嘘 い つ わ り
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今の社会は、嘘いつわりが蔓延し、それが当たり前のような雰囲気になっている。 私には、そう感じられます。 様々な巧妙な詐欺の横行。自分の儲けのためには、相手が高齢者であろうが、生活困窮者で あろうが、嘘いつわりの甘言を弄し、巧妙にカネをだまし取る。 そのために相手が不幸のどん底に落ちようが、自殺しようが、そんなことは一切お構いなし。 「今の時代は、自分が生きるためだったらどんな手段を使ってもOK。だまされるほうが悪い」 とばかり。 「韓国や中国などでは、平気で約束を破る。騙されたほうが悪いという激しい競争社会だ。 日本など平和ボケして、性善説で人をすぐ信用する。まだまだ甘い」と平然とうそぶく始末。 最近の企業も、コンプライアンスなど、どこ吹く風。 例えば、日本を代表する大手企業、東芝、東レ、神戸製鋼、三菱自動車、日産などでは、決 算の粉飾、製品検査データの改ざん・偽装、リコール隠し、無資格者による製品検査などの 不正を行っていた。 それも内部で問題を確認した後でも、長期間これを隠蔽。 発覚後にあれこれ言い訳して謝罪しているが、「利益確保のためには、わからなければ、構 わない」ぐらいにしか考えていなかったのだろう。 同様に、世界が異なるが、相撲協会の度重なるイジメなどの不祥事でも、「問題が発覚しな いよう、素知らぬ顔をして隠蔽しておけ」というのが、協会内部の本音のよう。 誠実と技術を誇りに、「Made is Japan」「Japan is NO1」と唱えていたのは、はるか 昔。 政治・行政の不誠実な世界もひどいもの。 例えば。 @ 森友学園への国有地売却問題では。佐川・財務省理財局長(当時)が「交渉記録は廃棄し た」と国会で答弁。→その後、交渉経緯を含んだ内部文書を開示することに。現在(8日)、 契約時点の文書(原本)の保管場所、開示、原本とその後の文書書き換え問題について、 国会で紛糾。 A 加計学園問題では、獣医学部新設を「総理のご意向」などと記した文科省の文書存在が報 じられた時、菅官房長官は「怪文書みたいなもの」と鼻から否定。→しかし、その後の文 科省の調査で同内容の文書 の存在が確認された。 B 南スーダンでの自衛隊の「日報」について、防衛省は「廃棄した」として、情報公開請求 に開示を拒否→しかし2か月後、発見したとして公表。 C そして現在問題となっている、「裁量労働制」導入の根拠となる、データの不適切問題。 厚労相は野党の追及に「実際の調査票はなくなっている」と答弁。→しかし、倉庫で発見。 議論の基本となるデータの不整合性も発覚。 ともかく痛感するのは、国会の審議での政権・与党の不誠実さ。 テレビで国会中継を観ていると、安部総理や麻生財務相を筆頭に、閣僚たちはヘラヘラと笑い ながら、すれ違い答弁、同じ答弁の繰り返し、行政への責任転嫁、時間稼ぎに終始している様 子。 「野党が何を言っても、痛くもかゆくもない。最後は多数決で採択するだけ」とたかをくくり、 国会の多数議席に胡坐をかいての傲慢答弁のように、私には聞こえるのです。 多くの国民の懸念対象であった、安保法改正などの法案審議においても、「真摯に、しっかり と丁寧にご説明してまいります」と、馬鹿の一つ覚えのように何度も同じ言葉を繰り返してき たが、これも口先だけだったよう。あっという間に強行採決。 こうした国会でのやり取り、政治における隠蔽と嘘いつわりに満ちた実情を、多くの国民は無 力感を持って見ているのでしょう。 そして、「今の政治には、全く興味ない。安倍政権だって支持していないが、以前より株が上 がっているから、今のままでいい。理屈をこねているより、カネが問題」と、現実主義の人も 少なくない現状。 はっきり自己主張をすると叩かれやすい、今の世の中。 だから会話の中にも「なんか・・」「・・・っていうか」「・・・的な」という、自己の考え に自信がなく、少し曖昧な表現をとる人が増えています。 日本は自由社会、民主的な社会と言って、私たちはこの日本社会に誇りを抱いてきました。し かし、実態は徐々に「ものを言いにくい」「個性的に生きずらい」「強い者と弱い者、勝者と 敗者の格差拡大」が進行しているようです。 そうした社会状況を生み出すのは、いつの時代も政治とマスコミの堕落。 その根底にあるのは「隠蔽と、嘘いつわり」。 最近、周囲の人や識者・文化人から「日本も劣化してきた」「世の中が殺伐としてきた」 「2020年のオリンピックが終わったら、借金大国・日本は衰退の一途だ」という言葉を、よく 耳にします。 まさに、不誠実な社会は末期的現象を呈してきているようです。 そして「株や不動産で儲けるならオリンピックまで」と、壮語する人が多々います。 かってのバブル期のように、世の中は国を挙げてカネ至上主義。 これが近年の我が国のプリンシプル(原理・原則・主義)。 いつから、このような時代になってしまったのか。 そして、自由と民主主義と思いやり・共助の精神を、ないがしろにしてしまったのか。 今の国のありようから推察すると、私たちに希望ある明日はこないでしょう。 来るとしたら。 まずは、嘘いつわりが許される社会はおかしいと、一人でも多くの国民が問題意識を持つこと でしょう。 それでは良い週末を。 |