悠長に話している時間は余りないので、話の要点を絞りました。
講話の概要は、「今までの我が70年の人生で遭遇した「死の恐怖」と、人生の大きな転
換点となった「出来事」を紹介し、その時に神の啓示のように聞こえた自然のささやきに
ついて、思うところを述べてみた」のです。

私は3度死にそうになりました。
一度目は逆子(さかご)の仮死状態で出産されたこと(産婆さんに逆さにつられた尻を叩
かれ蘇生)。
二度目は13歳の春に交通事故にあい、九死(999死)に一生を得たこと(新聞配達に
向かう大通りで、暴走してきた車に数十メートル跳ね飛ばされ、道路脇に違法駐車してい
た車のボンネットに運よくぶち当たり、転げ落ちて気絶)。
三度目は19歳の夏、北海道のサロマ湖でボートを漕いでいた時、突然の暴風雨に見舞わ
れ、これも九死に一生を得たこと(沖に流され転覆寸前、奇跡的に風雨が止んだ)。

また、運命の転換となった出来事の一つは。
三重県の厚生連本部に勤めていた59歳の時、夜中に鼻出血が止まらなくなり、これも運
よく、私のマンションに一番近くに住んでいた部長が駆けつけてくれ、さらに松阪中央病
院の事務長が高速道路を車を飛ばして駆けつけ、病院に搬送してくれたこと(往復1時間
余)。お二人ともいつもは飲酒しているのに、この日は飲んでいなかったのも幸運。
さらに奇跡的だったのは、当直でもない耳鼻咽喉科医が、その夜に限って遅くまで病院に
いたこと。血圧が60に低下して朦朧となった私を励ましてくれ、困難な止血処置(鼻血
が溢れる鼻孔の出血部分を探り当て、バルーンを挿入し、膨らませて止血。両鼻孔をテー
ピングで閉塞固定)を施してくれました。
翌日、他病院の院長が見舞いに来て「一升瓶の3分の2ほどの出血やな。危ないとこやっ
たな」と。
ちなみに、鼻血の止血は難しくてやりたがらない耳鼻咽喉科医が少なくなく、当病院のこ
の年の春までいた耳鼻咽喉科部長は「鼻血の救急患者が搬送されてきたら、他の病院に回
すこと」と指示していたとのこと。

もう一つの出来事とは、私が38歳の時から42歳の時までの、私共と天理教団との不動
産と私共の教会の後継者に関する係争事件。
巨大教団と個人の紛争は、象とアリとの闘い。
だが九分九厘、押しつぶされ、一家もろとも路頭に迷う事態を覚悟しはじめた時、人と人
とのご縁で私共の味方になって事態の収束を図ってくれる方が二人三人と出て、奇跡的に
4年にわたる係争事件が和解に。
後日、目黒税務署長が「宗教団体と個人間の紛争で、個人がやられなかった事例は今まで
なかった」と述べていたとのこと。

「人間は生まれてから、死に向かって生きている」と言われますが、希望と勇気を失わな
いようにして日々を陽気に生きていきたいもの。
色々な経験を知るたびに、そう思わざるを得ません。
ある日ある時の出来事は、すべて「原因があっての結果」だということ。
そしてそのようになる運命は、何となく「サムシング・グレート(偉大な何か。神、大自
然)」の計らいのような気がしてなりません。
大切なのは、ある日ある時に「運命のささやき」に静かに耳を澄ませ、我とわが身を省み
て、どんなケースにおいても「お陰様で」と言える心を作り上げていくことではないか、
と最近つくづく思うのです。

秋が深まってきた今日この頃、たまには自分の時間に還り、一人静かに白玉の酒を飲みな
がら、心奥から聞こえてくる「運命のささやき」に、耳を澄ませてみてはいかがでしょう
か。

それでは良い週末を。