桜 咲 く
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これを書いている今は、3月22日(木)午後4時半。 午前中の小雨交じりの冷え込んだ大気も緩み、今は雲間から柔かな陽光が漏れています。 昨日の春分の日は、朝からの氷雨が昼前に雪に変わり、震え上がるほどの寒い一日でした ので、この天気の回復にはホッとします。 そして、所々で見かける桜の木も、このやさしい陽射しに包まれて、本格的な開花モード に入った感じを受けます。 東京の開花日は3月17日。満開日は25日と予想されています。 しかし都内と言っても、場所・日当たり・桜の種類・樹齢で、開花・満開は様々です。 私の家の近くにある桜の何本かは、17日以前に開花し、今は5分咲き。 先ほど帰宅する途中、その中の1本は満開でした。 寒緋桜や河津桜は早くに咲いているし、ソメイヨシノとの違いは一目瞭然ですが、この日 当たりの良い場所に咲く、やや小ぶりの満開の桜木は、薄いピンク色の花弁。 ソメイヨシノに間違いないと判断していますが、どうなのでしょうか。 ちなみに、今日現在、代々木公園のソメイヨシノは、開花したところ。 六義園の枝垂れ桜は5分咲き。 千鳥ヶ淵の桜は27日に満開との予想がなされています。 桜ファンにとって、これからは天候をにらみながら「上野公園は、目黒川は、隅田公園は、 井の頭公園は・・・」と、毎日気が気ではないことでしょう。 私は都内の桜の名所にはあまり関心がなく、閑静な住宅地の人気(ひとけ)のない児童公 園に密やかに咲く桜とか、お寺や神社の境内にそびえる、大きな1本桜とか、古民家の庭 先から塀をまたいで枝を張っているたわわな桜などを、そっと眺めているのが好きなので す。 かと言って、桜の名所に出かけないということではありません。 今まで、職場の連中や親しい人たちと、あちこちの桜の名所に繰り出していました。 特に印象に残っているのは、厚生省(当時)に入省した翌年、職場の人たちと一升瓶をぶ ら下げて行った、土曜日の午後の向ヶ丘遊園地。 当時は酒といえば日本酒で、缶ビールなどはありません。遊園地の奥の林の一角を陣取り、 花吹雪が舞う下で、乾き物をつまみながら茶碗酒を酌み交わして談笑。いつの間にか茶碗 に浮いている桜の花びらを眺めていると、不意に「俺も、いっぱしの社会人になったのだ」 という感慨が沸いてきたものです。 また、環境庁(当時)の人の計らいで、北の丸公園のお堀端で花見をしたのも印象に残っ ています。 花見をしている人どころか、私たち以外に一人も人影はなく、堀を渡る夕暮れの寒風に吹 きさらされながら飲んだ冷酒の、身に染みたこと。 この時、ちょっぴり役人という立場の特権というものに、触れた思いがしたものです。 桜の何がいいのか?と自問しますが、やはり、胸苦しくなるほど爛漫に咲き誇る全姿の美 しさでしょう。 そしてざわめくように歓喜あふれて咲き誇ったのもつかの間、はかなく舞い散って短い一 幕のショウを終えてしまう劇的さ。 他の花々と違い、日本酒の冷酒に酔いしれたように、感動の余韻が尾を引くのです。 今年も桜の季節がやってきました。 しかし、その見頃は短く、下手をすると折角の爛漫に咲いた桜花は、一夜の雨嵐で無残に 散り去ってしまいます。 そこで人は、桜の花に心を奪われ、切ないほど心を掻き立てられるのです。 どこかで自分の人生と重ね合わせながら。 人の命も、「平均寿命80年だ100歳時代だ」と言っても、悠久の時の流れの中では、一瞬 のこと。 「散る桜 残る桜も 散る桜」 今年も桜が咲きました。 たった一度の貴重な人生。 だから今年も、悔いのないように桜を見て回るのです。 勿論、花見酒との合わせ技で一本。いや、一本桜! それでは良い週末を。 |