20年の時を経て(タバコ対策雑感)(2)
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厚生労働省が公表した、たばこ対策を主旨とした「健康増進法改正案」の一部が、与党と の調整で難航しているとのこと。 特に難航している点は、受動喫煙からの健康被害を防止するために「飲食店、事務所、ホ テル、老人福祉施設、運動施設等は、原則屋内禁煙。喫煙専用室でのみ、喫煙可能」とし つつ、飲食店の場合は「経営規模の小さい既存店は、『喫煙・分煙』標識の掲示により、 喫煙可能」としていること。 そしてこの経営規模が小さい飲食店の範囲を、厚生労働省は「店舗面積150u以下で、 個人経営か 資本金5000万円以下の中小企業」としているとのこと。 昨春に発表した同法改正案の骨子では「30u以下」としていて、結局与党との調整がつ かずに国会に提出できなかったそうだが、今回は30u→150uと、一挙に五倍も規制 外対象範囲を拡大した。 それだけ喫煙ができる小規模店が増えることになる。 これは、厚生労働省がこの1年間で「あまり禁煙禁煙と騒がずに、なるだけ規制を緩やか にしよう」と宗旨変えをしたから、ではなく、そこまで妥協しなくては与党が首を縦に振 ってくれないからだろう。 なぜか。 全面禁煙や分煙をすると、経費負担(施設・設備整備費等)がかかることと、喫煙者の客 が来なくなる恐れがあるとする飲食店側の反対意見があり、これら飲食店の同業者団体等 が与党に陳情をし、与党は大事な票田のために厚生労働省に大幅な譲歩を迫ったからだろ う。 それでは、迫られた厚生労働省はどうしたのか。 「国民の健康を守る」という省是を貫くのがミッションではあるが、他の多くの法律改正 や予算確保などでは、政権与党の了解なしには事が進まないので、まさにご主人様には逆 らわないのが賢明という風潮が根強く残っているのだろう。「禁煙対策ばかり強調して我 を張らず、厚労省の他の重要事項に悪影響を及ぼさないように、落としどころを考えない と、改正法案の上程がまたまた駄目になってしまう」と考えてもおかしくはない。 法律改正の認否権を持つ与党と、予算配分権を持つ財務省の意向を忖度した結果というと ころか。 時は今から約20年前。私は厚生労働省の地域保健・健康増進栄養課の総括課長補佐の任 にあり、前回のエッセイで触れた「健康日本21」という、21世紀における国民の総合的 な健康づくり計画の策定にかかわっていた。 栄養・食生活、身体活動・運動、休養、飲酒、喫煙及び歯・口腔に関する生活習慣及び社 会環境の改善を図るため、2000年度(平成12年度)を基準年度とし、その10年後 (2010年度)までに達成すべき健康目標値を定めた計画の策定。 課内の職員はもとより、多くの学識経験者・専門家からなる委員会がフル稼働し、苦労の 結果、厚生労働省の素案が出来上がった。 しかし、ここで難題が発生した。 「喫煙」の分野でである。 我々課内職員の共通認識は、「禁煙対策の積極的な推進」「喫煙率ゼロの社会の達成」だ った。 このため、10年計画の目指すところは当面「喫煙率の半減」。これが当時では最上の目 標値。 健康日本21の策定委員会や企画委員会の殆どの委員も同様だった。 だが、この目標値案が流れ出した頃から、外部の激しい圧力がかかってきた。 具体的には、たばこ葉耕作農家やたばこ販売業者の団体、それにJT(日本たばこ産業株 式会社)などから。 私も何回か、大挙して押しかけた業者団体の陳情を、会議室で受けた。 彼らの態度は極めて感情的で、居丈高で恫喝するような言葉で我々をなじった。 たまたまテーブルの下で足を組んでいた相棒の職員に対し、「こちらが話しているのに、 何だ、その態度は!足を戻せ」と怒鳴ったり、「アンタラでは話にならない。局長を出せ」 とか、ピリピリと緊張した雰囲気が漂っていた。 「たばこの煙より、車や工場からの排気ガスのほうが重大だろ。それに比べればタバコの 煙ぐらいどうってことない。なぜタバコぐらいで問題にするんだ!」との抗議に、私はカ チンときて「工場からのばい煙や、自動車の排ガスも問題です。だからそちらは大気汚染 防止法などで規制をしているのです。見て見ぬふりをしているわけではなく、それぞれの 担当省庁がしっかりと対応しています。 自動車の排ガスが重大だからたばこ対策はどうでもいい、ということにはなりません。た ばこの害は喫煙者の健康にも、その煙を吸わされる周囲の人の健康にも害を与えます。国 民の命と健康を守るのが厚生労働省の使命です。皆さんにも、将来に希望を持ったお子さ んや妊産婦の方など、大事なご家族がおありでしょう。 タバコぐらい吸って構わないと、果たして言えますか」と答えると、リーダー的な男が 「詭弁だ、それは詭弁だ!」と立ち上がって叫んだり、「あんたは誰だ。名前を言え名前 を」と食って掛かってきたり。 また、文化人からも「個人の趣味嗜好の喫煙を、行政(国家)が規制することはファシズ ムだ」という 批判がマスコミで喧伝された。 これらの多くは、JTに少なからず関係している人と推察された。 だが、なんといっても大きな圧力は、たばこの税収を所管する財務省・国税庁からだった。 たばこ販売による税収は、「国たばこ税・たばこ特別税・地方たばこ税・消費税」で、毎 年2兆円を超す税収がある。ちなみに、たばこ販売本数は、2000年度の3245億本 から2016年度には1680億本に激減している(その分は税金の引き上げ・たばこ料 金の値上げで相殺)。 だから、「国民の健康より財政が省是」と考えていると思わざるを得ない財務省・国税庁 にとって、厚生労働省のたばこ対策(禁煙推進政策)には敏感だった。 特に国税庁の担当官は、私共に色々と難題を吹きかけてきた。 例えば、私共が厚生労働省の名においてたばこに関する全国アンケート調査を実施する段 になると、「我々に協議がなく、勝手に調査するのは問題だ」と、調査の実施をやめるよ うに抗議してきた。 しかし、「この調査は承認統計といって、総理府と協議をしたうえで承認を貰い、国とし て実施する全国調査だ。貴方がたに協議するいわれはない」と突っぱねた。 とにかく、たばこの税収に絡む案件なので、先方は、たばこ対策を衰退させるために必死 のようだった。 だが。 健康日本21における、省内のたばこ分野の目標値案は「喫煙率を半減する」から「喫煙 が及ぼす健康影響 についての知識の普及」というように、数値目標が消えてスローガン的な事項に変更され た。 事務局の力が及ばないところで、省内の幹部クラスに与党自民党(農林部会)が圧力をか けてきたからだった。 当時の農林部会の実力者二人に呼ばれた幹部は、「勝手なことをするな。厚生省の予算は 認めないぞ!」と二人から怒号を浴び、その場で土下座して謝って帰ってきた、という話 を耳にしてから、健康日本21における省内でのたばこ対策のトーンは急速にダウンし、 事務局の職員たちや計画策定にかかわった外部の委員たちの落胆は大きかった。 しかし、2000年に公表した健康日本21におけるたばこ対策分野の目標値は、他にも 「未成年者の喫煙をなくす」「公共の場や職場での分煙の推進」「禁煙支援プログラムを すべての市町村で受けられるようにする」などが定められ、今日における我が国のたばこ 対策につながる端緒となったことは、まぎれもない事実であろう。 私は当時の幹部の「変節」は責められないと思う。 自分の保身のために心を売る偉い人は、社会のどの分野にもいるが、自己の左遷、省のさ らに上層部への責任波及、与党や財務省から受けるであろう厚生労働省の省益の毀損など を想定した上での余ほどの覚悟がない限り、特に国家官僚主義が貫徹した世界では、「自 己の信念」を貫くのは難しいことだからだ。 あれから約20年の時を経て、今は健康増進法の改正法案(たばこ対策)を巡って、与党 と厚生労働省で水面下の調整がなされているとのこと。 でも、この20年でたばこに関する国民の認識は大きく変わった。 殆どの国民は禁煙を支持するだろう。 そして、たばこの煙のない、クリーンで健やかな社会、他人や未来を担う子供たちのこと を思いやる、優しい社会の到来を待っているのだ。 お互いに皆が、目先の偏狭な利己を捨てて寄り添い、この短いたった一度の人生を悔いの ないものにするために共生していくことが大切なのだ。 今回の健康増進法改正案。 その内容がどのようなもので決着するのか。 まさに与党と厚生労働省の真価が、問われている。 それでは良い週末を。 |