東井朝仁 随想録
「良い週末を」

里 の 秋

私は良い歌なら古今東西、和洋の差はなく、どんな領域の歌でも好きです。
勿論、童謡・唱歌も。
広辞苑では、童謡は「子供のための歌」、唱歌は「学校教育用に作られた歌」とあります。
童謡は、主に小学校入学前の子供を対象にし、唱歌は「小学校唱歌」とあるように、小
学生以上の学童を対象にしているのでしょう。
私の好きな童謡・唱歌は、数あまたある中で「里の秋」と「みかんの花咲く丘」になるで
しょうか。

先日の「第21回悠友林の集い」では、懇親会の余興として、篠笛で「里の秋」と、お琴
で有名な「春の海」を演奏させていただきました。
「みかんの花咲く丘」も良かったのですが、季節的に「里の秋」が秋の夜の懇親の場には
ふさわしいと考え、選択。
この歌は、敗戦の1945年(昭和20年)12月24日に、NHKラジオ番組「外地引
揚同胞激励の午後」の中で、国の引揚援護局の挨拶のあと、童謡歌手・川田正子の新曲と
して全国に放送されたもの。
そして、翌年に始まった「復員だより」の曲として使われたそうです。「復員だより」は
その後「尋ね人の時間」となり、ラジオから「尋ね人の時間です。昭和19年ルソン島で
第〇師団に所属していた熊本県出身のAさん、姉のBさんが、、、シベリアに抑留されて
いた福島県出身のCさん、兄のDさんが、、」などと、一日に何回か放送されていました。
その放送は、私が小学校に上がる前の昭和28年当時でも行われていた記憶があります。
終戦当時、「外地」と呼ばれていた国外の地域にいた民間人、軍人は約660万人との推
定。
この方々が病気や飢餓と闘いながら、終戦直後の潜水艦による引揚船の撃沈をかいくぐっ
て、耐えがたきを耐えてようやく母国に帰国。それでも早い時期に生きて母国の土を踏め
た者は良いほう。
山崎豊子の大河小説「不毛地帯」の主人公(実話です)・元大本営参謀の壱岐正の場合は、
酷寒の極地シベリアの収容所で、いわれなき11年間の拷問と飢餓と強制労働に耐え抜き、
昭和31年12月にようやく帰還(最も遅い復員)。
多くの者が外地で亡くなっていく中、生きて故国の土を踏めることは、奇跡ともいえた状
況だったのです。
「明日は息子が復員するだろうか、いつになったら帰ってこられるのだろうか、いまどう
しているのだろうか」という肉親の切ない思いが「尋ね人の時間」には、込められていま
した。
私は子供心に、何かこわくて暗い番組の印象が強く、すぐにラジオから離れていました。
そんな時代に童謡としてヒットした「里の秋」。

「里の秋」の作詞は斎藤信夫、作曲は海沼實、歌は川田正子で、1948年(昭和23年)
にレコード発売され、以降、今日まで「日本の歌百選」にも選ばれて愛唱されています。
歌詞は、お背戸(家の裏口)に木の実が落ちる音が聞こえてくるほど静かな、里の秋の夜
について。
母と娘が二人、囲炉裏端で栗の実を煮ています。外は明るい星の夜。雁(かり)が渡って
いく鳴き声も聞こえる静かな夜。
母と娘は栗の実を食べながら、南方の激戦地に行っている父さんの笑顔を思い出します。
そして、歌の3番で。
「♪さよならさよなら 椰子の島 お船に揺られて帰られる
             ああ父さんのご無事でと 今夜も母さんと祈ります」

無謀な激戦を繰り返し、多くの悲惨な戦死者を出した南方の島々。
残酷な戦争が集結し、消息が判明した父の乗った船が椰子の島を離れて日本に向かうらし
い。もうすぐあの父の笑顔に会える。
しかし、日本に着くまではまだわからない。
その期待と不安を抱きながら、ただ二人の母娘が、じっと父の無事を祈っている静かな秋
の夜。
戦争時の困難を乗り越えてきた母娘のひたむきな姿が、静謐で澄み切った里の秋の夜に、
切ないほどに溶け込んで見えるのです。

私の好きな童謡・唱歌のもう一つ「みかんの花咲く丘」
作詞は加藤省吾、作曲は海沼實、そして歌は川田正子。
1947年に発表されてヒット。
モデルの場所は、静岡県伊東市の宇佐美とか。
作曲と歌手が「里の秋」と同じです。
だからなのでしょうか、どこか「里の秋」に似ている、優しい人間愛に満ちた歌です。
「♪みかんの花が咲いている 思い出の道丘の道 はるかに見える青い海 お舟が遠くか
すんでる」
しかし、「里の秋」は、父が戦地から復員してくるのに対し、こちらの3番の歌詞では。
「♪いつかきた丘 母さんと 一緒に眺めたあの島よ 今日も一人で見ていると やさし
い母さん思われる」
いつか母と一緒に来た丘に、今はただ一人。母はもういない。
きっと戦争中か終戦直後に、病気か何かで亡くなってしまったのでしょう。
その寂しさ、悲しさが、わかりやすい風景描写の中から汲み取れるのです。

戦争は二度としてはいけない。
無残な敗戦を迎えた1945年(昭和20年)以降、私たち日本人は、戦争を繰り返さ
ないための英知と勇気と努力を養うために、小さな頃から学校に通い、さらに高等教育
を受け、学び、社会で様々な体験を積んできたといっても、過言ではないでしょう。
それは現憲法に「恒久の平和を念願し」「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免
れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」「日本国民は、国家の名誉に
かけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と定めてあるところ
の趣旨でもあります。

生きる意味合いは金を儲けるためでもよし、偉くなるためでもよし、いい思いをするた
めでもよし。
しかし、人間として生まれてきた以上、根本的な生きる意味合いは「先人の苦労に学び、
歴史の教訓を踏まえ、国内外の人達と一つ一つの問題や困難に敢然と当たり、共に幸せ
に生きる喜びを享受する」ことにあるのではないでしょうか。
紛争や戦争を食い止め、平和な社会を築くことが、人間としての最大のミッションであ
ることを軽視し、米国大統領が来日したら、ゴルフとグルメと貢物で親密な日米軍事同
盟ぶりをアピールし、挙句に米国の大量兵器の購入を内諾し、「北朝鮮には最大限の圧
力をかけていくこと(軍事力行使をちらつかせながら)」を共同宣言して悦に入ってい
る、日本の現政権の浮かれようを見ていると、極めて残念な思いに駆られるのです。

戦争を知らない人たちが、想像力を働かせるわけでもなく、しゃにむに軍事力偏重にの
めり込んでいる現状に、強い不安を感じるとともに、情けない気持ちに陥るのです。

そんな今、「里の秋」や「みかんの花咲く丘」の歌を聴いていると、「奇跡的に長い平
和の時代を享受した我々世代も、やはり先人と同様に、一度は戦争の洗礼を受けなくて
はならない人生なのか」と、思えてくるのです。

それでは良い週末を。