電 車 に 揺 ら れ て |
今週の初めまでは身体がダルく、何をするにも億劫な感じがしていました。 「風邪かな?」と思いましたが、喉の痛みや微熱、鼻水などの兆候は無し。 睡眠も食事もちゃんと取っているし、身体が重い原因に思い当たるフシも無し。 消去法で残る原因を考えたら、「2回の日帰り旅行が堪(こた)えたのかも。それしか原 因はない」との結論に。 日帰り旅行とは、まず、先々週の土曜日に日帰りで奈良の天理市に旅行したこと。 今週のHPの表紙写真をご覧いただくとわかりますが、天理高校2年の時(昭和39年度) のクラス会を、天理市の料理屋で正午から開催。 これに参加するため、朝早くに家を出て、三軒茶屋―渋谷―品川―京都―西大寺―平端と、 田園都市線、山手線、東海道新幹線、近鉄を乗り継ぎし、天理駅に11時過ぎに到着。そこ から徒歩10分で会場に到着。 そして幹事役として、参加者から会費を徴収し、正午ジャストに会を開催。 大いに飲み語り、午後2時半にお開きしたあと恩師を見送りし、ほぼ全員で近くの喫茶店 へ行き、再度昔話に華を咲かせ、夕方、再び復路を辿って夜遅くに帰宅したという次第。 目まぐるしい1日でした。 2回目の日帰り旅行は12日の日曜日。 昨年お亡くなりになった、元佐久総合病院副院長・佐々木真璽先生の「偲ぶ会」に出席の ため、長野県佐久市に。 これも朝に家を出て、三軒茶屋―渋谷―東京―佐久平―臼田と乗り継ぎ、午後12時40 分に臼田駅に迎えに来てくれたY氏の車で、我がセカンド・ハウス到着。 1時間ほど、室内の整理、Y氏の協力で雑木の伐採、庭木の剪定を行った後、午後2時半 に佐久病院の前からマイクロバスに乗車し、中込の佐久グランドホテルへ。 午後3時に、100名近い参列者をもって会が開催。 夏川名誉院長、伊澤院長、来賓の挨拶があり、私もスピーチを依頼されていたので、在り し日の佐々木先生のエピソードを紹介し、偲ぶ言葉を。 それから、さすが「サケ病院」の別称の通り、旨い酒と料理が豊富で、私も大いに飲んで 歓談。 会は5時半にお開きとなり、それからさらに二次会として、近くのスナックへ大挙出陣。 私は二次会は遠慮して帰路を急ごうと思っていたのですが、「顔だけでも」という名誉院 長の甘言に乗り、いそいそと同行。 「あと15分ほどあるな」と、いい気になって飲んでいると、ある人から「何時に帰られ るのか」と聞かれ、予定している中込駅発の電車の時間を言うと、その時刻は間違いであ ることを正してくれたのです。 私は怪訝な気持ちで念のため、スマホで確認すると、なんとその通り。発車時刻はあと 10分ほど。 「間に合わない!」 私は慌てて皆に失礼を詫びて店を飛び出すと、事務長が駅まで車で送ってくださり、間一 髪セーフ。 そして佐久平駅に出て帰路を辿ったのです。 これら二つの旅行は、確かにくたびれました。 でも、この程度の旅程は、今まで数えきれないほど経験してきたことなのです。 だから、「どうということはない」と考えていたのですが、この週初めまで怠かった、考 えが甘かった。 ちょっとショックでした。 やはり身体は正直なもので、年齢相応の反応を示すのでしょう。 気持ちでは「まだまだ」と思っていても、身体は不可逆的に機能が衰退してきているので す。 要するに「年なり」ということ。 そういえば、天理の時も佐久の時も、帰りの新幹線の車中で缶酎ハイを飲んで揺られてい たのですが、これが意外とダメだしとなり、身体にこたえたような気がしています。 この缶酎ハイをやめて、珈琲でも飲みながら余韻を楽しんで電車の揺れに身を任せていれ ば、後悔先に立たず、ということにはならなかったはず。 この年になると、ほんのちょっとしたことが、今までは考えられなかったダメージになる ことがあるのかもしれません。 恩師は「今は古希という言葉は、死語になったね」とおっしゃってくれました。 でも、それを過大評価して自己満足していたら、駄目でしょう。 色々とこれからの過ごし方を考えさせられた、今回の日帰り旅行でした。 それでは良い週末を。 |