さようなら笠井先生 |
笠井幹男氏。当年85歳。 現在、我が国を代表するヴォイストレーナー。 ヴォイストレーナーとは「声楽家や俳優をはじめ、一般の方を含め、広く発声が重要とな る人達に、発声練習を指導する人」とでも言いましょうか。 氏は、東京芸術大学声楽科を卒業後、クラッシックのヴォイストレーニングにポップスの 要素を加えた独自のトレーニング・メソッドを考案。 1971年頃から、レコード会社やプロダクションからデビューする歌手たちの「声作り」と 「歌唱指導」をするヴォイストレーナーとして活躍。 松田聖子、前田美波里、長山洋子らを育ててきました。 私はその笠井氏が講師を務める、NHK文化センターの「ヴォイストレーニング・昭和歌 謡曲をうたう」という講座を数年前から受講。 受講動機は、数年前に「最近、声がかすれる。配偶者も私の声が聞き取りにくいと言って いる。 カラオケでは以前より高音が出なくなった」と感じ、その原因は「現役(勤労者)の頃と 比べ、1日の会話時間が少なくなったこと。加齢に伴い声帯が衰えてきたこと」と判断。 そこで、事務所に近い青山ツインタワーにあるカルチャセンターを訪問。たくさんある音 楽講座の中から、笠井氏の講座を選択したのです。 声帯を鍛え、発声・滑舌の改善を図るために、これは正解でした。 ともかく、ピアノを巧みに弾ける希少なプロのトレーナーで、性格も明るく、お若い (85歳とは思えず!)。 そして、長年の経験からヴォイストレーニングには他の追随を許さない自負をお持ちで、 説明がわかりやすい。 受講時間は毎週月曜日の午後3時半から5時までの、1時間半。 受講生は大体通年で男女10名ほど。 最初の30分間は、まさにヴォイストレーニング。 紙2枚にびっしり書かれたメソッドに従って、先生が弾くグランドピアノの音程に合わせ、 例えば「baby」を「ド・レ・ミ・レ・ド」の音階に沿って、「ベイビイ(ド)・ベイビイ (レ)・ベイビイ(ミ)・ベイビイ(レ)・ベイビイ(ド)」と発声したら、「レ・ミ・ ファ・ミ・レ」「ミ・ファ・ソ・ファ・ミ」と1音ずつ高音にあげて発声していくのです。 様々な単語を様々な音階で何度も繰り返します。 あるいは、鉛筆(昔ながらの6角鉛筆)を両唇で加え(歯を立てない)ながら、歌舞伎の 口上のような文章を一人ひとり、正確明瞭に朗読するとか。 とにかく、30分続けて練習すると、息が上がり、額に汗をかくほど疲れます。 発声力の向上もさることながら、心肺機能の向上(有酸素運動)や、あるいは近年話題と なっている、誤嚥性肺炎の予防(嚥下機能の強化)にもなりそう。 閑話休題。 高齢社会における健康寿命の延伸、QOL(生活の質)の維持向上には、運動や休養や食 事も大切ですが、意外と喉の強化が重要と思っています(目のトレーニングも)。 喋る声が明瞭で力があると、本人も爽快で気分も前向きになり、周囲の人も「若々しいな」 という印象を持つでしょう。 だから、カラオケでも風呂場でも、散歩しながらでも、どんどん気楽に歌を歌うことを、 私は推奨します。 メソッドに従った練習を終えると、残り1時間は先生のピアノ伴奏による「昭和歌謡曲」の 合唱・独唱。 毎回、2〜3曲を、休憩なく1曲ずつ徹底的に繰り返し合唱します。 そして、先生が声の出し方、テンポ、メロデイーについて細かく修正・指導するのです。 「学生時代」「川は流れる」「津軽のふるさと」「細雪」「黄昏のビギン」「白い花の咲 くころ」「君恋し」「東京ナイトクラブ」等々。 それこそ何十曲と歌ってきました。 先生がデビュー前に指導した、アンルイスの「グッバイ・マイラブ」も。 この歌を日を変えて3回ほど指導されたとき、そのたびに「アンルイスは、高校の授業が 終わると、制服のままで事務所にレッスンに来ていたが、熱心で、純粋で、明るいいい子 だった」と、昔を懐かしむようにピアノの手を休めて語るのです。 私は、「先生、この歌詞は「グッバイ・マイ・ラブこの街角で、グッバイ・マイ・ラブ歩 いて行きましょう、あなたは右に、私は左に、振り向いたら負けよ・・・」とあるように、 若い二人の別れの歌ですが、二人は何歳ぐらいの想定でしょうかね」と尋ねると、「そう だね、、、ちょっとわからないな」と首をかしげます。 私は「女の子は女子高の生徒、男は大学生だと思いますが。恋を知り染めた相手は、大学 4年。これから社会人に。 明るく純粋できれいな女の子は、相手と口づけまでしたが、ほとんどプラトニックラブ。 きれいな思い出のままここで別々の道に別れようという聡明で真面目な性格。そのような イメージが湧くのですが」などと、レッスンの合間に先生と会話をするのも楽しいもので した。 その笠井先生が先々週の月曜日の講座終了後、「実は皆さんにお伝えすることがあります。 私の体調が思わしくないので、再来週の講座をもって終了いたします。事務所もたたみ、 晴海のタワーマンションから埼玉の息子の家に引っ越して暮らすことになります。云々」 とおっしゃったのです。 体調不良は、以前からの呼吸器系疾患が原因とのこと。 みな、茫然として先生の顔を見つめていました。 まさかお元気な先生が、そんな・・・。 先週の月曜日の昼、みんなで表参道のリビエラでお別れの会食。 そして今週の月曜日(20日)、最後のレッスンが淡々と行われました。 4曲ほど皆で歌った後、先生が最後にこの曲をと言ったのは「君恋し」。 みな、朗々と声を上げて歌い終わりました。 しばらく沈黙が続いた後、私は「先生、長い間ありがとうございました。 「♪歌声過ぎゆき 足音響けど いずこにたずねん 心の面影」と歌詞にありますが・・・ 最後に先生と歌うのにふさわしい歌でしたね」と笑顔で言うと、 「私は、何十年とこの世界でやってきたことを、今やめてしまうのだけど、全く感傷的に はならないのですよ。もう十分にやってきたから、これでいいかなという気持ちのほうが 強くてね・・・」とピアノの鍵盤を撫でながら語るのでした。 私は名残惜しかったが、私のほうがセンチメンタルになったら先生に失礼と思い、もう一 度、「長い間ありがとうございました。これからもお元気で。失礼します」と一礼し、教 室を後にしたのです。 先生の情熱的なレッスンこそ、現在の私の楽しみ・愛でした。 でもそれは、もう二度と叶わないこと。 「何事も終わりがある・・」と思うのですが、虚脱感が拭えませんでした。 だから、心の中で「グッバイ・マイラブ」と呟いて、ラッシュ時間の青山1丁目駅の階段 を夢中で降りて行ったのです。 「さようなら、笠井先生!」 それでは良い週末を。 |