東井朝仁 随想録
「良い週末を」


赤い靴はいてた女の子
「ああ、無事に開催できて良かった!」
登壇してマイクの前に立った私は、しばし会場の仲間たちの顔を眺めながら、ちょっとし
た感慨に胸を躍らせました。
それは先週の金曜日(19日)の夕方、表参道の青学会館で開催した「第22回東井悠友
林の集い・ 新年交歓会」でのこと。
この日の朝まで1週間、「もし、風邪をこじらせて参加できなくなったら、どうしよう」
という一抹の不安にとらわれていたからです。
「これで、ひと安心。もう明日からは何も思い煩うことはない。インフルエンザに罹って
も構わない」という、晴れ晴れとした気分になってスピーチを始めたのです。

ことの発端は、先々週の11日(木)に。
この日の夕方、横浜駅の連絡通路にある「赤い靴をはいた女の子像」の前で、久しぶりに
厚生労働省時代の2年先輩のA氏と待ち合わせ、近くの居酒屋で熱燗を酌み交わしながら
久闊を叙することとし たのです。
「労働者諸君で混み始める時間帯を避け、午後4時から2時間ほど、軽く飲もう」という
ことで。
今までA氏とは、数人で飲む機会は何度かありましたが、二人だけで親密に飲んだのは、
私が30歳の時に一度だけ。新宿の洋風酒場「どん底」で。
もう40年前のこと。今更ながら時の流れの速さに驚かされます。
しかし、彼とはあちこちで何度も顔を合わせてきたので「久しぶりだなあ」という感慨は
全くなく、「いよっ!」と片手をあげて挨拶し、比較的に大きな、サラリーマンご用達の
活気にあふれた居酒屋の暖簾をくぐったのです。
そして日本酒の熱燗を酌み交わしながら、まだ閑散としている広い店内に響き渡るほどに、
歓喜あふれる声で昔話に華を咲かせたのでした。

しかし、です。
飲み過ぎました。
「帰りの夜道は寒くて、足元が悪いから、2時間ぐらいで切り上げて帰ろう。お銚子はい
いとこ2〜3本だな」と取り決めて飲み始めたのですが、杯を干すごとに愉快になり、話
は弾み、気が付くと時間は午後8時。
4時間もの長尻(ながっちり)になり、空けた酒は、中生ビールと日本酒のお銚子を12
本。

その後のことを早送りで辿ると。
午後8時過ぎにA氏と別れ、横浜駅から東急東横線で渋谷に出て、そこから田園都市線で
午後9時ごろ三軒茶屋駅下車。
家まで歩いて10分あまり。ここ数年は迷わず直帰してたのが、この夜は「久しぶりに三
茶の三角地帯(注・国道246号線と世田谷通りと、なかみち通りで三角形に区切られた
地帯。昭和の面影が色濃く残る、東京でも珍しい飲み屋街)で、軽く仕上げて帰ろう」と
いう気に。
そして「どこでもいいからスナックでハイボールを1杯だけ」と決めて、三角地帯に潜入。
数店覗いたら良さそうな店に当たるだろうと考え、まずは手始めに目先の角にある、くす
んだネオンが仄かに灯るスナックに。
ところが、ドアを開けた瞬間、思わず「アッ!」と仰天、驚愕、感動。
10名ぐらい座れるカウンターの内に立つマスターと、しばし睨めっこ。
「Bさんじゃないか?!」
「東井さん、久しぶりですね!今夜はなんか予感してたんですよ」

Bさんは私より3歳年下の店長で、私が56歳で厚生労働省を早期退職し、三重県の厚生
連に転職する時期まで、私の家の近くの上馬の交差点(注・国道246と環状7号線の交
差点)近くで、立派なスナックというよりミニクラブ風の店を経営。私がしばしば、飲み
会の帰りに一人で立ち寄り、マスターとのお喋りやカラオケを楽しんでいた店。
私が三重に赴任した春の終わりの頃、帰京して立ち寄ってみたら閉店しており、その後の
行方は全く知らずに今日まで。
14年ぶりの再会。
それにしてもスナックや飲み屋が数多くひしめく三角地帯で、これほど偶然に再開できる
とは「春から縁起がいい」とばかりに、お互いに乾杯。カラオケをしている客が数人いた
にもかかわらず、マスターはすぐに割り込みで、北原謙二の「ふるさとの話をしよう」を
セット。
上馬の時の店での、私の愛唱歌。
歌いながら、脳裏にめぐるはあの頃の上馬の店での思い出の数々(例えば。店の常連客だ
が、周囲を威喝して店の迷惑客だった、元東洋大学空手部・主将のC君。私より5歳下だ
が、私を射すくめるように睨んでちょっかいを出してきたので、私は彼の横に移動し、
「外でやるか?」と笑いながらグラスを空け、そのグラスを背丈は小さいが目つきの鋭い
坊主頭の彼に渡し、彼の肩に手をまわし、「粋がらないで、まず飲めよ。酒は楽しく飲ま
ないとな」と。結果はC君を呑み込み、彼は以降、私のことを兄貴分のように慕って、私
がいないときにも「東井さんは来てない?」と店に頻繁に顔を出していたそうな。C君も
今はどうしていることか)

客が私一人になったとき、頭髪に白いものが目立ち始めたマスターは、カウンターを出て
私の横に座り、自分もグラスの酒を飲みながら、あの頃の話を懐かしそうに話すのです。
「俺、変わったかな?」
「変わんないですよ。少し丸くなったかな」
「そうかな・・・」
ハイボールを三杯飲み、店を出たのは午後11時半頃。
帰宅して風呂に入って就寝したのが午前1時頃。
これが11日のことでした。

翌日。
二日酔いは思ったほどなし。
これは日本酒のときからチェーサー(口直し用の水)をガブガブ飲んでいたため。
しかし、喉が痛く微熱っぽいので、中目黒駅近くのかかりつけクリニックへ。
インフルエンザの検査をしたが、陰性。
軽い風邪ということで、薬も出ずにホッと。
でも、それから数日間、鼻水とクシャミが。
「新年交歓会」まであと3日。
そこで近くの耳鼻咽喉科へ。
またもインフルエンザの検査。結果は陰性。
熱は平温。
「花粉症ではないのですか?」
「違います。風邪でしょう。薬を3日分出しておきます。治ったら飲まなくて結構」
今だかって効いたためしのない風邪薬は飲まず、良く寝て、暖かい格好で無理をしないで
過ごし、無事にめでたく(?)冒頭のシーンを迎えたという次第だったのです。

酒の時間も長かったですが、このエッセイも冗長になったので、そろそろ閉めます。
それにしても童謡「赤い靴」は、
「♪赤い靴はいてた女の子 異人(いじん)さんに連れられて行っちゃった」
「♪横浜の波止場から船に乗って 異人さんに連れられて行っちゃった」
という歌詞のとおり、悲しくて暗い歌。
私がごく小さい頃、親の言うことを聞かないと、母に「そんなことだと、異人さんに連れ
られて行っちゃうよ」と叱られたものです(長ずるまで、異人さんをイージーさんと思っ
ていたが)。
そう言えば、昔から「しかられて」「とおりゃんせ」などの童謡にも、少し怖いものを感
じました。
でも、「赤い靴」の話は、貧乏な母子家庭の子が、アメリカの宣教師に貰われて行く感動
話(真偽が諸説あるが)。

今回の懐かしくも楽しかった酒宴。
今は何となく「赤い靴はいた女の子像」が、私をつかの間の桃源郷に連れて行ってくれた
のだ、という気がしてニンマリしているのです。

それでは良い週末を。